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19.はじまりのあの場所

 それから私たちは、さらに馬を走らせていた。すっかり仲良くなってしまった馬たちは、勝手に並んで走っていた。それはもう、仲睦まじく。


 そうして、広い草原の端のほうまでやってきた。目の前には高い崖がそびえている。セルジュは馬を止めて、こちらを振り返った。


「ちょうどここが、あの日舞台が建てられていた場所だ」


 私はセルジュに頼んで、あの祭りの日に舞台が建てられていた場所、そもそもの始まりの場所に連れてきてもらったのだ。


 馬を降りて、崖に近づく。セルジュも同じように馬から降りて、私のそばに歩み寄ってきた。崖を見上げて、ぽつりとつぶやいている。


「……お前は、舞台の裏にあった洞窟から出てきたと言っていたな。だがやはり、洞窟は見当たらない」


 その言葉に、私はあぜんとするほかなかった。だって。


「…………あるよ? 洞窟。そこに」


 切り立った崖、その岩肌の、私の身長よりちょっと低いあたり。そこに、ぽっかりと暗い穴が口を開けていた。それを指さすと、セルジュが眉間にしわを寄せた。


「ないぞ」


「あるってば」


 最初はセルジュが私をからかっているのかと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。そもそも彼は、誰かをからかうような人間じゃなかった。


 訳が分からなくなって、洞窟に向かってみる。岩肌をよじ登って洞窟の中に転がり込むと、ひやりとした空気に包まれた。暗がりに目が慣れてくると、壁や天井がうっすら光っているのも見える。


 間違いない、ここはあの日私が通ってきたあの洞窟だ。


「お、おい! リュシアン!」


 次の瞬間、後ろからセルジュの声が聞こえてきた。ものすごく焦った様子だ。振り向くと、彼は明るい草原に立って、信じられないものを見るような目をこちらに向けていた。


「ほら、洞窟あるだろ?」


「お前、今、岩壁にめりこんでいったぞ! 姿が見えないんだが、どこにいる!」


 どうやらセルジュには、そんな風に見えているらしい。私には見えて、彼には見えない洞窟。少し考えて、手だけを洞窟の外に突き出してみた。


 すぐに、セルジュの裏返った声が聞こえてくる。というか、ものすごく驚いた顔をしている。


「なっ!?」


「そっちからは、どう見える?」


「その、岩壁から……お前の手だけが生えているように見えるぞ」


 それは中々に怖いだろう。しかしどうして、私には見えているし入ることもできるこの洞窟が、セルジュには見えないんだろう。


 少し考えて、突き出したままの手をひらひらと振ってみせる。


「セルジュ、この手をつかんでみて? そのまま、こっちまで引っ張り込んでみるから」


 そう言ったら、彼は顔をしかめてうめいていた。訳が分からなさ過ぎて近づきたくないらしい。彼が見ているだろう光景を想像したら、それも納得できる。


 でもせっかくだから、もう少しだけ調べてみたい。そのまま待っていたら、セルジュがこちらに歩み寄ってきた。凶悪なまでの仏頂面で、そろそろと私の手を握る。


 と、彼はまた驚きに目を見張った。


「……本当だ、洞窟があるぞ……」


「あれ、突然どうしたの?」


「お前の手に触れたとたん、洞窟とその中にいるお前が見えた。どういうことなんだ……」


 また考えて、今度は彼の手を放してみる。考え込んでいたセルジュが、さらに目を丸くした。


「おい、また見えなくなったぞ」


「不思議なこともあるものだね……」


 それから二人でしばらく試行錯誤して、いくつかの事実をつかむことができた。


 どうやらこの洞窟の存在は、私にしか分からないらしい。セルジュだけでなく、あの祭りの準備の時に集まっていた町人の誰一人として、この洞窟に気づいてはいなかった。


 けれど私に触れていれば、私と同じようにこの洞窟を見て、入ることもできる。セルジュは無意識にか私の手をしっかりと握りしめたまま、洞窟の中で呆然としていた。


「光る壁、なめらかな床……自然のものとも、人の手が入っているものとも思えない……」


「変わったところだよね。ところで、もう一つ確かめてみない? この中で、僕の手を離したらどうなるか」


「それだけはごめんこうむる。最悪、岩の中に閉じ込められるかもしれないだろう」


 セルジュはそう言いながら、しきりに洞窟の出口を気にしている。早く外に出たいらしい。


「僕にしか分からない、そんな洞窟か……」


 だったら反対側の出入り口、湖の崖に空いたあの穴も、他の人には見えないのだろうか。もしそうなら、追っ手がここにたどり着く可能性はなくなるだろう。それはありがたいと思う。


 十中八九エミールは、私の正体に気づいている。こうやって私がリュシアンのままでいられるのは、彼のおかげだ。


 でもいつか、正体を明かさなくてはならない日が来るだろうなとも思っている。いつか、セルジュをあざむいていることへの罪悪感に屈する日が。


 でもその日が来るまで、ゆっくりと心の準備をしておきたかった。ある日突然バルニエの追っ手がやってきて、いやおうなしに正体を暴かれる、なんていうのは絶対に嫌だった。


 だからこの風変わりな洞窟には、感謝しかなかった。私をバルニエから逃がしてくれて、バルニエの追っ手をさえぎってくれるかもしれないのだから。


「……まさか、な」


 セルジュは相変わらず私の手をしっかりと握ったまま、ぼそりとつぶやいた。ひどく険しい顔をしている。


「まさかって、何が?」


「……この洞窟だ。お前にだけ見える洞窟……もしかするとここは、聖女の力と関係があるのかもしれない」


 内心ぎくりとした。私も薄々、そんな気がしていたから。


 聖女が奇跡の力を使えるなんて信じていないけれど、でも他に、今の状況をうまく説明できるものが見当たらない。


「セルジュって、聖女のことは信じてないよね。僕もだけど」


「……だが、そう考えるのが一番自然だろう。信じがたいが……」


「うん、信じたくないし、嬉しくない……」


 リュシエンヌとリュシアンの問題だけでも気が重いのに、まさか聖女が、本当に特別な力を持っているかもしれないだなんて。考えることが多すぎて、頭が痛くなってくる。


「あのさ、セルジュ……ちょっと、お願いがあるんだけど」


「どうした、ずいぶんとしおらしいな。遠慮せずに言ってみろ」


「この洞窟のこと、できれば内緒にしていてほしいんだ……僕の心の整理が、つくまでは」


「もちろん、黙っている。俺もまだ、この状況が理解できていないからな」


 そう言って、セルジュは苦笑する。淡い光に照らし出された彼の顔は、とても頼もしかった。


「……ありがと」


 なぜか照れくささを覚えながらそう答えた時、外で馬の鳴き声がした。


「ああ、あいつらも突然置いていかれて困っているな。戻ろう、リュシアン。もうすぐ夕方だ、夕日が綺麗な丘が近くにある。そこまで行ってみよう」


 気まずいような気恥ずかしいような空気をあえて無視しているのか、セルジュがひどく落ち着いた口調でそんなことを言う。


 私もそ知らぬ顔で、にっこりと笑いかけた。しっかりとつながれたままの手を無視しながら。


「へえ、それは見てみたいな。案内よろしく」


 そうして二人で、洞窟を出ていった。胸の中に、ざわざわするものを抱えたまま。

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