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17.お悩み相談、始まります

 マリオットの屋敷に戻るなり、私とセルジュはエミールの執務室を訪ねていた。というか、駆け込んでいた。


「どうにか、町の方々には帰っていただきました。少し町のほうも調べさせましたが、もう噂はすっかり広まってしまっているようですね。聖女リュシアンはこの屋敷で暮らしている、という」


 いつもより少し早口でそう言って、エミールはため息をつく。


「ともかく、リュシアン君はしばらくこの屋敷から出ないほうがいいでしょう。町の人たちの反応は、私の予想をも超えていました。君がもし町に顔を出せば、それこそもみくちゃにされかねません」


 どうやらエミールも、現状には困ってしまっているようだった。


 聖女がいなくなったら、町の人が絶望する。そこまでの読みは当たっていたようだけれど、町の人がここまで積極的に押し寄せてくるとは思っていなかったという顔だ。


「……父さん、それだけみなは、今のこの国のありように絶望しているということだろう。だから俺たちは、王を」


「セルジュ、その先は言わないように。私は侯爵家の当主として、多くの領地を治める者として、うかつな動きはできないのです。お前も知っているでしょう」


 何か言いかけたセルジュを、エミールが静かにさとしている。セルジュは悔しそうに下を向きかけて、また顔を上げる。胸を張って、口を開いた。


「……だったら、せめて多少なりとも民の苦しみを取り除いてやりたい。俺とリュシアンは、そう思っている。その手段として、こんなことを考えた」


 さっき森の中で話し合った内容を、セルジュがためらいがちに話していく。いつもあまり表情を変えないエミールが、目を真ん丸にした。そのまま、私とセルジュを交互に見ている。


「……予想外ですね。お前が、そんなことを言い出すなんて。おそらく、最初に思いついたのはリュシアン君のほうなのでしょうが……」


 おかしそうにくすりと笑って、エミールが大きくうなずいた。


「お前たちの好きなように、やってみなさい。私は可能な限り、お前たちを支えますよ」


 エミールの顔には、とても頼もしい表情が浮かんでいる。それを見て、またしてもうらやましいなと思ってしまった。私の父もこんな人だったらな、と。


 ともかく、エミールの許可は出た。私とセルジュは礼を言って、その場を後にする。背後からの「応援していますよ」という穏やかな声に見送られながら。




 そんなことがあってから、一週間ほど後。


「まああ! 本当に聖女様だわ! 男性だなんて信じられないくらいに美しくて、清らかで気品があって!」


 私は、向かいに座った中年女性から、そんな褒め言葉を盛大に浴びせられていた。両手の指を組み合わせて私を見つめているふっくらした彼女は、ここイグリーズでも裕福な商人の妻だ。


 普段は夫以上のやり手だという彼女は、年頃の恋する娘のように頬を染めて、まっすぐに私だけを見ていた。私の後ろに控えているセルジュのことは、全く視界に入っていないらしい。


 これが、私とセルジュが考えた『民の不安を多少なりとも取り除くことができるかもしれない活動』だった。


 マリオットの屋敷の一室を借りて、そこに町人たちを少しずつ呼び、面会する。面会するのは一度に一人が原則で、せいぜい三人くらいまでに抑える。


 そうやって、私は町人たちの悩みを聞くことにしたのだ。何か困っていることや、要望などはありませんか、と。


 私には何の力もない。でも町人は私にただならぬ信頼を寄せている。だったら私は、彼らの相談に乗れるかもしれない。彼らの困り事の中には、エミールやセルジュが対応できるものもあるだろう。それに、ただ悩みを話すだけでも、気分は軽くなるものだ。


 駄目で元々と始めた活動だったが、予想とはまるで違う展開を見せていた。招待した町人たちは、みんなして大いに感激していたのだ。


 そうして悩みはないかと聞いたとたん、まあこれでもかというくらいに喋ってくれた。重大な悩み事こそ出てこなかったけれど、あれやこれや細かいことが、山のように。


 領主やその息子相手では言い出しにくいことであっても、聖女相手になら話せる。みんなはそう感じているようだった。純粋に、ひたむきに、彼らは聖女を信じていた。


 聖女はみんなを救ってくれる存在なのだと、イグリーズの人たちは子供の頃からそう聞かされて育つ。そのことは、私も知らされていた。


 でも普通、聖女が降臨してくるなんて、民を救うなんてただのおとぎ話に過ぎないと、大人になるまでにそう気づくと思う。セルジュみたいに。


 ところが驚いたことに、セルジュのような人間は少数派のようだった。いい年した大人たちが、私という聖女に面会できたことに大喜びしていたのだ。


 そのことに私は面食らわずにいられなかったけれど、ひとまずにこにこしながら話を聞き続けていた。かつてバルニエの家で、父をやり過ごすために本心を隠し続けていた、その経験がこんなところで活きるなんて。


「生きているうちに聖女様にお会いできるなんて、最高の喜びだわ! 子々孫々まで語り継がなくちゃ!」


「……あの」


 まだ歓喜に打ち震えている女性に、そっと声をかける。彼女は一点の曇りもない目で私を見つめ、じっと次の言葉を待っていた。そうきらきらした目を向けられると、どうにもやりづらい。


「あなたは、本当に僕が聖女だと信じているのですか? 僕はたまたまあの祭りの日、あの舞台に居合わせただけなのですが……」


 もしかしたら、私が姿を現した時のいきさつがきちんと広まっていないのかもしれない。そう考えて、思い切って尋ねてみた。けれど、彼女は力いっぱい首を横に振る。


「たまたま、ではありませんわ。その偶然こそが、あなたが聖女様であるという証し! どうぞ、自信を持ってくださいませ!」


「……はあ」


「不思議な偶然の果てに、あなたという方が現れて、そしてこのイグリーズに滞在してくださる、それだけで私たちの心はとっても安らかになるんですのよ」


 彼女はこちらの内心を見透かすような、底知れない深さをたたえた目で微笑む。しかしまた乙女のような表情になって、きゃあきゃあと騒ぎ始めた。


「それだけでも素晴らしいことなのに、こうやって私たちの悩みをわざわざ聞いてくださるなんて! 当代の聖女は、とっても慈悲深い方なんだって、ちゃんとみんなに言っておかないとね!」


 こんな風に町人たちに質問をしているうちに、判明したことがあった。どうも彼女の家のような古い家では、過去の聖女たちが起こした奇跡について語り継がれているようなのだ。


 かつてイグリーズの町に盗賊の大群が押し寄せてきたことがあったが、聖女のおかげで賊は一人たりとも町に入れなかったのだとか。


 また、ひでりが続いて町が危機に陥った時、降臨した聖女の祈りに応えて雨が降ったとか。


 さらにある時は、暴虐の限りを尽くしていた当時のマリオットの当主を、聖女が改心させたとか。


 なにぶん、どれもこれも八十年以上前の話ばかりだし、相当に尾ひれがついているのだと思う。そうとしか思えないくらいに、とんでもない話ばかりだ。


 私がそんなことを思い出している間にも、さらに日常のちょっとした愚痴をあれこれと喋って、中年女性は帰っていったのだった。とっても満足した顔で。

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