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16.思いついたこと

「どうした、お前は座らないのか。たぶん屋敷が静かになるまで一時間以上はかかる。立ったままだと疲れるだろう」


 マリオットの屋敷の外の、明るい森の中。そこで立ったまま考え込んでいた私の意識を、セルジュの声が現実に引き戻す。


 そうして、さっきの騒動を思い出してしまった。聖女様と言いながら迫ってくる人々、そこから助けてくれたセルジュ。彼に抱えられたまま、ここまで逃げてきて……。


 気恥ずかしいような申し訳ないような、正体不明の感情がぶわりとわき起こる。赤面しそうになるのをとっさにこらえて、首を横に振った。


「ちょっと待ってて、少し探し物をしてくる」


 セルジュの返事を待つことなく、森の奥に分け入っていく。なぜか、彼の顔をまっすぐに見られなかった。落ち着くまで、いったん彼のそばを離れたかった。


 気分を変えようと、きょろきょろしながら目をこらす。こういった明るい森で、この季節なら、きっとあれがあるはずだ。


 あ、あった。それを手にして、セルジュのもとに戻る。彼は草地に腰かけたまま、軽く片手を挙げてきた。その隣に座って、取ってきたものを差し出す。赤い実をたわわに実らせた木の枝だ。


「この木の実、おいしいんだ。よく熟してないと、ものすごく酸っぱいけど。それはそれで、健康にいいんだってさ。さっき助けてもらったし、どうぞ」


 かつて私に色んなことを教えてくれた老狩人、ティグリスおじさん。この木の実のことも、彼に教わった。この赤い実は栄養があって、疲労回復にはとてもいい。見つけたら一枝だけもらっておけと、そう彼は言っていた。


 この木はとっても生命力が強いから、実を食べた後の枝をその辺の地面に挿しておくようにな。そうすれば、そこから新たな木が生える。そうやって、この木を増やしていくのが狩人たちのならわしだ。


 彼のそんな言葉が、まだ耳に残っている。懐かしさと寂しさに、胸がぎゅっと苦しくなった。


 奥歯を噛みしめて顔を上げると、赤い実を口にして顔をほころばせているセルジュの横顔が目に入った。その拍子に、またちょっとどきどきしてしまう。


 どうにもこうにも、いつもの調子が出ない。朝っぱらから町人たちに押しかけられたからか、そうして二人でこんなところに逃げ込んでいるからか。


「ふむ、確かに甘いな。この実は時々見かけていたが、こんなに美味だったとは知らなかった」


 一粒ずつじっくりと味わっていたセルジュが、ふと動きを止めた。どうやら、酸っぱい実に当たってしまったようだった。さっきまで優しく笑っていたその眉間に、あっという間にくっきりとしわが寄っていく。


「あ、外れを引いたね。ちゃんと熟れてるのを見分けるのはかなり難しいんだ。ティグリスおじさんは完璧に見分けてたけど」


 その様子がおかしくて、声を上げて笑う。ようやく彼の目をまっすぐに見ることができた。


「おい、そこまで面白いものでもないだろう」


 セルジュが不機嫌そうに言う。顔はとびきり怖いけれど、本当に怒ってはいない。それが分かるくらいには、私は彼の表情が読めるようになっていた。


「ううん、面白かった。いい顔してたよ」


「だったら今度は、お前が食べてみろ」


「ええっと……僕、今は特に疲れてないし?」


「いいから食え」


 そうやって二人にぎやかに騒ぎながら、赤い実を食べ終えた。ティグリスおじさんの教えについてセルジュに説明しながら、枝を地面に挿す。


 そうやって一息ついてから、ふと思ったことを口にした。


「ところで、僕たちいつまでここにいればいいのかな。屋敷に戻って、まだ町の人たちがいたら面倒なことになるけど……」


「大丈夫だ。あちらが落ち着いたら、父さんが使いを出してくれる。俺たちはここで待っていればいい」


「えっ、あらかじめここに行くって、エミールさんにそう言ってあったの?」


 思いもかけない言葉にきょとんとすると、セルジュは気まずそうに視線をそらした。


「いや、実は……俺は子供の頃から、屋敷を飛び出した時はいつもここに駆け込んでいたんだ。その、一人になりたい時とか」


 無意識に頭をかきながら、セルジュは続ける。ぴょこぴょこ跳ねる赤い髪に、ちょっとだけ見とれる。


「だから父さんなら、俺がここにいると分かっているだろう」


 彼の声には、まぎれもない確信の響きがあった。言うかどうか少し迷ってから、素直な感想をつぶやいてみる。


「……セルジュって、何だかんだでエミールさんのことを信頼してるよね」


「そ、それは! ……その、だな。思うところは色々あるが、父さんが有能であることに違いはないから、な……」


 ものすごく不本意そうに、そして照れ臭そうに、セルジュは声を荒げた。でもその表情は、どちらかというと少しすねているようにも見えた。


 亡き母との思い出が残る離れを私に使わせていることとか、私――リュシアンではなくリュシエンヌ――を妻として迎えようとしたことは認められないみたいだけど、でもやっぱり彼は父親のことを嫌いになり切れないらしい。


 ……セルジュとエミールの仲がぎくしゃくしている理由って、半分くらい……いや八割くらいは私のせいという気もしないでもないけれど。


 申し訳ないなという感情と同時に、別の思いもわいてくる。確かにエミールはちょっと変わったところもあるけれど、信頼できる人だ。彼が父親だというのは大変かもしれないけれど、うちの父よりはずっとましだ。


「いいなあ。そんな風に信頼できる父親で。うちの父とは大違いだよ」


「そうなのか?」


「……うん。いつも僕の行動に文句をつけてくるし、勝手に伴侶を決めようとしてきたし」


 かつてバルニエの家にいた頃のあれこれが、次々と思い出されてくる。うっかり具体的なことを話してしまわないように気をつけながら、さらにまくしたてた。


「自分のことは棚に上げて、僕には品行方正であれと説教ばかりするし」


 ああ、思い出したら腹が立ってきた。口をとがらせて、ふんと鼻を鳴らす。


「家も親も、もううんざりだった。僕の実家には、悩みを聞いてくれる人なんていなかったし、救ってくれる人もいなかった。僕はずっと一人で、悩みと立ち向かっていたんだ」


 もっとも、この言葉は完全に正しいとは言えない。私は月に一度、魔法の手鏡を使ってお母様と話していたから。


 おっとりしているようで結構行動力があり、そして妙に明るいお母様は、私にとっては唯一の心の支えだった、特に、ティグリスおじさんがいなくなってしまってからは。


「だから僕は、こうして家から出られてせいせいしているんだ。旅暮らしなら、国の情勢も無視できるしね。どこへなりと、好きな場所に逃げるだけだから」


 そう言い切った時、セルジュが一瞬だけひどく悲しそうな顔を見せた。なんだろう、つい最近、こんな顔を見たような。


 ああそうだ、町人たちから逃げるようにしてこの森に来た直後のことだ。民の不安は大きいのだな、俺が動かないと。彼はそう言っていた。


 きっとセルジュは、領主の息子として責任を感じているのだろう。聖女に救いを求める民があんなにたくさんいる。自分にも何かできないか、と。


 色々お世話になっているし、その悩みを何とかしてあげられないかなあ。そう思った時、頭の中にある考えが浮かんだ。


「そんなことより、一つ思いついたんだけど」


 暗くなりかけた空気を吹き飛ばすように、わざと明るい声を張り上げる。隣のセルジュが目を見張っている。


「さっきさ、セルジュは言ってたよね。民は不安なんだって。そしてエミールさんも、聖女がよそに行ってしまったら民は不安になるって、そんな感じのことを言ってたよね」


 イグリーズの民にとって、聖女は希望のよりどころなのだ。さっき屋敷で、それを嫌というほど思い知らされた。


 だったら、聖女が積極的に民の力になってやれば、民の不安は和らぐのではないか。そうすればセルジュやエミールも、もっと安心できるのではないか。


 ふと思いついたそんなことを、順を追って話してみる。セルジュはふんふんとうなずきながら話を聞いていたが、最後にこう尋ねてきた。


「方針としては、とてもいいと思うが……お前、どうやって民の力になるつもりなんだ?」


「実は、何も考えてない」


 けろりとそう答えると、セルジュはぷっと吹き出した。さっきまで時折見せていた暗い表情が消えてよかったなと、そんなことを思う。


「それは、堂々と言うことなのだろうか……?」


「仕方ないよ。だって僕は聖女だなんて言われているけれど、ただの旅人でしかないんだから。特別な力なんて、何も持たない」


「いや、それでもみなにとって、お前は聖女なんだ。お前が動いてくれる、そのこと自体に意義がある」


 そう言ってもらえることは嬉しかった。ちょっとした思いつきでしかないけれど、何となくうまくいくような、そんな気もした。


 明るい森の中、二人並んで座り、あれこれと話し合う。私に何ができるか、何をすればいいか。自然と、話は熱を帯びてきた。


 結局私たちは、エミールが出した迎えの者が探しに来るまで、ずっと話し続けていたのだった。

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