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13.お母様と秘密のお喋り

 それからもうしばらく町をぶらぶらして、エミールの屋敷に戻る。部屋に戻って身づくろいしてから、私とセルジュ、エミールの三人で夕食にした。


 私という客人を招いているとは思えないほど、食卓は静かだった。エミールはもとよりあまり無駄口を叩かない人物のようで、そしてセルジュはエミールがいると明らかに機嫌が悪い。


 まあ、セルジュにも思うところが色々あるようだし、彼の母親のことについては同情する。私もちょっと複雑な関係の家庭で生まれ育ってるし、気持ちは分からなくもない。


 それに、無言の食卓にも慣れていた。バルニエの屋敷では、だいたいいつもこんな感じ、いや、もっと冷え切った雰囲気だったし。


 ゆったりと食事を済ませ、すぐに離れに戻る。今夜はちょっと、用事があるのだ。早く支度を済ませてしまわなくては。


 次は湯あみだ。この離れはセルジュの母が静養するために建てられたというだけあって、浴室もきちんとしたものだった。


 夕食の間にメイドたちが小ぶりな浴槽に湯を満たしてくれているので、冷める前に大急ぎで入る。


 男装していることは内緒なので、もちろん一人で。誰かに見られないように注意しながらの入浴って、くつろげない。でも仕方がない。


 濡れたままの髪を適当にタオルでぬぐいながら、今度は寝室に戻る。入り口に鍵をかけて窓をしっかりと閉め、寝台に腰かける。銀の手鏡をしっかりと持って。


「月が昇ってきた……そろそろかな」


 そうつぶやいた時、手鏡の表面が淡く光った。さっきまで私の顔が映っていたそこに、別の人物の姿が現れる。


『リュシエンヌ、こんばんは。……って、あら? どうして男装しているの? しかもそこ、いつもの自室じゃないわね?』


 そう言って小首をかしげる女性は、私にとてもよく似ている。生き生きとした表情も、美しい銀の髪も、澄んだ青い目も。というか、正確には私が彼女に似ているのだ。だって彼女は、私の母親なのだから。


「うん、母さん。色々あって、しばらくはこっちの姿でいないといけないんだ」


 九歳の時からずっと、私とお母様はずっと内緒で手紙のやり取りをしていた。何人もの協力者を経由して、父にはばれないように気をつけながら。ばれたら絶対に面倒なことになるからという、お母様のそんな助言によって。


 そしてこの手鏡は、お母様が手紙と一緒に送ってきたものだ。離れた二か所で話ができる、隣国ソナートの国宝の一つらしい。


 ……そんなものを普通の手紙と一緒に送ってくるなんて、お母様は度胸があるというか。さすが、私のお母様だ。


 それから私たちは月に一度、こうやって夜にお喋りをするようになった。真ん丸になった月が、天頂と地平のちょうど中間まで昇ってきた時。それが、お喋りの開始の合図だ。


 そんなことを思い出しつつ、お母様にこれまでの事情を説明する。お母様は青い目をきらきらさせて、興味深そうに話を聞いていた。


『うふふ、面白い偶然ね。……でも世の中って、案外そういうものかもしれないわ。私がバルニエの家を出て、こうしてソナートの王妃になったのもそうだもの』


「確かに、そうかも……経験者の言葉は違うね」


『でしょう? 今の夫に求婚された時は、何がどうなってるのか分からなかったわ』


 もう四十近いのに、少女のような可憐な笑みでお母様が答える。


『それに、そこまで偶然が重なったのなら、きっとそれは運命よ。そうねえ、私の感じたところだと…………ねえリュシアン、そのセルジュって人、いい男なの?』


 お母様は明らかに面白がっていた。それも仕方ないだろう、私はずっと「恋愛はしない、結婚もしない」と言い張っていた。そしてお母様はお母様で、そのことをずっと残念がっていたのだ。


 そんな私が、何の縁かこんなところで暮らすことになった。きっとお母様は、私とエミールをくっつけたがると……あれ、でも今出てきたのはセルジュの名前だ。


「セルジュ? 僕が結婚させられそうになったのは、父親のエミールのほうなんだけど」


『そうね。でもエミールさんとあなたとの結婚には、何か事情があるわ』


「根拠は?」


『女の勘よ。あ、今ちょっと馬鹿にした? 結構当たるんだからね、私の勘は』


 鏡の中のお母様が、自信たっぷりに胸を張る。


『たぶん普通に恋仲になれそうなのは、きっとセルジュのほうよ。で、どうだった? 彼』


「母さんったら、本当に好きだね、そういう話……」


 わざとらしくため息をついて、それから少しずつ思い出してみる。


「そうだね……無愛想で目つきがものすごく悪いけど、いいやつだと思う。何だかんだで律儀だし、僕を守ろうともしてくれたな。それに僕が好き勝手やっても、大目に見てくれた」


『あら、いい感じね』


「あ、でも、間違いなく女性慣れはしてない。僕のことを男だと思ってるから、あんな風にふるまえてるんだろうなとも感じる」


 女装して迫ってやろうか、とからかった時の、真っ赤になったセルジュの顔が脳裏をよぎる。ちょっと可愛かった。


『あら、それはいいわね! 私、今後の展開が楽しみになってきたわあ』


「母さん、別に面白いことにはならないよ? 聖女の騒動が落ち着いたら、僕はここを出ていくつもりだし」


『でもそれは、かなり先の話になるんじゃないかしら? ふふ、マリオットの方々と、仲良くね』


「はいはい。で、そっちはどう? 何か変わったこと、あった?」


『そうねえ……ルイが、あなたのことを気にしているの』


 ルイというのはお母様がソナートに嫁いでから産んだ子で、ソナートの王太子だ。とはいえまだ十歳の、可愛い弟だ。


『姉様に会いたいって、こっそりそう頼み込んでくるのよね……』


 お母様は難しい顔をしている。それも仕方がない。私がいるレシタル王国と、お母様がいるソナート王国は、現在国交がない。


 先代レシタル王の時代は、まだ普通に国交があった。でも現レシタル王に代替わりしたときに、レシタル王は先代ソナート王を思いっきり怒らせたらしい。それ以来、二国の交流は途絶えた。


 その結果、レシタルとソナートの貿易もなくなった。上質なソナートの作物や物品が一切入ってこなくなって、レシタルはさらに弱体化していった。


 一応、民が飢えずに済むくらいの食糧は生産できているのだけれど、結構かつかつなのだ。そのせいで、余計に国は不安定に……こうして挙げてみると、ほんといいところないな、レシタル王。


「それはまだ難しいね。僕も、一度彼とは話してみたいけど……」


『そうよねえ。このお喋りに混ぜてあげてもいいのだけれど、一応あの子も王太子だし、ちょっと立場上難しいのよね。私なら、実の娘と話すんだって理由があるからいいのだけど』


 お母様はため息をついて、視線をそらす。そのまま、とんでもないことを言ってのけた。


『まあ、レシタルはもって数年といったところでしょうし、あと少し辛抱なさいって言い聞かせているところなの』


「母さん、身も蓋もなさすぎ……」


『だって、事実でしょう。国交こそないけれど、そちらのことはきちんと調べているのよ』


「ともかく、ルイにはこう伝えておいて。『私も、あなたに会える日を楽しみにしているから』と」


 声をひそめた私たちのお喋りは、それからも続いていた。

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