表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/57

11.聖女の言い伝え

 セルジュが私を連れていった先は、町の中心からは少し外れたところにある店だった。人通りは多すぎず少なすぎず、ほどよくにぎわった区画にその店はあった。


 どうやらそこは、お茶や酒、軽食などを出している店らしい。まだ昼食には少し早い時間だからか、そこそこ席は空いていた。


「こちらだ、リュシアン」


 セルジュは店の中には入らず、店の外、しかもちょっと離れた木陰に置かれたテーブルにつく。とても慣れた足取りだった。


 見渡すと、周囲にも似たようなテーブルがいくつも置かれている。これらのテーブルも、あの店のものなのだろう。


 私がセルジュの向かいに腰を下ろしたその時、給仕が歩み寄ってきた。私と同世代の、おっとりとした可愛らしい女性だった。抱えているメニューを、私たちに差し出している。


「何か、欲しいものはあるか? 分からないものがあれば聞いてくれ」


 メニューを受け取りながら、セルジュが尋ねてきた。顔は怖いけれど、気配りはできるんだな、彼。そもそも今だって、努力して私と話をしてくれている訳で。


 ありがたいなと思いながら、言葉を返す。


「任せるよ。好き嫌いはないし。でもどうせなら、イグリーズの名物とか、そういうのがいいな」


 そこまで言ったところで、ふと思いついた。注文を聞くためにテーブルのそばで待っている給仕に、にっこりと笑いかける。


「ねえ、君のお勧めは何かな? 君みたいに可愛い子にお勧めしてもらえれば、きっともっとおいしく感じられると思うんだ」


 彼女は頬を赤らめながらも、お勧めを教えてくれた。それを踏まえてセルジュが注文を決めていく。ものすごい仏頂面で。


 給仕がぱたぱたと店に戻っていくのを見ながら、セルジュが小声でつぶやいた。


「……よくもまあ、あんなこそばゆい言葉がすらすらと出てくるものだ」


「本心だよ。どうせなら可愛いもの、綺麗なもの、素敵なものに囲まれていたいって思わない?」


「その思い自体は否定しないが……」


「初々しい女性の照れてる顔って、すっごく可愛いよね」


 ついうっかりそんな本音をもらしてしまったら、セルジュは頭を抱えてしまった。


「やはり俺は、お前のことが分からん……」


「まあまあ、これから分かり合えるかもしれないし? ほら、料理が来たよ。うん、すごくおいしそうだ」


 さっきの給仕がまたやってきて、料理と飲み物を私たちの前に置いた。どうぞごゆっくり、と可愛らしく微笑んで。


 彼女に笑い返して、運ばれてきたものに目をやる。


 薄く切ってかりっと焼いたライ麦パンの上に、刻み野菜と卵を炒めたものがたっぷりとのっていて、食べ応えがありそうだ。


 ガラスのジョッキに注がれたジュースは目の覚めるような見事な青紫色で、ほんのり花の香りがしている。


「このジュース、この町の名物か何かかな? あちこちの看板に描かれてるの、これだよね」


「ああ。この辺りに多く咲く花を砂糖水や酒に漬けて、それを薄めたものだ。花の色がそのまま移っているのが特徴だな」


「そうなんだ。いい香りで、とっても綺麗だ……どうせなら、眉間にしわを寄せたごつい男とじゃなくて、可愛い女の子たちと飲みたかったな」


 とどめとばかりに、もう一度軽口を叩いてみる。セルジュは両手で頭を抱えてうめいていた。


 彼は第一印象とは裏腹に、中々にからかいがいがあって面白い。それに、意外と話していて楽しい。気の利いたことは言えないようだけれど、その実直さは好ましい。


 そんな考えを丁寧にしまいこんで、そ知らぬ顔でジュースを飲む。花の香りと蜂蜜の香り、それにハーブのような草っぽい香りがかすかに混ざっていて、意外と複雑な、奥深い味だ。


「……お前のその趣味とやらについては置いておくことにする。ひとまず、聖女についての説明をしてしまおう」


 セルジュは深々と息を吐いて、顔を上げた。どうにかこうにか、立ち直ったらしい。


「聖女とは、ここイグリーズとその周辺に言い伝えられている存在だ」


 精いっぱい厳かに話そうとしているらしいセルジュの目の前で、大きく口を開けてパンをかじる。


 これからどんな話になるのかは分からないけれど、あまり深刻な空気になってほしくはない。肩がこる。


 そんな私の願いが通じたのか、あるいは私ののほほんとした態度に緊迫感をそがれたのか、セルジュが眉をひそめてジュースを一口飲んだ。ちょっとやさぐれたような顔で。


 けれどまたすぐに、彼は気を取り直したように静かに語り始めた。


「……世が乱れ、民が恐れおののく時、その暗雲を晴らすべく聖女が降臨する。人々はその言い伝えを信じ、年に一度あの場所で祭りを開く」


 そこまで言って、セルジュは苦しげに奥歯を噛みしめる。とても小さな声で、絞り出すように続けた。


「……普段なら、もっと気軽な祭りになる。だがここ数年は……」


 世が乱れる時、聖女は現れる。そう、まさに今なんか、その通りの状況だ。レシタル王の好き勝手で、国はめちゃくちゃになりつつあるのだし。


「みなは本気で、聖女を待ち望んでいた。あの舞台、あの祭壇、見ただろう? 野の花を集め、紙や布で様々な飾りをこしらえ、精いっぱい華やかに飾り立てた、あの場所を。あれこそが、民の願いを、その思いを表していたんだ」


「……その祭壇っていうのが、僕が出てきてしまったあそこなんだね」


 そっと尋ねると、セルジュは真剣な顔でこくりとうなずいた。


「最後に聖女が降臨してきたのは八十年位前、だったっけ? きっとその聖女も、僕みたいにうっかりあそこにまぎれこんだ誰かさんなんだろうな」


 食事を続けながら、軽い調子でそう言ってのける。と、セルジュが眉をひそめた。


「……あそこの岩壁には、洞窟なんてない。俺もあの舞台を建てる時立ち会った。この目で確かめた。間違いないんだ」


 そう言って、彼は疑うような目をこちらに向けてきた。


「……本当に、お前は洞窟から出てきたのか?」


「本当に本当だよ。もし言い訳をするのなら、もっとまともな言い訳を考えるってば。僕だって、何がどうなってるのか分からないんだからさ」


 もちろんこれは半分本当で、半分嘘だ。洞窟から出てきたというのと、訳が分からないというのは本当で、言い訳なんてしてませんと主張しているのが嘘だ。


 ……まあ、婚礼の馬車から逃げ出してきたとか、その辺のところを知られたら、それこそ大騒ぎになるというか、たぶんセルジュにものすごく怒られそうな気がするんだよね……。


 エミールは許してくれそうな気がしないでもない。あくまでも勘だけど。


「それについては、後で考えよう。ともかく、聖女はこの辺りの人間にとって、心の支えのような存在なんだ。……特に、国が乱れつつある今では、な」


 最後のほうは、ぎりぎり聞こえるかどうかといった、吐息のような声になっていた。


「大体分かった。それでエミールさんは、万が一に備えて僕をここに留めたんだね。……だけど」


 花そのものを口に含んでいるかのようにかぐわしいジュースをこくりと飲んで、こちらも声をひそめる。


「……セルジュって、聖女の存在については信じてないよね。おとぎ話みたいなものだって、そう思ってるんじゃない?」


「分かるか」


「うん。何となくだけど。そんなあやふやなものに頼るくらいなら、自分の力でみんなを救ってやる! って考えそうな気がして」


 そう指摘すると、セルジュが気まずそうに、でもどこか嬉しそうに肩をすくめた。。


「そ、そう見えるか。……それより、そろそろ食べ終わったし、いったん場所を移そう。どうも落ち着かない」


 彼の言葉に周囲を見渡すと、確かに他の客や通行人たちと目が合いまくった。どうも、領主の息子であるセルジュが、よそ者の青年と親しげに話し込んでいるのが珍しいらしい。


 そしてセルジュは、注目されているせいで照れているらしい。目つきが悪いし愛想もないのに、こういうところは可愛らしい。


 ジュースの最後の残りを一気に飲み干して、席を立った。口元に、大きな笑みが浮かぶのを感じながら。




 そうしてぶらぶらと、イグリーズの町を歩き回る。いずれは一人で自由に歩きたいし、早いところ町の地図を頭に入れてしまおうと、そう思ったのだ。今ならちょうど、案内役もいるし。


 しかし町外れの、ちょうどエミールの屋敷から一番離れた辺りにやってきた時、セルジュがぴたりと足を止めた。彼の視線は、細い路地の奥に向けられている。


「ここから先はやめておけ。昼間こそ静かだが、夜になると酒場が一斉に開く。そこに集まる人間の中には、少々荒っぽい者もいるからな。女子供は、昼間でも近寄らない」


「僕、女でも子供でもないけど」


「だが、か弱いことに変わりはない。……やけに見た目が整っていて品があることも、な」


 こんなことを面と向かって言われては、どう反応していいか分からない。彼はまだ、私が女だと気づいてはいないようだけれど。


「セルジュ、それって馬鹿にしてるの、それとも褒めてるの?」


「……一応、褒めたつもりではあった。俺がいれば守ってやれるが、一人では危ないと、そう言いたかった」


 ……本当に、私が女だって、気づいてないんだよね? という思いが表情に出そうになるのをこらえて、あいまいに微笑む。


 その時、路地の奥から男が二人、姿を現した。真っ昼間から飲んだくれていたらしく、ものすごく酒臭い。


「おうおう、こんなところにべっぴんさんがいるじゃねえか」


「ってなんだよ、男じゃねえか」


「これくらいきれいなら、男でもいいんじゃねえか? ようそっちの小さい兄ちゃん、俺たちと飲まねえか?」


 その言葉に、セルジュが私をちらりと見た。それから男たちに、きっぱりと言い放つ。


「あいにくと、彼は俺の連れだ。その誘いに乗ることはできない」


 そう言って、彼はさりげなく私と男たちとの間に割り込んだ。目の前にある広い背中は、とても頼もしく思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ