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10.イグリーズの町へ

 こうして私は、本来結婚させられるはずだったエミール・マリオットの屋敷に、客人として滞在することになってしまった。


 しかも、伯爵令嬢リュシエンヌ・バルニエではなく、ただの旅の青年リュシアンとして。とどめに、私には聖女かもしれないという謎の疑いがかかっている。一歩間違うと、町中から大歓迎されかねないらしいのだ。


 こんなことになるなんて、誰が想像しただろうか。


 私がたまたま知っていた洞窟の出口が、よりにもよってマリオットの屋敷のあるイグリーズの町の近くにつながっていた。


 それだけでもとんでもない偶然なのに、私が洞窟から出てきたその時、その場では聖女を迎える祭りなんてものをやっていて、よりによってその舞台の上に私が突然現れてしまって。


 その結果、私は聖女扱いされ、ここに足留めされるはめになってしまった。


 ……こうして思い返してみても、ありえない。何なのこの偶然、どうかしてる。他の誰かがこんな目にあったって言っても、絶対に信じない自信がある。それくらいにおかしい。


 そんな風に嘆きつつ、ひとまずマリオットの屋敷の離れに泊まった。


 しょっちゅうバルニエの屋敷を抜け出して男装でふらふらしていた私だけれど、外泊したことはない。さすがにそんなことをしたら、脱走しているのがばれてしまうからだ。


 だから、バルニエの屋敷の自室以外で眠ったのは初めてだ。でも案外、ぐっすり寝られた。


 さわやかな気分で目覚め、大急ぎで男装して、運んでもらった朝食をきれいに完食する。自分の順応性の高さがちょっと誇らしい。


 それから離れを出て、そのまま屋敷の正面の門に向かった。せっかくだから、イグリーズの町に遊びにいこうと思ったのだ。


 別に外出は禁じられていないし、聖女の噂が広まるにはまだしばらくかかるだろう。遊ぶなら、今のうちだ。


 そんなこんなで、意気込んで出かけた訳だけれど。


「……あのさ、どうして君がついてきてるのかな?」


「父さんの命令だ。イグリーズは治安がいいが、それでも足を踏み入れないほうがいいところもある。お前が町に慣れるまでは、ついていてやれと言われた」


 屋敷の門を出てすぐに、セルジュが追いかけてきたのだ。たいそう不服そうな顔で。


「女子供じゃあるまいし、そこまで過保護にしなくても大丈夫だってば。あと、その眉間のしわ何とかしたほうがいいよ」


「生まれつきだ。それはそうとして、お前は細身でか弱そうだからな……おまけにやたらと美しい。男とは言え、良からぬ気を起こす馬鹿がいないとも限らない」


「ふうん、セルジュは僕のこと、そんな風に見てるんだ?」


 生真面目にそんなことを語るセルジュを、ちょっとからかってみた。そうしたら彼は、真っ赤になって首をぶんぶんと横に振っている。面白い。


「お、俺は一般論を述べたまでだ! 男をそんな目で見る訳ないだろう!」


「……女装して迫ったらどうなるかな」


「頼むからやめてくれ! どうしていいか分からん!」


 どうやらセルジュは見た目通りの堅物、というより女性に免疫がないタイプのようだった。


 実母のこともあるし、私がエミールのところに素直に嫁いできていたなら、たぶん口もきいてもらえなかったんだろうなと、そんな気がした。


 頭を抱えてしまったセルジュに謝って、二人一緒にイグリーズの町に繰り出していく。別に彼を拒む理由もないし、なんなら町の案内でもしてもらおうかなと思ったのだ。


「あっ、セルジュ様だ! おはようございます! そっちのお兄ちゃんも、おはよう!」


「おはようございます、セルジュ様、それと……ご友人の方」


 みんなセルジュの顔は知っているようで、子供やら老人やらが次々と声をかけてくる。昨日の祭りの時も思ったけれど、彼はかなり人気があるらしい。顔、怖いのに。


 そしてセルジュが女性を苦手としていることも、よく知られているらしい。若い女性たちはこちらに近づくことなく、ちょっと離れたところから会釈してくる。


 彼女たちはセルジュを憧れの目で見てから、隣にいる私を興味むきだしの目で見ていた。


 隣のセルジュをちらりと見てから、そんな女性たちに笑いかける。とたん、彼女たちがそわそわし始めた。浮きたっていて、とても可愛らしい。


 そんな姿を見ていたら、ついついいつもの癖が出てしまった。すっと歩み出て、彼女たちに話しかける。


「こんにちは、素敵なお嬢さんたち。僕はリュシアン。旅人だよ。訳あって、マリオット様のところに滞在してるんだ」


 いつもよりつややかな甘い声で、女性たちに話しかけた。それも、ちょっと切なげな笑みを浮かべながら。


 どうも世の中の若い女性は、私のこんな表情に弱いらしい。かつてルスタの町で色んな人たちと話しているうちに、自然とそんなことに気づいていた。


「僕、このイグリーズのことはろくに知らないんだ。よかったら色々教えてくれないかな?」


 ルスタの町をぶらぶらしていた頃、よくこうやって女性たちに声をかけた。そうして一緒にお茶やコーヒーを飲みながら、ゆったりと談笑していたものだ。とても楽しいひと時だった。


 まあ、要するにナンパと呼ばれる行為ではある。でも、様々な情報を集めるのには一番なのだ。


 父の意向により、私は箱入りの令嬢となるように育てられていた。そのせいで、他の令嬢たちとの交流もあまりなかった。だからレシタル王国の現状とか、他の貴族の動向とか、そういった情報を知る機会には恵まれなかったのだ。


 もっとも当の私はこっそり屋敷を飛び出して、たまたま出会った恩人から様々な技術を学び、脱走と男装の名人になってしまっていたのだけれど。


 そうして私はその技術を駆使して、町の人から情報を得るようになっていた。


 それは噂話に過ぎない、ささやかなものが多かったけれど、それでもたくさん集めれば、色々なことが分かった。


 そうして外のことを知るほどに、もっと知りたい、もっと知らなくてはという思いもつのっていた。


 このまま箱入りの令嬢としてどこかに嫁いで、そのまま幸せになれる保証はない。乱れ、壊れていく国に巻き込まれて破滅してしまわないとも限らない。


 そんなことになる前に逃げ出すために、私はしっかりと目を開き、耳を澄ませていなくてはならないと思ったのだ。


 ……と、長々とそれらしい理由をつけてはいたけれど、単純に女の子たちと話しているのは楽しかったのだ。年の近い女性たちがにぎやかにはしゃぎ、笑いさざめく様を見ているのは好きだ。


 通い慣れたルスタとは違い、ここイグリーズでは私の顔を知る者はほぼいない。でもきっと、彼女たちは誘いに乗ってくれるだろうと思っていた。


 ところが彼女たちは、困ったような笑みを浮かべて互いに顔を見合わせていた。それからちらりと私の背後に目をやる。中の一人が、申し訳なさそうに口を開く。


「……その、リュシアンさんはセルジュ様のお連れ……なんですよね。セルジュ様って、女性の多い場所は苦手ですから……」


 なんと、遠回しに断られてしまった。しかもセルジュのせいで。


「ああ、気にしないで。君たちみたいな素敵な子たちとこうやって話せただけで、僕は満足だから。また機会があれば、その時はよろしくね」


 残念な気持ちを隠して軽やかにそう言うと、彼女たちはほっとしたような顔になってうなずいた。


 彼女たちに手を振って、その場を離れる。十分に離れたところで、先にセルジュが話しかけてきた。


「……おい、リュシアン。今のはなんだ。やけに甘ったるい声を出したりして」


「何って、あの子たちと一緒にお茶がしたかっただけだよ。お茶やお菓子を一緒に食べながら、話に花を咲かせる。とっても楽しいよ。僕の趣味の一つだね」


「…………趣味……?」


 しかし私の言葉を聞いたセルジュは呆然とした顔で、あらぬ方を見つめている。相当衝撃を受けたような顔だ。


「……駄目だ、いくら考えても理解できない。だがひとまず、俺がついている間は、ああいったふるまいは控えてくれ」


「けち」


「……すねても、譲らんぞ。だいたい話がしたいのなら、俺に話しかければいいだろうが」


「セルジュ、話とか苦手だろ。付き合いの浅い僕にも分かるよ」


「……まあ、そうだが……努力する。何か、聞きたいことは?」


「あ、せっかくだし、この機会に聖女のことを教えてほしいな。僕、聖女について全く知らないから。どうせそのうち噂になっちゃうんだろうし、その前に必要なことを知っておきたいんだ」


 自分が聖女ではないという自信はある。でも、その言い分がどれくらい通るか。そして、今後どう立ち回っていくのか。それについては、聖女についての情報をもっと手に入れてからでないと判断できそうにない。


 セルジュは気を取り直したようにうなずいて、小さくため息をついた。


「……分かった。小腹も空いたし、何か食いながら話そうか。……俺では、女性たちのように楽しく談話とはいかないだろうが」


 生真面目にそう言って、セルジュは歩き出した。彼と二人でお喋りというのも案外悪くはないかもしれないな、などと思いながら、その隣を並んで歩いた。

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