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シベリアの異邦人 ~ポーランド孤児と日本~ 連載版  作者: 米森充


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第27話「ヨアンナの結婚」


 ユダヤ人のゲットー蜂起が収束を迎えてもなお、ヨアンナの様子は落ち着かない。


 あれだけの惨劇を目撃して平気な人の方がおかしいと思うが、ヨアンナはあまりにも前のめりに関わり過ぎた。

 精神的に深い傷を残した人は多い。ヨアンナもそのひとりだった。


 とてもじゃないが、見てられない。


 

 憔悴しょうすいするヨアンナを周囲の者たちが心配する。

 特にフィリプはどうしたらヨアンナを元気づけられるのか?愛するヨアンナ。できれば自分の愛で彼女を救えたらどんなに良いか?


 フィリプは意を決し、すべての勇気をかき集め、思いを告白しようと思った。

 ヨアンナの心の中にまだ井上敏郎がいる事は知っている。此処ここで告白しても、玉砕は免れないだろう。

 

 それは悲しい。できれば避けたい。今振られるより、いつまでも心の中に秘めていた方が、微かな希望に傷をつけないだろう。ぬるま湯でも良い。その方が楽だから。

 でも瀕死の心に喘ぐヨアンナを見てられない。もし此処ここで告白して(あえ)ない結果になろうとも、自分をさいなむ孤独と闘うヨアンナの心には届くだろう。

 必死で真心を訴えれば、きっと氷の気持ちも溶けてゆく。孤独から解放される。

 そう信じて告白しよう。もう自分の立場なんて、どうなっても良いではないか。自分は男だ。心で泣いて散るのも悪くない。

 

 そう、全ては愛するヨアンナのために。でも戦乱渦巻くこの時節、いつ何時なんどき何が起こるか分からない。今しか機会はない。この時を逃したら、二度とチャンスは来ないかもしれない。


 できるだけそばにいるよう努力し、彼女の信頼と安心を僅かでも勝ち得たかもしれない今、打ちひしがれ、先行き不透明で不安に駆られるヨアンナを愛する者として、庇護者に立候補し名乗り出よう!


 そしてある日とうとう告白の時は来た。本当はビスワ川(ワルシャワ市内を流れる川)のほとりなどに連れだって、ロマンティックな環境の中で誠意を示すべきだったのだが、ナチスの兵士がいたるところに存在する状況ではとてもではないがふさわしくない。仕方ないが彼女の居住するアパートで告白しよう。

 そしてエヴァ達が忙しく動き回る中、二人だけになるチャンスが来た。


 今だ!

「ヨアンナさん、少し良いですか?大切なお話があります。」

 まただ!声が上ずってしまった。(畜生!!)しかし心の声を押し殺し、平然を装い彼女の答えを待った。

 その改まった様子に何かを感じたのか、彼女は少し緊張したような強張った表情になる。

「はい、何でしょう?」

 彼の正面に向き直り、彼女は聞いた。緊張した面持ちでハンカチを握りしめながら口を開く。

「手短に言います。私と結婚していただけませんか?この戦乱の非常時に、貴女あなたの置かれた今の環境で唐突にこんなこと言われても困惑するのは分かっています。

 歳の離れたこんなオジサンに告白されるのは迷惑かもしれません。それでも貴女に私の気持ちを伝えたい。打ちひしがれた貴女の心を私の愛で満たしたい。孤独と不安と危険から守りたいのです。

 この地は危険と不条理に満ちています。貴女を理解し心から愛し続けたい私の気持ちを、どうか受け取ってください。全力で幸せにします!」

 長い沈黙が続いた。こわばる彼女の表情からは答えは見えてこない。

 この不安と緊張は永遠に続くのか?そう思った時、彼女の重苦しい口が開いた。

「おっしゃることは分かりました。私が寂しい孤児だから同情しておっしゃっているのではないのですね?

 それでは少し時間をください、考えさせていただきたく思います。」

「この場で断らないと云う事は、少しは脈があるのですか?」

「もちろんです!真剣に考えさせてください。でも突然だったし、今の私の状態を考えると、すぐには答えを出せません。」

「良かった!この場で即座に断られるかと思っていましたので。待ちます!いつまでも待ちます。ええ、待ちますとも!」


 その日からヨアンナの様子がまた違って見えた。以前の亡くした者を弔うのとは違った、もの思う表情にエヴァは首をかしげるのみでその事には触れられない。ただ黙って見守るのみであった。


 夫のミロスワフはヨアンナを気遣い、努めて陽気に振る舞う。

今日あった出来事をエヴァに話すふりをして、面白おかしくヨアンナに聞こえるように話した。


 時折「フッ、」と小さく笑うヨアンナを見て、夫婦で顔を見合わせ安心するのだった。 ヨアンナは心の葛藤を隠そうとしても、エヴァたちにはお見通しのようだ。

   


 私の心には愛しい敏郎さんの住む場所がある。

 其処そこは永遠に私と彼の隠れ家。誰にも邪魔されたくない。


 確かにフィリプは実直で優しく、いつも自分を見てくれている。何をも置いて私の元に駆けつけてくれる。

 この気が狂いそうな残酷な世界にあって、フィリプの真心も唯一無二、かけがえの無い宝物なのかもしれない。疲れ果てた私の心を、あの人の温かさが癒やしてくれるかもしれない。

 私はあの方を愛することができるのか?敏郎さんを愛おしいと思うのと同じように愛せるのか?


 私の心には敏郎さんの部屋がある。同じくあの方の居場所も作ろう。

 身勝手なお願いだとは分かっている。それでも良いと言って下さるなら、このお話を謹んでお受けしよう。ヨアンナはそう決心した。


 数日後フィリップが再度訪れた時、待ち侘びていた返答を受けとった。

「こんな私ですが本当によろしいのですか?私には何もございません、身ひとつで嫁ぐ事になります。・・・・それに・・・言いにくい事ですが、私の心には、ある方の忘れられない大切な思い出があります。それは捨て去る事はできません。自分勝手な願いですが、そんな私でも受け入れてくださいますか?」

 

 フィリプは真っ直ぐヨアンナの眼を見て

「もちろんです。貴女の心にはあの日本人の方が住み着いている事など、百も承知で告白しました。でも私には貴女が必要です。また、貴女にも私が必要だと信じています。だから私の命に代えても一生あなたを守ります!愛し続けます!ああ、神よ!心から感謝いたします!」

 天にも昇る気持ちとはこういうときの事を云うのだろう。


 土砂降りの雨の中、喜びのあまり傘も差さずずぶ濡れになりながら踊り出したくなる。そんなシーンを連想する程、フィリプは幸せの頂点にいた。



 エヴァ夫婦はいつもと違うヨアンナの様子にフィリプと何かあったな?とは思っていた。

 確信はなかったが多分そうだろう。しかし真相を打ち明けられると、意外なほど驚きのリアクションをした。


 ヨアンナが結婚?!

 そして誰よりも喜んでくれた。ほどなくヨアンナは慎ましやかな式を挙げた。

 

 エヴァとミロスワフ、それにエミルやアレックたち、ワルシャワに同行していた昔からの仲間が祝福してくれる。

 この世の中で誰よりも美しい花嫁。出席した誰もがそう思っただろう。咲き誇る花のような祝福を受けたその瞬間、世界で一番輝いていた。

 戦時中と云う事もあり、高らかな教会の鐘は鳴らせないが、心の鐘は「ゴーン、ゴーン」重厚な音色を響かせ渡った。


 フィリプとヨアンナは用意したワルシャワ市内の一角のアパートの新居に移り、暗い世相の中、精一杯の明るい新婚生活をおくる。


 しかしそんな幸せな日々は長くはなかった。


 ついにワルシャワ市民たちが立ち上がった。ユダヤ人のゲットー蜂起に続く、ワルシャワ市民蜂起の時が来た。








          つづく


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