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第2話  ポーランド・ソビエト戦争

ここでポーランドが歩んだ苦難の歴史をかいつまんで見てみよう。






 それまでポーランドは周辺列強からの理不尽な武力を背景にした分割を経て、ロシアの完全支配の下にあった。

 近年ではヨーロッパを席巻したナポレオン戦争の戦後処理がポーランドを奈落の底に落とす。

 今から約200年前、ナポレオン没落後の1814年から15年、欧州秩序を再構築するためウィーン会議開催。


 ウィーン体制が敷かれる事となる。

 その中でポーランド関連の取り決め条項は、ポーランド・ワルシャワ公国を廃止し、代わってポーランド立憲王国設立。

 ロシア皇帝はそのポーランド立憲王国の国王を兼任する。


 こうして100年間ロシアの支配を受けたポーランド。

 そこに第一次世界大戦(1914~1918)勃発。それはヨーロッパ全体を覆いつくす人類史上、未曾有みぞうの大戦争だった。


 その大戦争の最中、ポーランドに独立の千載一遇のチャンスが訪れる。

 大戦末期の1917年、ロシア革命が起き、支配者であるロマノフ王朝のロシア帝国が倒れたのだ。

 しかしまだロシア国内はボリシェビキやメンシェビキ・反革命勢力などが互いに争う情勢下にあり、混とんとしていた。


 ソビエト連邦成立(1922)前の混乱期、ポーランドはその間隙を縫ってパリ講和会議の結果を受け独立。

 1918年11月ポーランド共和国が成立した。

 過去3度にわたるポーランド分割によるロシア国家の支配。

 そんな屈辱と悲哀と苦難に満ちた過去から、ようやく悲願の独立を果たしたポーランド。

 かつてのポーランド・リトアニア共和国の栄光を取り戻すべく、講和会議で得られた領地から更に西、ベラルーシ西部およびウクライナ西部での(分割前1772年8月5日以前と1791年以降の領土)失地回復を図るべく、ロシア内戦の混乱に乗じて1919年2月ロシア・ボリシェビキ政府に対し侵攻した。


 1920年、ポーランド軍はキエフ(現ウクライナ首都キーウ)を占領、大きく進撃したが、1920年4月以降赤軍が反撃開始、同年6月逆にワルシャワが包囲された。







       つづく

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ポーランドが大国でロシア等を攻めたてていた栄光時代が載ってないなぁ
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