召喚先は魔王城でした
ぺちん、と小さな落下音がした。
床は石畳でひやりと冷たい。柱も壁や天井もすべてが石造りで、無機質な光景が視界に広がる。
「いったぁー、何ココ?」
軽く尻餅をついた紀邑アリサは、知らない場所に首を傾げる。つい先ほどまで高校からの帰宅中だった。友だちと買い食いに寄り道し、彼女らと別れた矢先、足元が発光し気付けばここにいた。
スマートフォンを見ていたときだったので、発光をまともに見てしまい視界が馴染むまで、何度も瞬きを繰り返す。いる場所の暗さに慣れてから、広間らしき場所をきょろきょろと見回すが、後方の両開きのドアを除いて窓もないため、どこを見てもかわり映えがない。
入り口のドア以外に目を引くものがあるとすると、正面にある玉座ぐらいなもの。その玉座には、鷹揚に座る男がいた。
紅い眼とかち合う。
「カラコン? キレー。どこで売ってんの、ソレ」
「娘、もう用は済んだ。どこへなりと、去れ」
アリサの感想に取り合わず、男は一方的に告げた。
「角とかマジホンモノみたいじゃん。触っていい? えー、ハロウィンのがち特殊メイク? それとも、映画の撮影かなんか? マジやば。あ、どっか行けって、ウチ帰っていい感じ?」
「……勝手に触れるな。お前が元の世界に帰る方法など知らん」
銀髪から生えた漆黒の角は羊のように後方に巻いている。マントもある黒い装束も銀糸の刺繍が施され、見事なものだった。それを身につけた男は、造り物かと思うほど整った顔を歪めた。
しかし、無遠慮に髪や角に触ってくるアリサに対し、言葉だけで注意し、彼女の質問にも端的にだが答えた。
男の容姿に感心しきっていたアリサは、彼の説明を聞き、家に帰れないらしいことを理解した。そして、角に触れていた手を言われた通り離す。
「てか、ココどこ? あ。あたし、アリサ。リサでもアリィでも、呼ぶのはなんでもいいよ。イケメンは何てゆーの?」
「魔界だ。お前の名前には興味ない。人間は魔王と呼ぶ」
去れと言われてもアリサは、現在地点すらどこかも判らない。訊く相手は目の前の男しかいなかった。訊ねる以上、自己紹介をしておく。合コンのときと同じノリで。
男は、用はないと突き放した割に、アリサの質問にはきちんと答えてくれた。
「マカイって、魔界? ゲームとかであるヤツ? 魔王ってマジ? マジモンの魔王、初めてみたし」
疑問符ばかりのアリサの感嘆に、魔王は呆れて頬杖をつく。その仕草すら魔王っぽいと揶揄されて、彼は嘆息を零した。
「けど、なんであたしココにいんの?」
魔王の実在、および遭遇にはしゃぎきったあと、アリサは首を傾げた。そもそも、どうして自分はこの場所にいるのか。
「俺が、人間の召喚を邪魔した」
魔王は事も無げに言うが、アリサには意味が解らない。
「ショーカンって、異世界召喚ってヤツ? 最近のアニメ、異世界ついてるの多いから何コか見たことあるよ。ケッコー面白いよね、タイトル全然覚えられないけど」
「……よく喋るな」
「でも、あたし、何のために召喚されたの? 聖女ってヤツ? 聖女って、バージンじゃなくてもアリな感じ?」
ガラじゃなくない、と可笑しそうにするアリサに、魔王は数多の感想を無視して質問にだけ答える。
「勇者だ」
「ユーシャ……」
「人間は、数百年に一度、魔界の瘴気に耐性のある者を召喚して、魔物の駆逐に奮起する習性があってな。今回はお前がそれだ」
「えぇ……、ソレって、あたし人殺し……てか魔物殺し? 頼まれそうになってたってこと? マジ無理なんですけど。ペット虐待とかのニュースだってマジ下がるし」
「お前がどうかは知らんが、瘴気の濃いこの魔王城で突っ立っているのだから、資質はある」
「やだから、あたしとしてはジャマしてくれてラッキーだけど、魔王はなんでジャマしたの?」
「人界を侵略していないからだ」
アリサが現在魔王城にいるのは、魔王の召喚妨害が働いた結果と判った。しかし、この世界の事情を知らないアリサには妨害理由が解らなかった。
質問すれば答えてくれる魔王は、この世界の事情を教えてくれた。
聖なる神を信仰する人間の暮らす人界と、瘴気を親しむ魔物が暮らす魔界は、地続きの一つの大陸にある。大陸を縦に割るように走る山脈を境にして、それぞれが暮らしているのだが、人間は魔物の脅威を恐れ、魔界側が侵略行為をしなくとも勇者を召喚して襲ってくるのだという。
「俺が魔王になって千年以上経つが、人間は数百年すれば恐怖を忘れるか、恐怖を思い出してはやってくる。それが面倒でな」
「魔王、めっちゃ長生きじゃん」
アリサは規模がデカすぎる、と逆に事の重大さが解らなくなった。魔王にとっては日常茶飯事に近い出来事のため、ある意味、彼基準になったともいえなくない。
「あたしの友達にも、金パでツーブロックで目つき悪いからって、よくケンカ売られるのいるよー。ガテン系のお父さんに小さい頃からよく脱色されてたんだって。けど、めっちゃいいヤツでさー。猫とか犬拾っては里親探してんの。もう、一度目が合うとヤバいんだって」
「……何が言いたい」
「とりま、見た目コワいと大変じゃんね」
魔王が主旨を訊ねると、アリサはけろりとそんな感想で魔王の事情を済ませた。
最初から怖がられていると取りつく島がない。先入観だけで決めつけられてしまい聞く耳を持ってもらえず、冷静に話し合うこともままならない。友達と魔王では規模こそ違うがそういうことだろうとアリサは結論付けた。
「お前は怯えていないようだが」
初対面から無遠慮に接触してきたアリサを、魔王は半眼で見つめる。
「だって、スタジオとかめっちゃ行くし、キャストとかでそーゆーの見慣れてるもん。ホラゲコラボのときのゾンビメイクとか、鬼ヤバいよ?」
アリサがよく行く遊園地のキャストスタッフの特殊メイクや演技は迫力がある。視覚的なインパクトとしては、人型なこともあり魔王をそこまで怖いとは感じなかった。
けろっとした調子のアリサを、魔王は紅い瞳を丸くして見返した。人間に畏怖や憎悪以外の眼で見られることがこれまでなかった。
「そうか」
「そーそー」
薄暗いだだっ広い広間だというのに明るく笑うアリサに、魔王は毒気を抜かれたようだ。
「てか、魔王はこんな椅子しかない部屋で暮らしてんの。暗いし寒くない?」
自分が座る場所すらないため、アリサは玉座に続く階段の一番上に腰を下ろす。
「ここは人間が襲撃してきたときのための迎撃用だ。住居をいちいち破壊されては敵わん」
「げーげき? 魔王ってそんなムズく話してめんどくない?」
「お前の話し方も相当クセがあるぞ。少し頭を貸せ」
いうなり、魔王はアリサの染めた金髪に触れた。熱を測るような仕草、というよりはバスケットボールを掴むように。触れた部分がぽう、とほのかに光り、そして数秒で落ち着いた。
「うむ。わかった」
「え。今、何したの?」
アリサは光ったところをぺたぺたと触ってみるが、特に変わったところはない。
「お前の経験してきた情報を読み取っただけだ」
「スキャンみたいなこと? 魔王ってハイテク感ぱないね」
「まぁ、お前よりは、よほど高性能だろうな」
アリサの価値観やこれまでの文化形態を読み取ったらしい魔王は、彼女の言葉を理解したうえで嘆息した。
「ねぇねぇ。帰るトコないから、今日は魔王ん家泊めて」
「去れと言っただろう」
「でも、あたしココのこと全然知らないしさ。どこに行ったらいいかわかんないもん」
魔王は何度目かの嘆息を零した。
知らない世界にきて、出会ったのが魔王だけだったため、アリサは彼を頼ることにした。
訊いたら答える魔王は、頼めばある程度のことは聞いてくれた。彼は存外人がいい。魔王城の広間にいた二人は、魔王の移動魔法陣によって一瞬で彼の住居の前へと移動した。
「ワープ超便利だけどさぁ、コレ、デブらない?」
「人間のお前とは規格が違う。太ることはない」
「どれだけ食べても太らない体質!? 鬼ヤバ!」
アリサには羨ましすぎる体質だ。友達との買い食いが好きなアリサは、着たい服を着るためにヨガや筋トレゲームを日課にしている。食べた分運動しないと太るのだ。
そんなことで羨望の眼差しを受けるとは思っていなかった魔王は、アリサから煩わしげに視線を逸らした。手下の魔物から受ける畏敬の念とは質を異にしており、要は嬉しくない。
「魔王ん家って、けっこーアットホームじゃん」
意外そうにアリサは目の前の家を眺める。見上げるほどの高さはなく、一階だけの家だった。上があっても屋根裏部屋ぐらいなものだろう。隣に家庭菜園らしきものもあり、一人二人が住める程度のそれなりに生活感のある家だ。
森の中にあるこんな家をアリサは見たことがあった。
「ヘンゼルとグレーテルの魔女の家っぽい!」
「魔王の家だ」
魔女の家ではないという魔王の否定をあまり聞かず、アリサは大きな釜があったりするのかと興味津々で彼の家へと入った。小さい頃、アリサが絵本でみた魔女の家は、雑然として薬草などがぶら下がり、大きな釜が暖炉にあったが、この家は食卓や椅子など生活に必要な家具が配置された一人暮らしの男のそれだった。
花を飾ったり、彩りのよい絨毯やカーテンなどがない色合いが質素な家だ。
「魔王、今彼女いないでしょ」
「どうしてそう思う」
「そーゆー感じするもん」
家の内装を見て判断したアリサの指摘を、魔王は否定しなかった。
「いやぁ、よかったぁー。彼女いたら、さすがに泊まるのよくないし」
アリサはほっと安堵する。泊めてほしいと頼んでおいてなんだが、恋人などがいたら、その相手に嫌な想いをさせてしまうかもしれない。アリサだって、修羅場は御免被りたい。
「魔物はより強い魔力に惹かれる。だから、相手には困っていない」
「うわ、モテ男発言。そのカオなら仕方ないかもだけど、あたしはそーゆータイプナシだわ」
「どうとでも。人間とは価値観が違う。魔物は欲望に忠実なんだ」
人間の道徳など知ったことではない、という魔王。人のかたちをし、言葉を交わせるが、彼は別の生き物なのだとアリサは理解した。
「どっちもタイプじゃないなら安心か。ま、しばらくよろー」
「一晩だけじゃないのか……」
厚かましいな、といいながらも魔王はアリサを追い出しはしなかった。
元の世界に帰れないと解ったアリサは、魔王からこの世界のことを教えてもらうことにした。彼は、訊けば答える。そして、脅威ではないアリサがいても気にしない。
「魔王って、スマート家電感ぱないね」
二日目にしてアリサは魔王の便利さに感嘆することになる。
彼の家にはハウスキーパーなどはおらず、すべて彼の魔力で家を維持·管理していた。
朝になればカーテンは勝手に開き、起きてこないアリサは浮かされて食卓まで運ばれた。食事は魔王が作ったが、食器や調理器具が勝手に彼のもとにきた。それを見て興奮したアリサが、映画で観たように食器たちを喋らせてほしいというと、その必要がどこにあると却下されたので、きっとやろうと思えばできるのだろう。
「AI扱いか」
便利な道具扱いに、魔王は解せないと顔を顰める。アリサの文化知識をすでに知っている彼とアリサに言葉の齟齬はない。
「だって、ご飯のとき、配信とか見たいっていったら、ディスカバリー的なの流してくれたじゃん」
「視察がてら遠方の地を映しただけだろう」
事も無げに魔王はいうが、アリサからすればその投影自体がミニシアターさながらで面白かった。訊けば答えてくれる魔王の音声ガイド付き。アリサが見たこともない魔物や土地のことを朗々と語る魔王の声は、聴いていてとても心地よかった。
しかし、道具扱いに不服そうなので、アリサは他の褒め言葉を探す。たしか、他に適当な表現があったはずだ。
「……っあ! スパダリ! 魔王ってちょースパダリ感ある」
少女マンガで、顔がよく何でもできるハイスペック男子をそう呼んでるのを思い出した。マンガでは言わずとも先んじて厚待遇でもてなす、常に甘やかな微笑みをした男性を指しており、愛想なく主張しないと要望を叶えない魔王とはいささか違っているのだが、アリサにはささいな誤差だった。
「この良さを知ると戻れなくなる危険な感じ……、人をダメにするクッション並にヤバいよ!?」
「おい。また物に戻っているぞ」
アリサなりに言葉を尽くして魔王を褒めようとしているのだが、彼女の語彙ではどうにも魔王のお気に召さないらしい。
「堕落するなら勝手にしろ」
誰も止めない、と魔王はにべもなく告げる。
「フツー、叱らない?」
「魔界とはそういうところだ」
魔物と人間の基準とは違うと、アリサは魔王に教わる。魔界では欲望に忠実であることが美徳であり、規律や正義などの正しさは何の意味もなさない。
「人間の秩序のなかにいたいなら、封印を施して人界へ転送ぐらいはしてやる」
「フーインって何すんの?」
「今は自身の浄化だけしかできんが、神の洗礼を受けるとお前は魔を祓う力に目覚める。だから、洗礼を受けられないようにする」
「うーん……、あたしって練習したら魔王みたいに魔法使えたりする?」
「お前の力は、魔の浄化のみに特化した力だ。それ以外はない。仮にできても魔女として人間から迫害を受けるぞ」
「えぇ、使えたら便利だと思ったのにぃ」
「で、どうするんだ」
魔法を使う素質がないと知り残念がるアリサに、魔王は先ほどの選択肢を再度提示した。
「もうちょっと考えるー。ココ居心地いいし、人いるトコとどう違うか、まだわかんないもん」
アリサの選択は保留だった。判断材料が少ないと答える彼女に、魔王は紅い瞳を丸くする。
「短絡的かと思ったが、存外頭は悪くないんだな」
「それって、あたしがチョロそうってコト?」
アリサがむっとして魔王を睨んでみせると、彼のは可笑しそうに口角をあげた。
「そうだ」
だから意外だと魔王は、くつくつと喉を鳴らす。
初めて目にした魔王の笑みに、アリサは頬を熱くする。
「あ゛ーっ、イケメンズルいー!!」
チョロくないと反抗したそばから、顔だけで悪く言われたことを許してしまいそうになる。というか、許した。急に人形のように無機質な顔に血の通った笑みをのせないでほしい。
「魔物の美醜は極端だからな。恐ろしく美しいものにも、恐ろしく醜いものにも、魔力が宿る。平凡な容姿のものは、惑わすための擬態だ」
自身の容姿が特筆していることを当然とする魔王は気付いていない。アリサとて初対面から彼の見目のよさは十二分に解っていた。今しがたの不服の訴えは、彼の態度が緩和されたことによるものだ。
アリサのタイプではなくとも不意打ちの笑みは心臓に悪い。
「……あたし、もうしばらくココにいていいの?」
「勝手にしろ。次の勇者を召喚できる神気が溜まるまで数百年はある」
「はは、そのときにはあたし死んでるって」
数年のノリで魔王はいうが、アリサの寿命よりずっと長い。魔王にとってのしばらくは自分の寿命が尽きるまででもおかしくないな、とアリサは思った。
「じゃあ、よっしく」
自分の存在の有無は些事だというので、アリサはお言葉に甘えることにした。
こうして女子高生だったアリサは魔王と暮らすことになった。
魔王の家に居候するようになって数週間、平穏に日々が過ぎた。魔物の跋扈する魔界にいながら平和とは妙だが、少なくともアリサの周囲は平和だった。
魔法こそ使って容易にしているが魔王は手料理を振る舞ってくれるし、しかも美味しい。アリサが激辛料理が食べたい、フライドチキンが食べたいといえば相当のものを作ってくれる。
聞くとアリサが好きな唐辛子や黒胡椒を使ったスパイシー系料理は、こちらの人界では宗教上の理由でメジャーではないらしい。オーガニックも嫌いではないが、そればかりでは飽きてしまう。時々ジャンキーなものを食べたくなるアリサには、魔界の食生活の方が適していた。
服装にしてもそうだ。こちらの人界では女性はみだりに肌を晒してはならないらしく、踊り子や遊女など、特定の業種を除いてアリサの趣味とは違った。あと、髪は染めたらダメらしい。
髪を気分に変えて染めたいし、ミニスカやダメージジーンズなども好きに穿きたいアリサにはどんなファッションも許される魔界のスタイルの方が合っていた。
魔王はすでに完成された容姿をしているためか、似たり寄ったりの服装しかしなかった。夕食後に、彼の翌日の服をコーディネートするのが楽しみの一つだったりする。
そんな魔王は、昼下がりの現在、家の隣にある家庭菜園の手入れ中だ。ついでに、夕食用の野菜をいくらか収穫している。
「なんか、アーリーリアタイアして田舎暮らししてるサラリーマンみたい」
「隠居のようだといえば済むものを」
「むしろ、インキョを知らないし。そーゆースローライフを配信してるチャンネルがあってさー、けっこー癒されるんだよね」
座るのにちょうどいい大きさの石に腰かけ、アリサは頬杖をついてその様子を眺める。瘴気の満ちる魔界とはいえ、陽は差す。魔王が農作業している光景は、随分のどかだ。
「退屈ならどこへなりとも行けばいい」
「違うしっ、褒めてんじゃん!」
魔王は簡単にアリサを手放そうとする。元々、彼はアリサを縛りつけていない。アリサがいたいというから許しているだけだ。
「何もしないのも悪いしさ、あたしも手伝えないかな?」
「俺は特に対価の労働を求めていない」
「でも……」
欲望のままに生きることをよしとする魔界では、好きなところで寝て暮らすことは自由だ。魔王は、居候であるアリサに何も強要しない。それが、人間のアリサにはいささか気まずい。
ワガママをいっても許されるし、ほとんどのことは叶えてくれるのだ。アリサは、自分が甘やかされ過ぎていると感じる。
「女の人のところに行ったり、つれ込んでる感じもないし、あたしジャマなんじゃ……」
相手に困っていないと言っていた割に、魔王に女の気配がない。そういった気配がないのは、自分が原因ではないかと思った。
この世界にきて唯一の寄る辺である彼に突き放されるのは、正直怖い。
迷惑をかけているのでは、としょげるアリサを見て、何を思ったか魔王は提案した。
「帰してやろうか」
「え」
「調べてみたが、準備をすれば元の世界に帰してやれるぞ」
当初解らないといっていたのに、魔王は帰還手段を調べていてくれたらしい。調べた理由は、優しさなのか、追い返したいからか、無機質な表情からは読み取れない。
「準備って、何がいるの?」
召喚に人間で数百年かかるものだ。帰還にも相応の代償が必要なはずだ。
「俺の寿命千年分ぐらいだな」
「帰りたい、けど……、それはなんか違うから、いい」
あっさりとした回答の重さに、アリサはきゅっと口を引き結んだ。いくら魔王が長命とはいえ、その命を削らせてまで帰りたくはない。
「そうか」
苦悶に表情を歪ませるアリサとうってかわり、魔王は面白そうに紅い瞳を細めた。
その眼差しがなんだか悔しかったが、アリサは終わった話として蒸し返すのは止めた。そして、ふと気付く。
「ん? 魔王って名前じゃなくない?」
「ああ」
今さらだな、と魔王は肯定した。
「なんてゆーの?」
「ルドヴィーク」
呼ぶ者はほとんどいない、と魔王は訊かれた名を答える。
「んじゃ、ルド」
これからはそう呼ぶとアリサが決めると、紅い瞳が一度丸くなり、また可笑しげに和らいだ。
「教えてやろう。愛玩動物の役割はただ居ることだ」
何かしなければと焦っていたアリサは、きょとんと言われたことを頭の中で反芻した。そうして、意図を汲み取る。つまるところ、居るだけでいいと言われて、アリサは気恥ずかしい想いがしたが、寿命が違うとはいえ例えが最悪だ。
「あたし、ペットじゃないし!」
「それはお前次第だ。アリサ」
可笑しそうに破顔する魔王に、アリサは言葉を詰まらせる。薄々気付いていたが、自分は彼の笑顔に弱いらしい。
勇者になるはずだった少女と魔王のこれからは如何に――