約束 2
何年も前に書いたものの続きなので、続けられそうなら連載に直すかもしれません。
レノアール歴40年、レノアール王国初代国王ヴィルヘルムはその日静かに息を引き取った。
月明かりの差し込む主寝室には安らかに眠る老人を見つめる青年がひとり。
やがて空が白み始めたころ、青年はそっと老人の額に口づけをすると、控えの間につながる扉へ視線を向ける。
「入れ」
静かに扉が開かれ、姿を現したのは、ヴィルヘルムの息子だ。
彼は父の姿を認めると、青年へ胸に手を当て一礼する。
「陛下を、いえ、父を看取っていただきましたこと、お礼を申し上げます」
「……お前達との時間を奪ってしまったな」
「いいえ、我らはすでに別れの挨拶は済んでおりました。もとより父は最期は貴方に、と」
「そうか」
無駄のない細身の体躯に、漆黒の髪と瞳。以前顔を合わせた時より若い姿に内心驚きはしたものの、青年にとっては些細な事だろうと、指摘することはなかった。
青年は自分達とは異なる生き物であり、人には図り知ることのできない存在なのだから。
目の前の青年は仮の姿であり、本来の姿は壮大で圧倒的。今、こうして同じ空間にいられる事が奇跡であることを、この場にいる者達は幼い頃から理解しているからだ。
「彼は私の友であり、そなた達の友ではない。」
父が何度も自分達に言い聞かせてきた言葉だった。
彼との関係を決して驕らず、踏み込みすぎてはならない。だが、彼を恐れてはならない。必ず人としての礼を尽くすようにと。
二人の関係は父が少年の頃、怪我をした青年を介抱したことから始まった。青年は種族の掟に従い、その際に受けた恩を返すまで父と同じ時を過ごすと誓い、父が国王になるまで彼が許される範囲での助力をしてくれた。だが、そこには掟の為だけではない種族を超えた友情があった。
少なくとも、父はそう信じていた。
「……父は、貴方と共に過ごせたことが何よりの宝だと、よく申しておりました」
「そうか」
「私達も、父の思いを受け継いでいきたいのです」
「……」
「いつでも、我が国にお越しください。5年10年、いえ、何百年経ったとしても。羽休めにでも構いません。貴方が知るものが居なくなったとしても、あなたの友が愛したこの地は貴方を歓迎することを忘れないでいただきたいのです」
彼がいたからこそ、父はこの国の王となれた。それはこの国のだれもが知っていることだ。
二人の関係は主従や忠誠ではなく対等であった。
だからこそ、目の前の存在に勝手に期待し、何かを望むことはできない。驕らず、礼を尽くす。人には過ぎる力は、与えられた物に感謝はしても自分達から求めてはならないのだ。
「もう一度背に乗せて飛んで欲しいとは言わないのか」
「とても魅力的ですが、地上に降りたとたん重臣や民に叱られては困りますので」
「では、そなたの子を乗せてやっても良いといったら?」
「……息子はまだ立つこともできない年齢です。自分で貴方の背に掴まることも出来ないうちは、ご厚意であっても出来かねます」
試すような言葉に、漆黒の瞳と目をそらさず冷静に返答する。
しばらく、見つめあったのち、青年は父へと視線を移した。
「人間の子は親に似るというが、おまえの頑固なところが似た、というのだろうな」
どうやら、及第点だったらしい。再び自分へ向ける視線はそれまでの冷たいものではなかった。
「お前の誠意は受け取ろう。その誠意とわが友の盟約に、この剣をやろう」
青年は手元にあった剣を鞘ごと投げてよこした。剣は放物線を描きくるくると回転しながら空中で縮み、受けとった時には掌に収まる大きさに変わっていた。黒を基調とし銀で装飾がされた剣には青年の瞳を表すかのような黒い宝石が一つ。
「これは一体?」
「我の剣だ。人間は弱いからな、身に着けていればある程度の守護にはなる。我は人間に関わり過ぎた。お前ともこれが最後になるだろう。もしこの剣を使えるものが現れ、我を必要とした場合は人間に手を貸してやっても良い」
「それは、…恐れ多くもありがたい。未来永劫、我が国の宝剣として受け継がせましょう」
つまり彼が次にこの地に姿を見せるのは、この国が戦乱の時だということだろう。そうならないようにとも、受け取れる。
青年は満足したのか小さくうなずき最後にもう一度父を見てから窓辺へと向かう。
「…世話になった」
瞬間、突風が部屋中を駆け巡り、堪えきれず腕で顔を覆う。立っているのがやっとなほどの強風が収まると、すでに青年の姿はなかった。
急ぎ、窓辺へ駆け寄り外へ目を向けると、明るくなった空には巨大な黒き竜の姿があった。敵意がないとわかっていても、その存在感に圧倒される。人ならざる完成した存在に誰もが声を出せず、日の光で光り輝く体躯を目に焼き付けるのみ。
びりびりと空気を揺らしながら城の周りを旋回すると、東の空高くへ去っていった。
その姿が見えなくなった頃、異変に気付いた者たちは空を見上げ、その存在を目撃したのだろう。次第にあちこちで人々のざわめきが聞こえてきた。
ふと、部屋を見渡すが、あれほどの突風が吹き荒れたにも関わらず、何事もなかったかのように被害は無い。
父が大切にしたものを彼も大切にしていたことを知っているからだろうか、掌の剣がずしりと重くなった気がした。
青年が盟約と言ったことを思い出す。
あの父のことだ、青年を縛るように息子を頼むやらこの国を頼むとは言わなかったはずだ。そういう父だからこそ、青年と対等な関係を築けたと思うのだ。父との盟約が何かは、おそらく自分は生涯知る事はないだろう。そう思いつつも、試しに、剣を抜こうと柄に手をかけるが、やはり抜けない。
まだ若く小さい国だ。国内は安定してきても、周辺諸国との関係は常に油断ができない。父が旅立ち、これでまた何らかの動きをする国も現れるだろうが、何十年も姿を見せなかった竜の噂は瞬く間に広がるはずだ。伝説の存在を初めて目にした者もいただろう。どうしても牽制として目立つように姿を見せてくれたのではないか、そう思ってしまうのだ。本当に少しだけ、父の子として、幼き頃に唯一父以外でその背に乗せてくれた事をうぬぼれてもいいだろうか。
「父の友人に感謝を」
(いつか、あなた様が背に乗せる者が私の子孫であるよう、この国を守りましょう)
その後レノアール王国では、王族が成人を迎える際に宝剣に触れる儀式が行われるようになった。その理由を知る者は王族や臣下の中でも極一部に制限され、王であっても知らないものもいた。
国が荒れ、王位争いが激しくなっても、剣を抜けるものが現れるまで、その儀式は連綿と受け継がれていた。