山風凛死体遺棄事件
※存在しない事件です
山風凛死体遺棄事件 (やまかぜりんしたいいきじけん)は、1982年(昭和53年)7月28日に埼玉県で発覚した未解決死体遺棄事件。山風山道死体遺棄事件、蓑峰山死体遺棄事件と記載されることもある。
事件の経緯:
1982年7月28日午前7時半頃、埼玉県、蓑峰山 (みのみねざん)の山風山道 (やまかぜさんどう)にて、登山客である男女数名の団体が、登山用の山道である石階段の一部が不自然に盛り上がっていることに気がつき、違和感を覚え、付近200m先にあった登山用電話ボックスを使い登山道管理会社に連絡。午前8時半頃に管理員が駆けつけ、調査したところ死体と思わしきものを発見し、警察に通報。その後、警察の調査の末、20代女性の死体が遺棄されていたことが発覚した。
事件の概要:
発見されたのは身元不明の20代女性。死亡推定時刻は7月28日午前0時にかけての深夜。遺体は登山道の石階段、石段で蓋をするかのように埋められており、その体は体育座りで横向きに、寝そべる形となっていた。死体の損傷もほとんどなく、致命傷は頭部にできていた打撲傷による失血死とされている。しかし、遺体が損傷していないのにもかかわらずなぜか被害者の身元が特定できず、調査は困難に陥った。
被害者:
20代女性。遺体は勤務用のスーツのような服を着込んでいたが、その服は真新しい新品であり、付近の会社服でもなかった為、特定はできず。服の左胸には白色の布生地が手製で縫われており、その上から油性ペンで「凛」と手書きで書かれていた(これが事件名の由来となった。)
事件の謎:
遺体は登山客が登る為に必ず使う、登山道の石階段の下に埋められていた。しかも、隠す気がない程、雑に埋められており、誰の目から見ても分かるくらい石段が盛り上がっていた。因みに、石段は地面に根をはる形で固定されていた為、成人男性であっても素手で取り外すことは不可能。取り外し時に何か工具を使ったと推測されるが、詳しい詳細は不明。死亡推定時刻から推測するに、犯人は死体発見当日の前夜に犯行したと推測されるが、有力な情報や目撃証言はなし。おろか、被害者の目撃情報や身元情報すら分かっていない。凶器となるものも見つかっておらず、犯人の痕跡や証拠となるものも一切なく、足取りが全く掴めなかった。シンプル過ぎるが故に、犯人像や動機も分からず。唯一ある情報といえば、被害者の左胸に縫われた白い布生地に手書きで書かれていた「凛」という文字だけだった。しかし、それが犯人の記したものなのか、被害者が記したものなのかすら不明であり、その意図も意味も分かっていない。事件の前日も普通に登山客が訪れていた。その後、結局なんの情報も得られぬまま、1997年10月21日に時効を迎えた。
20年越しの電話:
事件発生から20年後の2002年、7月26日に蓑峰山の登山道管理会社に一本の電話があった。内容は、中年の女性の声で「私は”凛”の遺族だ」というもの。管理会社は一瞬なんのことか分からなかったが、電話を切った後、当時の事を調べた末に警察に連絡。しかし、それ以降『凛の遺族』を名乗った女性からの連絡がくることはなかった為、事件が進展することはなかった。
※これはフィクションです