8.クッキーとタオル
ニマニマ笑っているのを見られないように、やや俯き加減にカウンター内の自分の椅子に座る。
向かい合うと、ライアンが目を合わせて微笑んでくれた。
「ええとね。その日によるんだけど、閉店間際で余っていたら希望するお客様にお売りすることもあるわ」
「そうなのか……ちなみに今日はどれくらい余ってる」
ライアンの質問に答えるべく、クッキーの在庫を確認してみる。
雨が降るなんて思っていなかったから、いつも通りに作ってしまって大失敗だ。
「そうね、急な雨だったから、残念ながら結構残っているわ」
「本当か!」
きらりと目が輝く。
黙っていれば誰もが夢中になるほどの男前なのに、こういう顔をするとただひたすらに可愛らしい。
私はきりっとした表情よりも、どこか子供っぽいこの顔の方を気に入っている。
「全て購入しても構わないか?」
「いいけど、そんなに食べたら鎧が着られなくならない?」
「ははは、全部俺が食べるわけじゃない」
いくら甘いものが好きだからって、全部食べたらかなりのカロリーだ。
心配して聞いたら、ライアンがおかしそうに笑った。
「書類仕事を手伝ってくれる部下達に振る舞ってやろうと思ってな」
「あら、部下想いの上司ですこと」
「甘党を炙り出してやるんだ」
「あはは、同志が見つかるといいわね」
「まぁ半分くらいは俺が食べるが」
素直に感心して言うと、ライアンが照れくさそうに訂正を入れた。
そうやっていい人ぶらないところも気に入っていた。
紅茶を飲み終わり、ありったけのクッキーを丁寧に包んで渡す頃には雨は本降りになっていた。
レジ越しに立って対面すると、ライアンの背がどれだけ高いかが改めてわかる。
「ごちそうさま」
「いつもありがとう。部下の方達に是非うちのことアピールしておいてね」
商魂たくましく言うと、ライアンが難しい顔をした。
「出来れば秘密にしておきたい」
「あらどうして?」
責める意図はなく素直な疑問だったが、彼は少しバツの悪そうな顔をした。
「……この時間を邪魔されたくない」
目を逸らされながら言われたセリフに、ああなるほどと思う。
なにせこれほどの人物だ。
衆目に晒され続け、気を抜ける瞬間などほとんどなさそうだ。
この歳ですでに何人もの部下を抱えているようだし、いつも頼られてばかりなのだろう。
休憩の時くらい一人の時間を確保したいに違いない。
それに、王城をうろうろしていたら暇を持て余した貴族の御令嬢たちからひっきりなしに声を掛けられて気疲れしそうだ。
納得と共に深く同情する。
目立つ人間というのは、心休まる時間が極端に少ない。
私の場合はライアンとは違って悪目立ちではあったが、公爵家に取り入った悪女として注目されていた過去を持つため、いくらか共感できる部分があった。
人目を避けられる場所というのは、本当に大切なのだ。
「ここを癒しの空間だと思ってくれるなら嬉しいわ」
それならば仕方ない。顧客ゲットは諦めよう。
私だってライアンとの時間は結構大切なのだ。
「紹介出来なくてすまない」
「ふふ、その分ライアンが来てくれるならいいわ」
申し訳なさそうに言われて、本心からそう返す。
金払いとかの問題ではなく、単純にライアンが来てくれるのが嬉しいから。
「ありがとう」
それが伝わったのか、彼ははにかむように言った。
おつりを渡し終え、レジの下に用意してある雨の日の貸し出し用タオルを取って、ライアンに渡そうとして気付く。
「あ、必要ないか」
「いや、」
そういえば魔法で濡れないまま戻れるんだった。
思い至って引っ込めようとするタオルを、ライアンの手が掴んだ。
「あ、ええと……借りていっても構わないか」
「……もちろん、けど、濡れないのでは?」
「まぁ、そうなんだが……」
自分でも理由がわからないのか、ライアンは考え込むように眉根を寄せた。
特に深い意味はないのかもしれない。
だから私も考えるのをやめて、タオルを彼の手に押し付けた。
「風邪ひかないようにね」
「……ああ。ありがとう」
微笑みながら言うと、嬉しそうに目を細めてそれを受け取ってくれた。
店を出て雨の中を帰っていく彼の、身体を避けるように雨が消えていく。
一体どういう仕組みなのだろう。
不思議に思ってずっと目で追ってしまう。
ライアンがタオルとクッキーを大事そうに抱えながら、こちらを振り返る。
大きな男が小さく手を振るのに思わず笑みが漏れた。
ああ癒やされる。