4.ライアン・クリフォード
ライアン・クリフォード。
その名前なら知っている。
この国には公爵家が二つあり、王城を挟んで東西にそれぞれ広大な領地を持つ。
西のスターリング家、東のクリフォード家と並び称されるその二家は、何かと比較されることが多い。
だから自然とクリフォード家の情報も耳に入ることがあった。
曰く、クリフォード家はますます勢いを増し、王族との付き合いも深めているらしい。
曰く、クリフォード家のご令息たちは優秀で、特に嫡男であるライアンの有能さはここ百年の中でも随一だとか。
曰く、容姿にも体格にも恵まれたライアンは、クリフォード家期待の星で、近隣諸国一の美姫と噂される我が国の第一王女と近く婚約予定だとか。
西のアホ長男である元婚約者様は、そうやって比べられるたびにやさぐれていたっけ。
もちろん何一つ理不尽ではない。
リカルドの方が明確に劣っていることだらけだったからだ。
それなのにこの扱いは不当だとかなんとか、努力するでもなくぶつぶつ文句を言っていたのを思い出す。
まぁリカルドも顔だけは整っていた。
中身があんぽんたん過ぎて台無しだったけど。
そこで腐らずに努力する人間であれば良かったのに。
そうでなかったから大嫌いだったのだけど。
ちなみにスターリング家はあれ以来評判を下げまくりで、財政は本格的に悪化し没落の一途らしい。
あそこは家族揃って高慢ちきで大嫌いだったので、同情心はゼロだ。
御令嬢方を見送りつつ感慨深く思いを馳せていると、もう一組いた男性客たちも会計のためにレジにきた。
これで店内に残る客は暁の騎士様一人になった。
もう閉店時間も近いから、これ以上客は来ないだろう。
何やら書類を取り出し仕事を始めた騎士様の邪魔をしないように、静かに店内の片付けを始める。
上等な客は店内を綺麗に使ってくれるから掃除も楽だ。
下町の飲食店で働いていた時の比ではない。
一人でもカフェを経営していけるのは、客の性質に救われている部分も多い。
それにしても暁の騎士とは。
清掃を一通り終えて定位置に戻り、再び本に目を落としながら思う。
おそらく日が昇る東に位置するからそう称されるのだろうけど、いささか大仰に過ぎないだろうか。
ちらりとライアンに視線を移す。
噂通り、たしかに美形だ。
逞しい身体つきはそこらのベテラン騎士よりも立派で、書類を真剣に読む顔には有能さもにじみ出ている。
でもあの魔の一年間で美形耐性はばっちり付いたし、なんなら失礼ながらイケメンは信用出来ないとさえ思ってしまっている。
そのうえ公爵家というだけで少しケチがついてしまった。
ただ、あのヘラヘラした元婚約者とは違い、真面目そうなのは好印象だった。
ライアンはココアを飲みながら仕事に集中していて、私が正面に座っていても気にならないようだった。
だから私も心置きなく本の世界に入り込むことができた。
しばらくのんびりした時間が流れる。
紙を繰る音とペンを走らせる音。
それにボリュームを絞った緩やかな音楽。
それだけがこの空間にあった。
「……美味かった」
空気に溶け込むような静かな声が聞こえて、読んでいた本から顔を上げる。
耳に心地よい声だ。
イケメンは声までイケメンらしい。
声帯のつくりからして特別なのだろうか。
「ありがとうございます」
そんなことを思いながら、礼を言って微笑みを浮かべる。
少し閉店時間を過ぎてしまっていたが、そんなことは少しも気にならなかった。
「……フローレス・アークライト?」
唐突に名前を呼ばれて、なぜ知っているのかと驚く。
カフェの店名に自分の名前は使っていないし、個人情報のヒントになるようなものは何もないはずだ。
「お会いしたことがありましたかしら」
小首を傾げながら訊ねると、彼は「覚えていないか」と苦笑した。
残念ながら彼のことは噂でしか知らないと思う。
こんな規格外のイケメン、一度会ったら忘れられる気がしないのに。
「ライアン・クリフォードだ。キミ達の婚約破棄の場にいたのだが」
「……あっ」
本人の口から改めて名前を聞いて思い出す。
たしかに招待者リストの中に名前があったはずだ。
ただ、やはり顔を見た記憶はない。
あの時は正直それどころではなかった。
そういえばリカルドが心底嫌そうな顔をして、立場上仕方なく呼んだのだと愚痴っていたっけ。
「ごめんなさい、あの日は浮かれ切っていたもので」
そう、これでおさらば出来るのかとウキウキだった。
傲慢で、すべてが自分の思い通りになると思っている元婚約者の、慌てる顔を見られるという期待で頭がいっぱいだったのだ。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「いや、いいものを見せてもらった」
言った後で、あの時の光景を思い出したのか忍び笑いを漏らす。
「いやホント……やつのあの顔……くく、最高だった……ふっ」
肩を震わせて笑う様は、嫌味ではなく本当に楽しそうだ。
無口でクールなイケメンかと思いきや、案外笑い上戸らしい。
目尻のシワがキュートだ。
その様子を見て、私の中の彼の好感度が一気に上がった。