番外編 慰謝料の末路(書籍発売記念SS)
店のドアを閉め、ガラス窓にカーテンを引く。
今日はいい天気だったのもあって、とても忙しい一日だった。
「ここ最近ますますお客さんが増えたね」
私の淹れた紅茶を飲みながら、店内カウンターでくつろぐライアンが言う。
最近では店に来た日は必ず片付けを手伝ってくれるから、そのお礼として飲み物と焼き菓子を振る舞っているのだ。
もちろん最初のうちは、ライアンだって仕事のあとで疲れているのだしと遠慮していたけれど、フローレスと店のことをするのが一番の癒しだからと笑顔で押し切られてしまった。
「んふふわかる? 実は数だけじゃなくて客単価も上がってきたのよ」
お客様にお金の話をするのが品のないことだと弁えている。けれど店の売り上げに関してはライアンも貢献してくれているから、報告も兼ねていた。
「軽食だけじゃなくて食事のメニューを増やしたのが当たった?」
「ええバッチリ。あなたとあちこち回って研究した甲斐があったわ」
「それは良かった」
隣の席に腰を下ろしながら言うと、ライアンが眩しいほどの笑顔を向けてきて一瞬動きが止まる。
付き合い始めてからもう三ヵ月も経つというのに、この幸福全開といった表情に見慣れることが出来ないでいる。
「いつも付き合ってくれてありがとう」
「フローレスと知らない店に入るのは好きだ」
その上こんな嬉しい言葉と可愛らしいはにかみ笑顔まで見られるなんて。
騎士団の少ない休日に新メニュー研究に付き合わせてしまった後ろめたさなんて吹き飛んでしまう。
「……ライアンは私に甘すぎると思うの」
「そうか? これでもかなり自分を律していると思うが」
「どこがよ。私が何を言っても『いいよ』しか言わないじゃない」
「だって本当にいいと思うから。フローレスのしたいことが俺のしたいことだ」
軽く肩を竦めながら、何を当然のことをとばかりにライアンが言う。
「それに休日ごとの恋人とのデートを嫌がる男がどこにいる」
「あれをデートにカウントしてくれるのはあなたくらいよ」
カフェやレストランをはしごして、種類をこなせるように一人前をシェアして、を繰り返すあれを、そんな良いものとしてとらえてくれていたとは。
心が広いにも程がある。
「だが楽しかった。だろう?」
「それはもう。本当に。心から」
あっさり認めて降参のポーズで言えば、ライアンが声を上げて笑った。
そう、結局は二人で居れば何をしていたって楽しいのだ。
私だって一応ライアンを連れ出す名目を「研究」としていたからなんとか体裁を保っていたけれど、いつだって浮かれきっていたのは否定しない。
「でもホント、ライアンのおかげよ。私一人だったらあんなにたくさんのお店は回れなかったもの」
「いろんな発見があって俺も楽しかったよ。それに新メニューのリクエストまで聞いてもらえて、ますますフローレスの店が好きになった」
「光栄ですわ。今後とも当店をご贔屓に」
冗談めかして営業スマイルで言うと、ライアンが「よかろう」と鼻持ちならない貴族の真似でカップに口をつけた。
「そういえば、利益の使い道を考えたのだけど」
ひとしきり他愛のない話で笑い合ったあとで、最近なんとなく考えていたことを口にする。
「ああ。これだけ軌道に乗っていれば、二号店を出すなんてことも出来そうだ」
「そうそう。それも考えたんだけど……」
店舗を増やしていくのもいいし、建物自体を改装するのもいい。それにこの利益率を維持できるなら、従業員を一人か二人雇ったって余裕はある。そうすればもっと広い店に移転することだって出来る。
だけど。
「俺の伝手で役に立てそうなら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。でもそうじゃなくて、出来ればスッキリしたいなって思って」
「スッキリ?」
涼し気な美形が可愛らしく首を傾げるものだから、思わず抱きしめたくなるのをグッと堪える。話がまだ途中だ。
「ホラ、この店の始まりってアレじゃない」
「ああ……」
名前を口にしたくなくてボカして言うけれど、すぐに察したらしいライアンが嫌そうに眉根を寄せた。
私にとっての敵は彼にとっても敵らしい。
「私の貴重な一年を犠牲にした見返りだとは思ってるけど、店の帳簿を見返すたびにちょっと嫌な気持ちになるのよね」
あまり考えないようにはしているけれど、経営分析のために一冊目の帳簿に目を通す際には必ず頭をよぎってしまうのだ。あの不快な日々が。
「だからいっそ、その分の金額が貯まったらパーッとくだらないことに使いたいと思うの」
慰謝料と同額が貯まるのはまだ先だけど、もし貯まったら自分で稼いだ分を開店のための初期費用に充てたということにして、慰謝料は死ぬほどどうでもいいことに使ったということにしたい。
もちろん帳簿上は何も変わらないし、あのお金を開店資金に充てたという事実も消えないけれど、私の精神衛生的にはとてもいい。
「あはは。例えばどんな?」
私の不条理な心情を理解してくれたのか、ライアンが快活に笑って悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞いてくる。
「そうね……例えば純金製のごみ箱を作るとか」
「泥棒が入って危ないから却下」
なかなかいい案だと思ったのに、素気無く否定されてしまう。
「別に盗まれても構わないわ」
「フローレスに少しでも危険が及ぶ可能性は看過できない」
冗談半分だったのだけど、ライアンは本気で私の身を心配してくれているらしい。
わずかに頬が熱くなる。
「ええとじゃあ、前衛的なオブジェを作ってもらうとか。とびきり訳の分からないものがいいわ。ライアン、新進気鋭のアーティストとか知り合いにいない?」
「生憎と芸術方面には疎いんだ……すまない」
面白がるような響きと申し訳なさそうな表情のチグハグさに思わず笑ってしまう。
ライアンも冗談を言い始めたのに気付いて、楽しくなって次の案を口にする。
「そうだ! ライアンの甲冑のあちこちに宝石を埋め込むのはどう?」
「ならとびきり派手にしよう。ギラギラしていい目眩しになりそうだ」
「ふふっ、味方も攪乱しそうね」
実現可能だろうと不可能だろうと関係なく、荒唐無稽な提案が続く。
慰謝料の馬鹿げた使い道を考えるのは楽しくて、いつまでも途切れることはない。
閉店後の店内で、ライアンとのんびり話すのは至福の時だ。
結局はライアンの弟さんに調べてもらって、クリーンな運営をしている教会や孤児院に継続的に寄付をするということに落ち着いた。
良いことに使えたということもあるし、あの会話のおかげもあって、慰謝料へのモヤモヤした気持ちはすっかりなくなっていた。
実に有意義な時間だった。




