番外編 リリアとリカルドの話
スターリング夫妻の痴話喧嘩。
フローレスの店に突撃後返り討ちに遭って、処罰を言い渡された後のリカルド視点のお話です。
全ての申し開きを終えて、げんなりしながら屋敷へと戻る。
気分は最悪だった。
なぜ僕があの女のせいでこんな目に遭わなければならないのか。
全く以て納得は出来なかったが、お上の沙汰は覆らない。
いや、一代前のスターリング家であれば少しは話しも違っていたかもしれないけれど。
「ただいま……」
「あら、おかえりなさいリカルド様」
夫婦の部屋に入ると、妻のリリアが出迎えてくれた。
出来れば居ない方が良かったが、彼女は暇を持て余しているのだから仕方がない。
ため息を堪えてタイを緩める。
「それで、どうでした?」
「どう、とは?」
「上司の方とのお話し合いだったのでしょう? なんのお話をされたのです?」
無邪気な顔でリリアが嬉しそうに小首を傾げて問う。
「昇進のお話でした? もし国外視察の打診だとしたら寂しいですわ」
眉尻を下げながら言う様は愛らしい。あの女より余程女性らしいその仕草は、俺の心を惑わすための罠だったともう知っている。
「……そんなんじゃない。別にお前には関係ないだろう」
「関係ない? 関係ないはずありませんわよね。だって夫婦なのですもの」
心なしか威圧感を強めた口調に奥歯を思わず噛み締める。
「し、仕事のことだ。女には分かるまい」
少しどもってしまったことに歯噛みする。
これではまるで後ろめたいことがあると認めてしまっているようではないか。
「分からなくとも報告し合うのが義務なのではなくて? あなたの進退は私の社交界での地位にも関わるのよ」
眦が徐々に吊り上がっていくのを見たくなくて、目を逸らしながらリリアから少し遠い位置にあるソファに腰掛ける。
別に怖いわけではないが、妻に愛などないから仕方ない。俺はこの女に騙されて、仕方なく夫婦の仮面をかぶっているだけなのだ。
「本当に何でもなかった。くだらん愚痴と、お前もそろそろ別の役職を考えてやろうという話だ」
目を合わせないまま答える。
俯いてしまうのは疲れているからだ。嘘をついている訳ではない。
上司から呼び出され、長い愚痴を聞かされ、今の役職を剥奪するという話をされたのだから。
「嘘」
リリアが冷淡な声で言う。思わず顔を上げると、彼女は怒っている時の顔をしていた。
「私、知っているのよ」
「な……何を」
ごくりと生唾を飲み込みながら、辛うじて表情を変えることなく問う。
「フローレスに会いに行ったのでしょう」
「何故それを!?」
うっかり認めてしまう言動になってしまったことに気付いて顔をしかめる。けれどもう遅かった。
リリアは鬼の形相になって、持っていたティーカップをガチャンと下品にソーサーに置いた。
「やっぱり!」
「ちがっ、ちがう! 今日は本当に上司に呼び出されたんだ!」
「今日はそうでもあの女に会いに行ったのは事実でしょう!? ひどいわ! 浮気よ! 訴えてやるんだから!」
「うるさい! なんでお前が知っている! 箝口令が敷かれたはずだぞ!」
騎士団の恥だとか外聞が悪いとか言って上司はグチグチ言っていた。
聞き分けのない女を力づくで従わせることの何が悪いというのか。俺には分からないが、そんなくだらない理由でこのことは騎士団の一部しか知らないはずなのに。
「誰から聞いた! 事と次第によってはお前だって問題になるぞ!」
「ふん、別に私は悪いことなんて何もしていないもの」
開き直って怒鳴るが、リリアは怯む様子もない。
付き合った当初はあんなにかよわい女のフリをしていたのに。まったく、本当に騙された。
女というのはどうしてこうも狡賢いのか。
あの女だってそうだ。俺が行くことをきっと事前に知っていたのだろう。
だからあの男を店の外に潜ませて、俺に一番ダメージを与えられるタイミングを狙っていたに違いない。
「全く最悪だわ。昔の女に未練たらたらで。しかもあんな程度の低い女。それでまんまとやり返されて、その上降格? 情けないったらない」
「……だから何故お前はそのことを知っている」
フローレスにちょっかいをかけに行ったのも、その場の流れで少し叩いてしまったのも、処罰の内容だって一部の人間しか知らないはずなのに。
リリアはその質問に答えない。
だが俺は知っている。
この女こそ、俺より責められるべき立場にあることを。
「ショーンに聞いたのか」
声を低くして問う。
ショーン・マクブライド。
今日俺を呼び出した上司の、副官に当たる男だ。俺よりも十歳ほど年上のくせに剣の腕は衰えず、女遊びをしたいがために独身を貫いているというふざけた男。
その男に、リリアが熱を上げているのを知っていた。
今回の話を事前にこの女に漏らせる人物がいるとしたら、そいつしかいないだろう。
「知っているんだぞ。あいつと会っていると。話を聞いたのはベッドの中か?」
揶揄を込めて言う。
別に腹を立てたりなんかしない。好きにすればいい。お互い愛は冷え切っているのだから。そもそも最初から愛なんてなかった。俺はこの女に騙された被害者だ。だからリリアに執着なんてない。別の男に入れあげてるからって知ったことではない。
だがこうなると話は別だ。
何故俺だけが女と会ったことを責められなければならないのだ。
「ええまあそう。でもショーンだけじゃない。ローレンも言っていたわ」
悪びれることもなく肩を竦めながら言われて顔が強張る。
「みんな酷いわよね。ベッドの中で夫の話なんか聞きたくないのに」
「お前、何を言っているのか分かっているのか!?」
「え? もちろんよ。だからあなたが今日呼び出されたワケを知ってるって話でしょ?」
「違う! 何他の男と寝まくってるんだよ!」
男とただ会っているのと寝るのとでは大違いだ。
ベッドの中でと言ったのはただの嫌味で、まさかそこまで進展しているなんて誰が思うんだ。しかも同期のローレンまでとは。
「何であなたが怒ってるの? 怒るのは私の方でしょ!?」
本気で理解出来ない顔でリリアが眉根を寄せた。
「俺はただ会って話をしただけだろうが! お前のは完全に浮気だ!」
「だから何がいけないのよ。こんなに可愛く生まれたんだからチヤホヤされるのは当然でしょう?」
「……はぁ?」
「生まれ持った美貌が褒め称えられるのは当たり前のことなの。全ての男は私にかしずくべきなのよ。だから他の女に一時的に目を奪われたって私を前にすれば私の虜になるし、あなただってそうだった。ショーンも私以外はもういらないって言っていたし、ローレンもテッドもすぐに彼女を捨ててくれたわ。別に私がそうしろって言ったわけじゃないから私は何も悪くないし、それは美しく生まれた私にだけ許された特権なのよ」
さらりと男の名前をさらに付けくわえて、わかるでしょう? と真面目な顔で言われて言葉を失う。
全く理解出来ない思考回路だ。
話にならない。
あまりの怒りにブルブルと身体が震え始める。
「……そんな理屈が通ると思っているのか!!」
「理屈じゃなくて真理よ!」
俺の怒声にリリアは猛然と言い返し、反省の色は全く見えない。
不毛な言い合いは深夜まで続き、俺はこの結婚を心から後悔したのだった。




