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3.自由の身

一年前の出来事をぼんやり思い出して、カウンターに肘を突く。


あんなのと婚約していたなんて、本当に最低な過去だ。

出来ればもう思い出したくない。


それに比べて今はなんて幸せなのだろう。


緩やかな音楽の流れる店内を見回す。


落ち着いたトーンの椅子やテーブル。

予約のお客様だけをお通しする、ゆったりしたソファ席がひとつ。

上等な木材でこしらえたカウンターキッチン。

魔力のない人間でも扱えるマジックツールを利用した音楽再生機に冷蔵庫。

店内に漂う上質なコーヒーの香り。


全て希望通りの物がそろった、私の城だ。


「ごちそうさま。会計を頼むよ」

「はぁい! 少々お待ちくださいませ」


立ち上がってレジへ向かう。

上等なスーツに身を包んだ老紳士が紙幣をそっと差し出した。


「お預かりしますね。えーっとおつりは……」

「とっておいてくれ」

「そんな、多すぎます」

「いいんだ。その代わり、次に来たときはチョコレートケーキをリクエストしていいかな」


茶目っ気たっぷりにウィンクして老紳士が言う。

たしか彼は、奥様に甘いものを止められていると言っていた気がしたのだけど。


じっとお腹の辺りを見つめると、老紳士はさっと両手で腹部を隠した。


「……わかりました。お砂糖控えめの美味しいチョコレートケーキをご用意いたしますね」


仕方なしにそう言うと、老紳士がパッと顔を輝かせた。


「本当かい? いやぁありがたい。ここのケーキは絶品だから」


開店当初から常連の彼は、こうして時折メニューにないデザートをリクエストしては嬉しそうに帰っていく。

うきうきした背中を見送って、私まで楽しい気分になりながらカウンター内の定位置へと戻った。



婚約破棄が成立した一ヵ月後。

スターリング家からたっぷりいただいた慰謝料と今までの貯金で、城下町の一等地にカフェを開店した。

小さな店だが、居抜きの物件を父のツテで安く改築することが出来たのだ。


王城からほど近いこの土地は、富裕層が住む場所なだけあって金払いがいい。

それに客の質もよかった。

声を荒げるような人もいないし、コーヒー一杯で何時間も粘る人もいない。

長くても一時間程度だし、その場合は食事をしていってくれる。

回転は速くはないが、客単価が高く、チップまで弾んでくれる人がほとんどだ。


城勤めの騎士や役人が来ることも少なくない。

口コミで広まった評判のおかげで、今や私の店はこの一等地の中でもなかなかの人気店になった。


店は当初の予測を上回って繁盛している。

初期投資に使った慰謝料分もじきに取り返せることだろう。


あの最低男と婚約していたという過去は消せないが、こうして夢見た未来を掴めたことにはほんのちょびっとだけ感謝している。

ちょびっとだけだ。

だって私の手腕だけでも稼げていたから、いずれは叶っていたし。

それが少し早まっただけ。

うん。

やっぱり感謝しなくていいな。

リカルドに振り回されていた期間に稼げていれば、借金込みでここを買えていたに違いない。


まぁそんな感じで、とにかくなんだかんだ忙しくも幸せな日々を送っていた。


カラン、と入口のベルが鳴る。

店はそこまで広くはないが、注文が落ち着くと本を読むことに熱中しすぎてしまう癖があるので、ベルは必須だった。


「……っ、いらっしゃいませ」


慌てて顔を上げて入口を見る。


案の定、閉店前で人の少ない時間帯ですっかり油断していて反応が少し遅れてしまった。

その人は気を悪くするでもなく、私に軽く目礼をしたあとで、店内に進み出た。


「空いているお席へどうぞ」


いつも通りに案内して、おしぼりとよく冷えたレモン水を用意する。


初めて見るお客さんだ。

背が高い。

騎士の制服に身を包んでいるから、勤務の休憩時間に来てくれたというところか。


私の声に反応したのか、店内にいたお客さん達が新規客に注目する。

ざわりと、店内の女性客達が色めき立った。

その青年がカウンター席に座るまでの間、彼女たちはずっと彼を目で追い続けていた。

なぜだろうと思って、失礼でない程度に青年を注視する。


なるほど、これは視線を集めるに値するほどの美丈夫だ。

思わず感心してこっそり頷く。


彼はこれだけ注目を集めているというのに涼しい顔をしていた。

たぶん、見られることに慣れているのだろう。


「ご注文は?」


青年は、私の定位置正面のカウンター席に腰を下ろした。

それからメニュー表をじっと見た後、「ホットココアを」と短く告げた。


そのチョイスが少し意外で、思わず聞き返しそうになるのをなんとか堪える。

だってどう見てもブラックコーヒーを飲んでそうな辛口イケメンだ。


表情には出さずに手早くココアを作り、飲み物単品のお客さんにオマケでつける手作りクッキーを一枚添えてお出しする。

頼んでないものが来た戸惑いを浮かべつつ、彼は私を上目遣いに見上げた。


いやほんと美青年。

目の保養だわ。


「これは?」

「サービスです」


微笑みながら言うと、納得したようにクッキーを摘まみ上げる。


そうしてクッキーを食べた瞬間。


目元が緩み、ほっこりした笑みをちらりとだけ覗かせた。

ほんの一瞬だけだが、それで冷たい印象が一気に和らいだ。


たぶんこの人、甘いもの好きなんだろうな。


ほのぼのした気持ちで見守っていると、イケメンに見惚れていた女性グループ客が席を立つのが見えた。

お会計だろう。


レジに立って今日の礼を言うと、特によく来てくれる、グループの代表の女性が内緒話のように顔を寄せてきた。


「すごい方がいらしたわね」

「すごい? ご存知の方ですか?」


チラチラとイケメンを見ながら言う彼女は、興奮を隠しきれないと言った顔だ。

けれどさすがに貴族の御令嬢なので騒ぎ立てることはしない。

よく教育された女性は、人前ではしたない真似はしないのだ。


「やだ、フローレスったら知らないの? 暁の騎士って聞いたことない?」


呆れたように言われて考える。


暁の騎士。

聞いたことがあるようなないような。


そうだ、確か前にお客さんが話していた。

騎士団で、破竹の勢いで出世している若者がいると。


ということはつまり。


「クリフォード公爵家の御嫡男?」

「そう! ライアン様よ!」


婦女達の頬が、名前を口にした途端にみるみる紅潮していく。


それだけで、彼がどれだけ人気なのかがよく理解できた。

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