28.プロポーズ
すっきりとした目覚めに、身体を思い切り伸ばす。
少しだるかったけれど、全身に充足感があった。
力を抜いて隣を見れば、至近距離でライアンが微笑んだ。
「おはようフローレス」
「おはよう。起きていたのね」
照れくさくて少し目を伏せながら言う。
ライアンは私の額にキスをして、髪を梳くように私の頭を撫でた。
「ああ。フローレスは寝顔も綺麗だ」
衒いもなく言われて、あまりの恥ずかしさに毛布をかぶる。
ライアンは爽やかな笑い声を上げながら、毛布ごと私を抱きしめた。
「幸せだ。フローレス。毎朝こうしてキミと一緒に過ごしたい」
ため息のように漏らされたそのセリフに、モゾモゾと顔を出す。
「……それってプロポーズ?」
茶化すように言うと、ライアンは至極真面目な表情で「まさか」と否定した。
そりゃそうですよね、と冗談で言ったことに本気で返されて勝手に傷付く。
だって公爵家嫡男だ。
結婚相手をそんなに軽々しく決めていいことではない。
アホ坊ちゃんのリカルドとは違い、ライアンは公爵家の長男としてしっかり堅実に生きている。
私のことを本当に愛してくれているのは理解出来たが、貴族にとって恋愛と結婚は別物なのだ。
「プロポーズはきちんと身支度を整えてからするつもりだ。だがどうにも離れがたくてな」
「うん……?」
どうやら私はまだ寝ぼけているようだ。
ライアンの発言が上手く理解出来ない。
「しかしフローレスも目覚めたことだしそろそろ起きなくてはな。今日は店を開ける日だろう」
「え、ええそうね。まだかなり余裕があるけど……」
テキパキと準備を始めるライアンにシャワーを勧められて、戸惑いのまま素直に従う。
さっきのあれはなんだったのかしら、なんてぼんやり考えながら浴室を出ると、すっかり身支度を終えたライアンがすぐに気付いて私の元へ来た。
「フローレス。さっきの話だが」
正面から腰を抱き寄せられて、見上げる形でライアンの言葉を待つ。
ライアンは照れたように一度目を逸らしたあと、真っ直ぐに私を見て口を開いた。
「結婚して欲しい。キミさえ許してくれるのであればすぐにでも」
ライアンの表情は至って真剣で、冗談を言っている様子はない。
どうやらさっきのは聞き間違えでも幻聴でもなく本気だったらしい。
「ちょ、ちょっと待って、急すぎない?」
ならばますます困惑してしまう。
もちろん求婚されるのは嬉しいし、ライアンが望むのなら私はそれに応えたい。
けれどそれに伴う困難や乗り越えなければならない壁があまりにも多い。
それが分からないほどライアンは馬鹿ではないはずだ。
「性急なのは承知の上だが、どうしてもフローレスと共に生きる権利をもらい受けたい」
真っ直ぐな言葉にクラクラと眩暈がする。
情熱的なその瞳に、すぐにでも頷いてしまいそうになるのをグッと堪えた。
「……ごめんなさい、少し考えさせてほしいの、その、お店のこととか」
贅沢なことを言っている。
公爵家の人間にこんなに求められて躊躇うなんて、他の人間が聞いたら卒倒するだろう。
だけど相手が公爵家だからこそだ。
結婚となれば、私は公爵夫人としてクリフォード家を盛り立てるために尽力せねばならない。
ライアンとの未来を考えるのならばいずれそうなるのは理解できるし、彼と一緒になれるならばその苦労もやぶさかではない。
だが正直そんな覚悟はまだ出来ていなかった。
だって昨日まではこの想いが叶うなんて微塵も考えていなかったのだから。
何より、私が店を大事にしていると知っているはずのライアンに、結婚したいなら店を辞めろなんて言われたら死ぬほどつらい。
「そんな心配はしなくていい」
きっぱりとした態度に息が止まる。
店の事後処理はまかせろとか言われたらどうしよう。
やはりこの人も公爵家の人間なのだとがっかりしてしまいそうで、その先を聞くのが怖かった。
耳の奥で心臓の音がうるさく鳴り響いている。
「公爵家の家督は弟に譲ることになった」
「…………え?」
「そのための準備や手続きを今進めている」
「うそ……」
あっけらかんと言われて愕然とする。
庶民に等しい女を嫁にすることよりも、輪をかけて常識外れなことを言っている。
けれどとてもそうは思えないほどに清々しい顔で、ライアンは私を安心させるように笑みを浮かべた。
「嘘ではない。この一ヵ月来られなかった原因にそれもある」
唖然として何も言えなくなる。
ライアンが私の頬にそっと触れた。
「ど、どうして、なんで、そんなこと」
「キミを口説くために公爵家の肩書は邪魔でしかなかったから」
照れ笑いを浮かべるライアンに、うっかり可愛いと思ってしまってから慌てて首を振る。
いやいやそこ照れ笑いするところじゃないから。
「昨日俺は振られるつもりで来たのだと言ったろう。その場合、公爵家の人間でなくなったことを明かして、誠意を見せた上でまた告白しようと思っていた」
まさかフローレスも俺を想っていてくれたとは、と言って目許を赤く染める。
ああもう可愛い。
なんでそんなに可愛いの。
やめてよ話の内容が全然可愛くないんだってば。
「だって、そんな、簡単に、いいの……?」
「もちろん簡単ではない。だが公爵家の人間でいるよりフローレスが大事だ」
大真面目なテンションで言われて、こっちが間違っているような気になってくる。
「私にフラれる前提なのに家督を譲ったの? 結果が分かってからでも良かったのではないの」
「フローレスでなければ結婚する意味もない。どちらにしろ跡取りを残せないなら、早いうちに放棄してしまった方が双方にとっていいだろう」
得意げに言って、褒めてほしそうな顔をする。
いろんな言葉がグルグルと頭を回って、懸命に正解を探した。
けれども答えはなかなか出てこない。
本当ならそんなことするべきじゃないと諫めるべきかもしれない。
今ならまだ間に合うから、撤回して私を捨てろと諭すのが正しい行いかもしれない。
だけど私でないなら他はいらないのだと言って笑う愛しい人に、それでも否定できる人間なんて果たして存在するのだろうか。
「だからフローレス、店のことは心配しなくていい」
私の頬をなでてライアンが穏やかな声で言う。
「ここはフローレスの大切な城だ。キミの大事なものは俺も大事にしたい」
誠実な言葉は私の心臓を打ち抜いて、今にも涙がこぼれそうだ。
「それで、フローレス」
潤んだ目を見てライアンにもわかったのだろう。もう一度仕切り直すように言って、幸せそうに笑った。
「俺と結婚してくれないか」
そんなのもう、答えは一つしかない。
堪えていた涙が溢れて、視界があやふやになる。
早く返事をしなければと焦るのに、息が詰まって上手く言葉が出てこない。
「っ、はい……!」
縋るように抱き着いて、ようやくそれだけ言えた。
ライアンは泣きじゃくる私を強く抱き返し、満ち足りたような笑みを浮かべて私の涙を拭ってくれた。
「昨日とは逆だな」
「子供みたいに泣いてしまって恥ずかしいわ……」
「そんなキミも可愛くて好きだ」
私よりよっぽど可愛いライアンが、うっとりした口調で言う。
それからゆっくりと目を閉じてキスをした。
この大切な人が、後悔する日が来ないよう全力を尽くそう。
そう心に誓いながら。
本編は以上で完結となります。
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このあとに番外編でライアン視点のお話が二話ありますので、そちらもお付き合いいただけましたら嬉しいです。




