2.最高の一日
「あはっ! あははは! 何その顔すごい笑える!!」
とうとう堪えきれなくなって笑いだす。
一度決壊してしまえば、あとはもう止めどころを見失って笑い続けるばかりだ。
貴族たちのドン引きする空気が伝わってきたが、笑いの波はしばらく収まらなかった。
あまりにも狙い通りに事が運んだせいで、異常なテンションになっている自覚はある。
「あはは……はーぁ。まったく長かったわぁ」
「フ、フローレス? お前、大丈夫か……?」
ようやく笑いを収めてため息をつく。
それなのに、リカルドが傲慢な態度を引っ込めてご機嫌伺いのように言うせいで、また笑いそうになった。
そもそも、最初からこの婚約に同意するつもりはなかった。
なのにリカルドは私を見初めたあと、何度も断ったにも拘らず公爵家の権力を濫用して強引に交際まで漕ぎつけた。
父の爵位を盾に、母の身を脅しに、妹の進学を阻止すると暗に仄めかし。
傍若無人に、傲岸不遜に、私を手に入れたのだ。
大嫌いだった。
軽蔑していた。
姿形は整っていても、醜悪な中身に怖気がするほどの嫌悪があった。
それでも強制的に近くにいさせられるうちに、リカルドが手に入らないものに燃えるタチだということに気付いた。
その上、釣った魚に餌をやらないタイプだというのもわかった。
だから半年を過ぎたあたりからツンケンした態度を改め、必死に心を殺して大好きなフリで尽くしてきた。
ついでに人の男にすぐ手を出すことで有名な、玉の輿狙いの知人にもわざと惚気まくった。
完全にけしかけた形になるが、少しおつむの弱いリリアはここぞとばかりに食いついた。
おかげさまで今日という日を無事に迎えることが出来たのだ。
「ありがとうリリア。あなたは最高のお友達だわ」
微笑みを浮かべてリリアに礼を言う。
誉め言葉を言ったのに、なぜかリリアは怯えた目をしている。
「一度婚約破棄した人間とは二度と縁を結べないこと、ご存知ですわよね」
確認するように問うが、二人は答えてくれない。
仕方なく公証人に同じ問いを繰り返すと、「その通りです」と保証してくれた。
その目にはもう気の毒そうな色はなかった。
むしろ今後の展開を期待するような、いたずらっぽい輝きさえ見える。
あの人、たぶん結構仲良くなれそうだ。
それにしても、と思う。
私は嫌いな男と婚約を破棄出来て、リカルドは新たな婚約者を見つけ、リリアは金持ちイケメンを捕まえた。
全員が幸せになったというのに、何故か元婚約者もその新婚約者も青い顔をしている。
不思議だ。
何故だろう。
いつまでも反応がないので仕方なく話を続ける。
こんな茶番、さっさと終わらせてしまいたい。
「婚約破棄した側が多額の慰謝料を払うこともご存知ですね?」
きちんと法律わかってますよね? と念を押すように確認する。
二人はますます蒼褪めた。
頷かないが知ったことではない。
公爵家に課される慰謝料は莫大なものになるだろう。
もちろん庶民や男爵家程度の人間にしてみればの話だ。
公爵家からしてみれば、少々懐が痛むくらいで払えないほどではない。
それも一代前までのスターリング家であれば、だけど。
この耐え続けた一年の間に把握したことだが、当代のスターリング家当主、つまりリカルドの父親の代から、一気に家が傾き始めているらしい。
それを知る人はあまりいないだろう。
だってこのパーティーもそうだが、屋敷から調度品に至るまでなんでも豪華で華美で目が潰れるほどだ。
一見、羽振りが良さそうにしか見えない。
見栄っ張りで傲慢。
リカルドそっくりの父親も大嫌いだ。
財政状況が逼迫している、名ばかり公爵家に払えるほどの額かは謎だが、王宮から正式に遣わされてる役人が公証人だから言い逃れは出来ない。
「あなたとの一年は本当に辛く苦しいものでした」
リカルドの顔を真っ直ぐに見ながらしみじみと言って、これまでのことを振り返る。
いい記憶なんて一つたりともなかった。
「反吐が出るくらい嫌いなあなたを好きなフリなんて、ホント最悪」
思い出すだけでうんざりする。
結婚までは清いままでいたいのとゴネまくって、指一本触らせなかったことだけが不幸中の幸いだ。
たぶん、それでむしゃくしゃしていたせいもあって、こんな派手な舞台を用意してくれたのだろう。
全く以てありがたい。
おかげで今日集まった高位貴族様たち全員が証人になってくれる。
「リリアも」
視線を移して、怯えた顔のリリアを見る。
さっきまでの余裕綽綽な態度は見る影もない。
「リカルドのことをノロケるたび醜悪な顔してましたよね。気付いてました?」
嘲笑交じりに言うと、リリアの顔がどす黒く染まっていった。
ああ堪らない。
この顔を見られるなら、一年間耐えた甲斐がある。
「でもそんな日々もこれで終わり。清々しました。ホント最高の気分」
ニコニコと、最上級の笑顔で言い切る。
たぶん今まで生きてきた中で一番の笑顔だ。
「婚約破棄してくれて本当にありがとう。私、とっても幸せです。最高の一日だわ」
晴れやかな気分で、噛みしめるように言う。
今日という日を私は一生忘れないだろう。
「あなたたちの事、心の底からどうでもいいけど、まぁ私今幸せいっぱいだからこれくらいは言っておこうと思うの」
ズイと近寄って、反射的に後退りそうになる二人の手を取る。
「ご婚約おめでとう。どうぞお幸せに」
笑みを浮かべて、夢見るような口調で言う。
完璧な祝辞を送ったはずなのに、なぜかリカルドとリリアはその場にへたり込んでしまった。