13.災厄、来襲
スターリング家の顛末について話したあと、ライアンはあの頃の私の苦労話を真摯に聞いてくれた。
「大変だったな……」
「今となってはもう笑い話よ」
ウケを狙って話したつもりなのに、深く同情されて苦笑する。
確かに大変ではあった。
アレに愛の言葉を吐くときなんて、虫唾が走るくらいの嫌悪感があった。
それでも、これが終われば慰謝料、これに耐えれば経営資金、と自分に言い聞かせながらなんとか乗り越えてきたのだ。
「だが貴重な時間を無駄にさせられた」
少し怒りを滲ませたような口調でライアンが言う。
お嬢様方に時間を取られがちな彼だからこそ、リカルドの私に対する扱いにご立腹なのだろう。
「でもそのおかげで自分の店を持てたと思うと、なかなか割のいい仕事だったわ」
肩を竦めながら言うと、ライアンがようやく笑ってくれた。
「フローレスは前向きだな」
「ええ。悪くないでしょ」
にやりと唇を吊り上げると、彼は深く頷いた。
「俺も見習うとしよう」
「そうするといいわ。なんだったら今度ポジティブに生きる秘訣を伝授してあげましょうか」
偉そうな態度で冗談交じりに言うと、ライアンはわざわざ生真面目な表情を作って「是非」と言って乗ってきた。
ライアンとこんな風に話せるのも、元を辿ればリカルドのアホのおかげと言えなくもない。
そう考えると少しはあの一年間に感謝してやらなくもない気持ちになってきた。
うっかりそんなことを考えてしまったせいだろうか。
嵐は突然やってきた。
ライアンと話をした三日後のことだ。
平日の真昼間。
客の入りはまずまずで、忙しく立ち働いている最中だった。
最近週に一度通ってくれるようになった初々しいカップル。
インテリすぎて私にはついていけない会話で盛り上がる四人組の老紳士。
噂話にさんざめく御令嬢方。
学校を抜け出しお茶をしに来た学生さん達。
顔ぶれは様々だ。
常連もいれば、新規のお客さんもいる。
空いた席を片付けてカウンター内に戻ると、入口のベルが鳴った。
新しいお客さんが来たのかと視線を向けて、持っていたグラスを取り落としそうになる。
いらっしゃいませという言葉は喉に貼りついて、一音も発することが出来なかった。
「やあフローレス」
やけに甘ったるい声。
長めの金髪をかき上げながら、キザったらしい動作で入ってきたその男。
「リカルド……」
名前を呼ぶだけで吐き気がする。
「会いに来てやったぞ」
もう二度と会うことはないと思っていた男が、目の前まで来て偉そうに踏ん反り返る。
今、熱湯の煮えたぎるケトルがこの手にあったら、間違いなくぶっかけていたことだろう。
衝動を抑えてエプロンのポケットに両手を突っ込む。
危うく犯罪者になるところだった。
「帰ってくださる?」
「そう照れるなって。愛しの旦那様に会いたくてたまらなかっただろ」
あ、やっぱ今からお湯沸かそう。
思わず芽生える殺意を、隠すためににっこり笑って見せる。
「そうそう。女は素直なのが一番だ」
それを嬉しくて浮かべた微笑みだと勘違いしたあんぽんたんが、勝ち誇ったように言った。
あれから一年以上が経つというのに、頭の中は一ミリも成長していないらしい。
私は迷いなくコンロの点火ボタンを押した。
それから怒鳴りたいのをグッと堪え、大きく息を吐く。
「……あなたはリリアの旦那様でしょう?」
「リリア? ああ、キミから俺を奪い取った泥棒猫のことか」
「いや別に奪われたとか思ってないんですけど」
「やはりわかってくれていたんだね、俺の心はずっとキミだけを想っていたということを」
「いやだから私がけしかけたんだっつの」
「俺の愛を試そうとしたんだろう? 可愛い人だ」
「頭沸いてるんですか?」
あまりの話の通じなさにこめかみのあたりがピキッと音を立てた。
こいつここまで頭の中お花畑だったかしら。
どこから私が店を構えていると知ったのかはわからないが、妄想話をしに来ただけならさっさと帰ってほしい。
「カレン、出よう」
店内にいたカップルの男が、彼女に小声で言って立ち上がる。
不穏な空気をいち早く察知して、彼女が巻き込まれないようにしているのだろう。
賢明な青年だ。
「すみません、お会計を」
申し訳なさそうな顔で遠慮がちに言って、彼女の荷物ごと持ってレジに来た。
お客様に余計なこと言うなよという牽制を込めた目で、リカルドを睨みながら入り口前のレジに向かう。
バチンとウィンクを返してきたので、たぶん私の牽制は伝わらなかった。
会計を終えた男性はリカルドをチラッと見ると、強張った顔でそそくさと彼女の手を引き店を出ていった。
正しい判断だ。
たぶんこのアホがスターリング家の息子だと気付いたのだろう。関わらないのが吉だ。
リカルドもこれくらい賢い人間だったら良かったのに。
リカルドは目立ちたがりだから、式典や催事の出席率が無駄にいい。
その際、必ず何かしらの挨拶をするし、立ち居振る舞いがいちいち派手なので注目が集まりやすい。
たぶん、あの青年もどこかでリカルドの顔を知っていたのだろう。
カップルを皮切りに、店内にいたお客様が次々に帰っていく。
がっくりしている私をよそに、リカルドはちゃっかり四人掛けのテーブル席に座り、くつろぎ始めている。
「話を続けていいかな」
「だめです」
「俺たちはあの日、離れるべきではなかったと思うんだ」
断ったのに、すっかり自分に酔っているのか構わず話を続ける。
時間の無駄なので、少しでも有意義に使おうと適当に話を聞き流しながら、帰ってしまったお客様のテーブルを片付ける。
演説の内容は、要約する必要もないくらいヨリを戻そうということばかり。
もとから戻すヨリもねーわという旨のことを直接的に言っても、照れて強がっているのだと脳内で変換されていく。
リリアとは全くうまくいっていないらしく、愚痴も混じるから最悪だ。
いっそリリアが可哀想になってくる。
とうとう店内は空になって、イライラは最高潮だ。
「営業妨害なんで出てってもらえますか」
据わった目で静かに言うと、リカルドのよく回る口がようやく止まった。
「……俺の元に戻ってくれば、こんなちっぽけな店であくせく働く必要もなくなるんだぞ」
憐れむように言われて手が止まる。
その言葉にとうとう堪忍袋の緒が切れた。