辻売らない師まいたけさん
しいたけ様へ捧げます。(*´꒳`*)
いつも通りの夕方。
商店街を通り抜け、保育園へお迎えに。
そのはずが。
四つ角の八百屋を通り過ぎようとすると。
五分刈り頭の小さなおっさんに捕まった。
おっさんは、百五十センチも無さそうな小柄な風体。
駅弁売りのように底の浅い箱をタスキ掛けにした紐で肩から下げて立っていた。
顔は、ひどく狭い富士額をしていて丸顔。眉と唇は太く、ぎょろぎょろとした目と鼻の脇に大きなホクロのある特徴的な顔立ちだった。
こんな特徴にあふれたおっさん。
僕の知り合いに居ない。
「あ、韮崎さん!こんにちは!」
なのに、僕を見るなり、この小さいおっさんが声を掛けてきた。
「すみません、急いでるんで。」
まったく知らない人なので、通り過ぎようとすると、
「いえいえ、お時間は取らせませんから、こちらへどうぞ!」
そう言って小さいおっさんは、僕の腕を取ると、八百屋の軒先から少し外れたところへ。
「いやいや、本当に急いでいるんで!」
なんだ、強引な勧誘か?!
「わかっております!
お子様のお迎えでございますよね!
そして、今夜はカレーを食べたいと!
韮崎さんは希望している!」
僕の腕を取ったまま小さいおっさんは言った。
ものすごく、にこにこしてる。
え、何、怖い。
「あ、怖くないですよ!韮崎さんのために、ワタクシここに参りましたので!」
思考を読んだのか、表情に出ていたのか。
僕の思ったことをそのまま指摘され、話す事に危険に感じた。
「…………………」
「あ、警戒されなくても大丈夫ですよ!
今回、ワタクシが発明したオタマを韮崎さんにお渡ししたかっただけですので!」
そう言って、小さいおっさんは、僕の腕を離した。
肩から下げたタスキをするりと撫でる。
お腹あたりに下げている駅弁屋のような底の浅い箱の上に、唐草模様の布を掛けた。
そして、
「いち、にい、さん!」
と声をあげ、
「しい!」
と、一際大きな声でその布を取り去った。
しい?要るの⁈
すると、何も入っていなかった箱に、シリコン製と思われる白いオタマがひとつ。
「いや、手品師じゃん!」
さっき、発明って言っていたけど、出し方が手品師以外の何者でもないんだけど⁈
僕は、警戒していたことも忘れ、大声で叫んだ。
すると、小さいおっさんは得意げな顔になった。
「いえ、こちらはワタクシが、
韮崎さんのために!
韮崎さん、だけの、ために!
発明したオタマです!」
小さなおっさんは僕の目をまっすぐ見つめて、説明を始めた。
「なんと、このオタマ、この持ち手部分を左に回すとカレーの香辛料を吸着し、普通によそうだけで、辛くないカレーになるんです!
そして、反対の右側へ回すと、吸着した香辛料がオタマの中へ戻されます。
つまり、左側へ捻ってから、お子様と奥様のカレーをよそえば、甘いカレー。
その後に、韮崎さんが食べる時は、右側へ捻ってカレーをよそえば、辛いカレーになります。
どうです?これで、中辛のカレールウでひと鍋作れば、お好みのカレーが食べられますよ!」
ふふん!と小さいおっさんは、オタマを片手にドヤ顔だ。
おっさんの手で、右、左と回されると、オタマの持ち手が赤くなったり、白くなったりするのを僕は呆然と眺めていた。
なぜなら。
「え、すごい…。これで、辛いカレーが食べたいからって、鍋を分ける必要もないし、辛くないカレーで我慢しなくても、いいのか…?」
保育園へお迎えに行ってから、夕飯を作るまでが今日の予定だった。
そして、カレーを食べたいけれど、子ども用のカレーの味に飽き飽きしていた僕は、辛いカレーを家で食べたくて仕方がなかった。
しかし、辛いカレーを食べたいからと外食するには、僕の財布が極寒で厳しい上に、ひとりで食べに行く時間もなかった。
知らないおっさんが、僕のためを思って、素晴らしい発明をしてくれていたことに、不覚にも、感動してしまった。
「これ、素晴らしいですね…!」
「ええ、韮崎さんのために!
頑張りました!
カーボンナノチューブを使うことによって、香辛料の吸着が出来ました!」
僕はオタマに伸ばしていた手をぴたりと止めた。
「カーボンナノチューブと香辛料の吸着って、絶対関係ないですよね⁈」
「そ、そんなことはありませんよ?」
「ちょっと凄いと思ったけど、あやしいから要りません!それに僕はこんな発明したばかりのものを買えるだけのお金を今すぐ払えません!」
「カーボンナノチューブの熱伝導率は高いんですよ!」
「そこだけ知ったかぶりの知識を入れない!」
「お金は要りません!韮崎さんのために作ったんです!」
「ですから、そんな高そうなもの、受け取れません!」
「じゃあ、試作品として使って下さいよ!」
「そんな名前も知らない、見ず知らずの人から受け取れません!」
すると、小さいおっさんは、ショックを受けた顔で、オタマを僕の胸元に押し付けたまま固まってしまった。
「え、韮崎さん、
ワタクシのこと、
知らないんですか…?」
ぎょろぎょろとした目をさらに大きくし、おっさんは、震える太い唇を一文字に結んだ。
「え、ええ、知りません。」
こんな特徴的なおっさん、忘れるわけがない。
むしろ、僕のような平々凡々な人間は、相手に忘れられることはよくある。
ところが、この特徴的なおっさんは、平々凡々の地味な僕を知っていた。
そして、僕のために発明品まで作ってくれていた。
知らない人に、知らない内に大切にされていた。
それを知った今の僕は、心の中でとても動揺していた。
小さいおっさんは、オタマを握る手を震わせながら、
「そ、それじゃあ、このオタマの代金の代わりに、韮崎さんがワタクシに名前をつけて下さい。」
きりりと太い眉をあげて、おっさんは僕の目を見て言った。
僕は会ったばかりの見知らぬおっさんに名前をつけろと言われて、断わろうとした。
でも、魔法のような発明のオタマが欲しい気持ちと、僕の事を真摯に思うおっさんの気持ちを、ありがたいと思う気持ちも確かにあって。
僕は視線をすぐ隣にある八百屋へ彷徨わせて、迷うこと十秒。
保育園へのお迎えがそろそろやばい!
大事な事を思い出した僕は、咄嗟に目に入った文字を選んだ。
「ま、まいたけ!
まいたけさんはどうですか?」
人の名前にキノコの名前って、何だよ!
言ってすぐに思ったが、突然"まいたけ"と決められたおっさんは、
「まいたけ、
韮崎さんの好物が、
ワタクシの名前…まいたけ…
いいですね!!」
頬を染めたかと思うと、食い気味で受け入れた。
おっさん改め、まいたけさんは、五分刈りの頭から湯気が出そうなほど真っ赤な顔で、「まいたけ、まいたけ」と連呼していた。
僕はちょっと怖くなった。
それと、本気で保育園のお迎えが間に合わない!
「そ、それじゃ、僕はこれで!」
さっさと立ち去ろうと右手を軽くあげた。
それを見て、急に我に返ったまいたけさんは、軽く背伸びをして僕の右手にオタマを握らせると、
「もし、お使いいただいて、成功していると思われた場合は、『ありがとう』と、大声で十回言って下さい。」
と言って、あっさりと手を振って離れていった。
その顔は満面の笑みで、鼻の横のホクロが広がって大きく見えるほどだった。
僕はその後、右手にオタマを握りしめたまま、保育園まで全力疾走した。
帰りに先ほどの八百屋に寄って、カレーの材料を子どもと一緒に選び、買って帰った。
そして、夕飯の時。
まいたけさんに言われた通りに、オタマの持ち手を左側へ捻ってから、子どもと妻のカレーをよそい、その後に、右側へ捻って持ち手の赤くなったオタマで僕のカレーをよそった。
子どもと妻のカレーは、いつも通りの甘々なカレーになり、僕のカレーは辛いカレーになった。
僕は久しぶりに、ひーひー言いながら、辛いカレーを冷たい牛乳で、食べることが出来た。
辛いカレーが染みた玉ねぎの後に、甘い人参の味、そして優しく辛さにまみれた舌を包むジャガイモのほくほくさ。
鼻から抜ける香辛料の香り。
そのすべてを支える白米の安定感。
美味しかった。
少し、涙が出たのは、辛さのせいだと思う。
食後、僕は台所で食器を洗い、オタマもきれいに洗った。
僕は、オタマをキッチンペーパーで拭きながら、まいたけさんの言っていた通り、成功した場合の言葉を大きな声で言った。
「ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!」
すると、オタマではなく、僕の頭の少し上の方から、
『認証しました。
まいたけ、さんの、
カーボンナノチューブレベルが、
上がりました。』
と、機械音のような声が聞こえた。
僕は思わず、
「だから、何でカーボンナノチューブなんだよ!」
と、叫んだ。
リビングの方から、子どものなぁにぃー?という声が聞こえた。
〜おしまい〜