義兄と義弟がわたしに愛を囁く。
わたしがアルハント公爵家の令嬢になることが決まったのは、母が後妻として公爵に娶られたからだった。
母と公爵が一体どのようにして出逢ったのか? それについては二人ともが教えてくれないので分からないけれど、とにもかくにも、これは急すぎる出来事としてわたしに強烈な衝撃を与えた
今まで小さな街の隅で母と二人きりで、毎日大きな農場へ手伝いに行く仕事をする日々だったのに、いきなり今日から公爵令嬢なのだよと言われても目も頭の中もぐるぐるとしか回らなくて。
爪や髪のお手入れと言って、専用の侍女がついて世話をしてくれる。着るのも勿体無く感じるなめらか絹の服をあてがわれて、街に出かける時には”徒歩なんてとんでもない”と馬車を出される。
母は遠慮がちにしながらも、まるで夢が叶った少女のように嬉しそうにそれらを受け入れていたけれど、わたしは一変した生活に戸惑いどうしたら良いのか分からなかった。
だから、ついつい元の生活と同じような行動を取ってしまい、公爵が領地経営以外に営んでいる果樹園や裁縫仕事の現場に出て手伝ってしまうことも多くて。
母はもうそんな汚れる仕事をしなくて良い、と言うけれど、そうしないとわたしが落ち着かないのだ。
ただ、いくら落ちつくとは言っても、これらは公爵令嬢のするべき行いでは無い。どういうふるまいが正しいのかはまだ勉強中であるけれど、こういうことをするのはとにかく違うのだ。
前の街にいたときに、貴族のご令嬢を何度か見かけた事があった。全員が今のわたしが着させられているようなキレイな服を着て、庭仕事なんか一切携わった経験が無いような、白くて細くてすべすべした指だったことを覚えている。
水仕事で荒れていて、野良仕事で傷ついて、いつも林檎のように赤らんでいるわたしの手と違う手だ。
だから、わたしはきっと間違っているし、それが原因で公爵が機嫌を悪くするのかなとは思ってビクついた時もあった。
でも、とてもありがたいことに公爵は、『――そうすれば落ち着くというのであれば、やるといい。ただ、自分の立場だけは忘れることが無きように』と、忠告混じりにではあったけれど暖かい目で見てくれていることを教えてくれた。
自分が思っているよりも悪く捉えられてはいない。その事実を知ってわたしはホッと安堵して、上手く回り始めた日々を享受し始めることが出来た。
全ては順調に何事もなく平穏に過ぎている――私はそう思っていた。
しかしながら、人生とは不思議なもので、ずっと平和ではいられない。ようやく少しばかり馴染み始めたころ、わたしは義理の兄アルバスと弟アランドに頭を悩ませることになる。
二人は母については、公爵家の妻たらんと努力している姿勢もあってか何も言わなかったけれど、民に混じるわたしのことを快くは思っていないようでしょっちゅう馬鹿にして来たのだ。
アルバスとアランドは仲が悪くはあったものの、公爵に隠れてわたしに取る態度は一環して同じであった。
「お前は自覚がまるで無い。これだから平民出身は。……義理だとしても妹だとは言いたくないな」
「僕も貧乏くさくて義姉さまって呼びたくないな。どうせなら友達に自慢出来る義姉さまに来て欲しかった」
すれ違い様にそんな風に何かを言われる。明確に見下されている、というのは馬鹿なわたしにも理解が出来ている。
でも、以前では考えられなかった良い生活が出来ているし、場違いなのも確かだから色々言われるのは仕方が無いと思い、何も言い返したりはしなかった。
それに、義理とはいえ兄妹であり姉弟であるのだから、仲良くしたいと思っているのもあった。いつかきっと妹として姉として認めてくれる日が来ると信じていたのだ。
しかし――そんなわたしの期待は、ぶくぶくと浮いては弾ける泡のように、あっけなくも形となる事は無かった。結論から言うと、そんな日が来ることは無かった。
義兄と義弟がわたしのことを馬鹿にしなくなる日は来たけれど、でも、その理由は家族として認めてくれたからじゃない。
二人ともがわたしを一人の女性として見るようになり、そういった意味の好意を向けるようになったのである。
どうしてそうなったのか、わたしには原因が分からない。
いや……本当は分かっている。理解している。知っている。わたしが余計なことをしたからだ。
でも、それは異性へ向ける好意を抱かれることを想定してやったことではないのだ。そんなことは一切考えていなかった。だから、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
「……真っ白」
窓の外を眺めると、白銀の世界がずうっと続いている。
空にはぽっかりとお月さまが浮かんでいて、そこから放たれる光が降り積もった雪に反射して、まるで昼をも欺くような明かりとなっている。
燭台にともる灯よりも確かな導となり、世界をくっきりと浮かび上がらせていた。
「……」
わたしは自らの唇を左手の薬指でなぞる。この唇は二度奪われた。
一人は義兄。もう一人は義弟。
彼らの想いにわたしは答えを出さなければいけない。どちらを選ぶのか、それともどちらも選ばないのか。
ゆっくりと瞳を閉じながら、わたしは振り返る。義兄と義弟がわたしに好意を抱いていると分かった時のことを、少しずつ思い出して行く。
☆
義兄アルバスがわたしへの認識を変えるキッカケになった出来事は何か――と問われれば、それは間違いなく貴族のパーティーでのことだと思う。
その日わたしは初めての社交界デビューで、アルバスがエスコートしてくれるという流れであった。
今までの例に漏れなく、アルバスの態度は分かりやすかった。公爵や母の前では特別に顔に出す事は無いけれど、わたしの前ではとても嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「……父上が言うから仕方なくだ。本当であれば、お前のようなやつのエスコートなどしたくはない。俺の品位が下がる」
会場へ向かう途中の馬車の中で、二人きりの時にそんなことを言われた。わたしは何も言わずに、じっと黙って俯いていた。
「何か言ったらどうなんだ」
「……」
「はぁ……」
二人しかいないから、アルバスの溜め息がとてもよく響く。何もしていないのに、どうしてそうも嫌がるのか。わたしが一体何をしたと言うのか?
手は綺麗じゃないけど、それは今日は手袋で隠れている。侍女が髪を整えてくれたし、お化粧も施してくれた。服だって綺麗なドレスを着たし、髪飾りやアンクレットだって可愛いものを着けて貰った。
鏡で見た時は自分でも信じられないくらいに、ぱっとした見た目だけならば公爵令嬢に相応しくなっている。
一緒にいて妹と言っても恥ずかしい見た目では無いハズだけれども、もしかすると作法がぎこちないのが気に入らないのだろうか? でも、ぎこちなくても一通りは教えて貰っているから、そこまで失礼なほどでは無い……と個人的には思っている。
あるいは、単にわたし個人が気に入らないのかも知れない。苦手とか嫌いな雰囲気とか顔立ちとか。
そんな出るハズもない答えを求めて、悶々とわたしが悩んでいると会場に辿り着いた。
馬車から降りると、アルバスは急に打って変わって笑顔の紳士へと変貌を遂げ、わたしのエスコートは完璧にこなしてくれた。品位という言葉を使っただけあって、人目があるとなんでもそつなくこなすらしい。
わたしのエスコートの最中に、アルバスは貴族の娘から熱視線を沢山向けられていた。涼しさを感じさせるような整い方の美形であり、そのうえ流れるようなその所作に華があるからだろう。
社交界はかくして進み、時折わたしはオロオロしたりもしたけれど、その都度ごとにアルバスが助け船を出してくれたので特別な問題は何も無かった。
「ありがとう……ございます」
一応はそんな風にお礼を言ってはみた。ただ、わたしにだけ聞こえるように舌打ちとかをしてくるのがアルバスであり、今回も例に漏れず舌打ちをされました。
さてそれから。社交界も終わり頃になり、なんとかこなせたとわたしがホッとして外に出た時だ。大きな音が会場の中から聞こえた。
振り返ると、アルバスが他の貴族の男の子から殴られていたのが見えた。
「お前ムカつくんだよアルバス。なんでも完璧に出来ますって顔をして、人が良いように振る舞って、その内面はどこまでも汚い癖に」
「……言いたいことはそれだけか? 誰もが礼を交わし合う社交界でのこの無礼。家名に泥を塗っているだけと心得よ。……不問にしてやる。ハードット伯爵が嫡男ベルフォイ。俺が優しくて良かったな。伯爵が公爵にたてつくなど本来であれば決して許される行いではない」
「そういう上から目線が気に入らな――」
アルバスが再び殴られそうになる。しかし、その拳がアルバスに届くことは無かった。代わりにわたしの頬に直撃したからだ。
気が付いたら飛び出していた。色々と苦手で嫌味な義兄ではあるけれど、家族なのだから助けなきゃって思ったのだ。
「痛い……」
「な、なんだ急に割って入って来て。俺は悪くないぞ。俺はアルバスを殴ろうとしただけなのに、勝手に飛び出して邪魔したお前が悪いんだ……」
「い、痛いよぉ……」
男の人の拳で殴られたことなんて無くて、とても大きくてごつごつとしていて、口の中が切れて唇の端からつつーと血が流れた。
じんじんとした痛みが顔中に広がる。本当に凄く痛くて、わたしはぽろぽろと泣いてその場にうずくまった。
「どうして俺を助け……」
「だって、だって、義兄さまが危なかったから……」
「……」
流れる涙が蒸発しそうに思えるくらいに頬が熱くて、わたしはみっともなく泣いて泣いて、折角して貰ったお化粧は全て台無しで、可愛い髪飾りも壊れてしまって……それがわたしが覚えている会場での最後の景色であった。
次にわたしが目を覚ましたのは、揺れる馬車の中だ。頬には冷たいタオルが当てられていて、心配そうな顔で覗き込んで来るアルバスの顔が見えて、わたしはぎょっとして飛び起きた。
「起きたか」
「義兄さま……い、いたっ……」
「喋らなくていい。痛むだろう。……俺を庇うなんてしなくていい。慣れている。……それにしても、俺はお前にあれだけ冷たく当たっていたと言うのに。巻き込んでしまったな。すまない」
それは本当に申し訳なさそうな、後悔にも満ち溢れたような表情で、思えばわたしはこの時に初めてアルバスから謝られた。
そして、何か思うところがあったのか、理由は分からないけれどこの日を境にアルバスは変わった。わたしに対する態度が180度変わったのだ。
壊れた髪飾りの代わりを見つけてくれたり、事あるごとにわたしの心配をするようになったり、果ては果樹園や縫製の手伝いをするわたしと一緒に作業するようになった。
「簡単にやっているように見えて、意外と難しいものだな」
「慣れればそれほど苦では……。と言うか、汚れますから義兄さまはこんな仕事はしなくても」
「俺が嫌いか?」
「そういうことではなくて、わたしがやっているのは落ち着くからであって、義兄さまはそうではないのではないかと」
「……お前にどのような理由であろうとも、その行いを見る大多数の者には関係が無い。結果が見られる。民からのお前の評判はとてもいい。俺も少し見習おうと思っただけだ」
「えっと……?」
「気にするな。俺の為にやっていることでもある。理由もなく人を嫌ったり、苛立ちをぶつけたり……そのような自分をきちんと見つめ直せるようになった。それだけだ」
なにやら……アルバスは自分自身の悪い点と向き合えるようになった……らしい。
多少はわたしも戸惑ったものの、それは良い事だと思うし、そのお陰もあって段々と距離が縮まって行くのを感じた。家族として認めて貰えるようになるのも時間の問題かも、なんていう期待も出来た。
でも、少しずつ過ぎる時間が鮮明に浮き彫りにする。アルバスがわたしに抱き始めた感情が、家族として受け入れる気持ちというよりも、異性へ抱く恋慕であるのだと。
それがハッキリと形として現れたのは、半年が過ぎてわたしの婚約話が持ち上がった時だ。相手は性格も家格も申し分が無い人と公爵が太鼓判を押す人で、実際に会った時にわたしも良い人のように感じていた。
わたしがもとは平民であることや、自分の意思で色々と手伝いをしていることを嫌がらず、「やりたいようにやればいい」と言ってくれる人であり、好印象を抱けていたのだ。
だから、話は着々と進んで行ったのだけれども――最終的に破談という予想外の結末を迎えることになった。アルバスが「俺が認めない」と横やりを入れてめちゃくちゃにしてしまったのである。
アルバスの行為は、穏やかな公爵の珍しい怒りを呼び騒動にまで発展した。しかし、なぜそのようなことをしたのかは決して口にしなかった。
理由を語ったのはわたしに対してだけだ。
婚約破談となり色々と傷心に陥ったわたしが、自分で作った憩いの場の小さな薔薇園に佇み溜め息をついていた時に、アルバスがやって来て告げた。
「……婚約が破談になってしまったな」
「義兄さまが邪魔をするから……」
「どうして邪魔をしたと思う?」
「どうしてって……それは分かりません。わたしは義兄さまではないので――」
次の瞬間、わたしは大きく目を見開いて尻もちをついた。唇に確かな感触があった。あろうことか、アルバスがわたしにキスをしたのだ。
「え……?」
「こういうことなわけだ」
「こ、こういうことなわけって……」
「鈍いやつだ。俺はお前を好いている。一人の女として。……だから婚約は破談になるように動いた。他の男に取られてなるものか」
それはわたしにとって急過ぎた。アルバスにとっては悩んだ末の事なのかも知れないけれど、わたしにとっては突然過ぎる言葉でしか無くて。
「そ、そんな……わたしたちは兄妹で……」
「義理のな」
「それは……確かにそうかも知れませんが……でもどうして……」
「お前と触れあっていく中で、少しずつ惹かれていった。……お前には魅力がある。他の貴族の女にはない魅力が」
そんなことを言われても、わたしはどうすれば良いのか分からない。明確な好意を男性から寄せられたのも初めてだし、キスをされたのだって初めてなのだ。
わたしはただただ押し黙って俯いた。すると、アルバスがわたしの耳元で囁いた。
「いきなり過ぎたな。戸惑う気持ちも分かる。……俺自身も戸惑っている。だが、この気持ちは一時の迷いでもない本物だ。それだけは知っていて欲しい」
わたしはこれ以降、アルバスを義兄と見るべきなのか、それともひとりの男性と見るべきなのかに頭を悩ませることになった。
確かに兄妹ではあるけれど義理なのだ。血の繋がりは無い。
でも、ずっと家族として仲良くなろうとしていたわたしからすれば、気持ちの切り替えなど簡単に出来ることでは無かった。
今さきほどの唇の感触が僅かに残っている。指でなぞるとアルバスの唇を思い出してしまって、わたしの頬がさざなみのようにゆっくりと赤く染まって行く。
この一件だけでもわたしの混乱は最高潮だ。しかし、一体どうしてなのか苦悩や辛苦というのは重なるものらしく、わたしは続けて今度は義弟のアランドから好意を向けられることになる。
☆
義弟のアランドがわたしに興味を持ち始めたのは、アルバスが婚約をめちゃくちゃにした後のことである。
自分と大差が無い態度をわたしに取っていたアルバスが、徐々に柔らかくなり、そして最後には感情を剥き出しにした騒動を起こした――そのことがアランドの好奇心を強く刺激してしまったようだ。
「アルバス兄さまがあんなに取り乱すなんて珍しい。そういえば、義姉さまに対する態度が最近柔らかいなと思っていたんだ。なんだか、まるで惚れた女を取られまいと必死になっているかのような……」
「ア、アランドには何も関係が無いわ」
今まで嫌味しか言って来なかったアランドが、今では探るような問いかけばかりをしてくる。
アルバスがわたしに好意を抱いていることについては、誰も知らない。あの騒動が一体どうして起きたのかは、アルバスがわたし以外には堅く口を閉ざしているからだ。
「ふぅん。……まさかと思うけど、兄さまから好きって言われちゃったとか?」
妙に勘が鋭い。観察する力に長けている、とでも言えば良いのだろうか。アランドは細かい所に気づくのが得意だ。
嫌いなアルバスの弱みを握れるかも知れない、という理由でいつも以上に敏感になっているのもありそうだけれども。
「……もうわたしは行くわね。それではねアランド」
わたしは何も言わずにその場を去ることにした。
真実を知ったらアランドはきっと面白がり、そうなると色々とこじれてしまうのが容易に想像出来たからだ。
「ふぅん」
アランドは可愛い感じの整い方をした顔立ちをしている。アルバスとはまた違って意味で貴婦人にも好かれそうな雰囲気の男の子だ。
けれども、この時のアランドは獰猛な表情であった。それは獲物を見つけた猛禽類にも似ており、そして嗅覚までもが鋭くなっていたのか、アルバスの想いをあくる日に嗅ぎつけるに至ってしまう。
アルバスが夜更けにわたしの部屋を訪ねた時のことだった。誰にも見つからないようにプレゼントを持って来て、わたしが困惑しながらも受け取った瞬間だ。
がたり、と物音がした。わたしとアルバスはネズミか何かだろうと思い、その時は気にしなかった。
けれどもネズミなんかでは無かったのだ。それが判明したのは、アルバスが異国の視察に行くとお屋敷を離れた時である。
夜が訪れてわたしがそろそろ寝ようと思っていると、アランドがふいにやってきた。
「どうしたのアランド。こんな夜更けに」
「……この前兄さまからプレゼントを貰っていたね」
わたしは「えっ」と驚いて思わず後ずさりながらも、同時に気づいた。あの時にした物音はネズミでは無くアランドだったのだと。
「その反応……僕の見間違いなんかじゃなかったようだね」
「な、何のこと……?」
「とぼけても無駄さ。僕はしっかりこの目で見たよ。なるほど。これで色々と辻褄がある。……二人は義理とはいえ兄妹なのに、そういうカンケイになっていたわけだ」
「違うわ。そんなカンケイになんかなっては……」
「ふぅん。……それじゃあ兄さまの一方的な片思いということかな?」
「やめて、もうやめて」
アランドが近づいて来る。わたしはじりじりと後ろに下がって、けれども背が壁に当たってしまった。
「来ないで……」
「そんな逃げないでよ」
甘い声音でアランドはわたしの耳元でそう囁くと、覆い被さるようにしてその唇を重ねて来た。
わたしは最初、一体何が起きているのか分からず激しく動揺したものの、それがキスだとすぐに気付いて慌ててアランドを押して撥ね退けた。
「な、何をするのよ」
「僕が兄さまのことを嫌っているのは知っているよね? だから、兄さまが大切にしている義姉さまを奪っちゃおうかなって」
「そんな理由で……こんなことを……?」
「僕にとっては大事な理由さ。それにしても、義姉さまと兄さまがそういう関係だって知ったら、父さまも義母さまも仰天してしまうだろうね。……兄さまは義姉さまのことを庇うだろうけれど、そうすると兄さまに大変な処分が下ってしまうかも知れない。兄さまは最近父さまの顰蹙を買いがちだから、容赦されないだろうね」
「義兄さまが……大変な処分を下される……」
「そうだよ。追放とかされちゃうかも? だから兄さまに迷惑を掛けたくなければ、黙っていて欲しければ、僕の秘密の女になるんだ。……これは単に兄さまへの嫌がらせっていうだけじゃない。実は義姉さまみたいなしおらしい感じが凄く僕好みでもあるんだ。嫌いなら手なんか出さない。……今日のところはもう戻るよ。兄さまが帰って来たら、僕と兄さまのどちらにするか選んで貰おうかな」
アランドは妖しく笑うと、そのまま去って行った。
わたしは背にした壁をずるずると滑り落ちながら、その場にぺたんと座り込んでしまう。
義弟にまで唇を奪われてしまった。それはアルバスへの嫌がらせの意味が大きいのだろうけれども、それだけが理由ではなく、明確に”僕好みの女だから”とも言われた。
どうすれば良いのだろうか。わたしはどうすれば良いのだろうか。
分からない。何も分からないのだ。
でも、ただ一つだけ、たった一つだけ……アルバスに迷惑が掛かるかも知れないと思うと、ちくりと胸の奥が痛んだ。
最初は嫌味な人であったけれど、途中から心を入れ替えてわたしを理解してくれようとしたのがアルバスだ。
以前と違い、笑顔も沢山見せてくれるようになった。
そんなアルバスの悲しい表情を想像すると、わたしの目からは涙が溢れて来て止まらなくなった。
☆
遠くから馬車の音が聞こえた。
ゆっくりと瞼を上げ、わたしが外の景色を眺めると、アルバスを乗せた馬車が雪景色の向こうからこちらへやって来ているのが見えた。
出来れば、まだ帰って来て欲しくは無かった。アルバスが戻って来るということは、わたしが決断を迫られることを意味しているからだ。
過去を振り返っていく中で、わたしは少しばかり落ち着くことが出来たお陰もあり、自分自身の気持ちについて気づくことが出来ていた。
深く考える必要なんかない。アルバスの悲しそうな顔だけは見たくないと思ったことが、それがもう答えなのだ。
――アルバスが好き。義兄さまとしてではなく一人の男性として。それがわたしの素直な気持ち。
けれども、それは決して叶えようとしてはいけない想いでもある。わたしがそれを望んでしまえば、アルバスを求めてしまえば、きっと後悔してしまう。
わたしと想いが通じてしまえば、アルバスはどうなるか分からない。好きだからこそ、幸せであって欲しいし、足手まといになるようなことはしたくないのだ。
だから、わたしの出すべき答えは決まっている。
「……起きているか?」
「義兄さま……」
「良かった。だいぶ遅くの帰りになってしまったから、もしかすると寝ているかも知れないと思っていたよ。……悪いとは思っているが、良い土産を買うことが出来たから早く渡したかったんだ」
馬車から降りて、アルバスは一目散にわたしの部屋まで来た。そして、わたしの左手の薬指に綺麗な宝石がついた指輪をはめた。
「視察に行った異国でしか取れないと言われている、特別な宝石だ。この宝石には意味があって、その、あれだ。……あとで言う」
どういう意味合いを持つ宝石なのかは、言われずともなんとなく察しがつく。だからわたしは、ただただ嬉しく思った。
でも、そうは思ってもわたしが浮かべたのは悲しみと涙だ。
一緒になってはいけない。その道を選んではいけない。そう決めたばかりなのに、こんなものを渡されてしまったせいで、その決意が揺らいでしまった。
「どうして泣く? 嬉しくは無かったか……?」
「いえ、嬉しいです。この指輪も義兄さまの気持ちも……わたしは義兄さまのことが好きです。家族としてではなく、一人の男性として」
気づけば、勢いに任せて言ってしまった。言ってはいけない言葉を口に出してしまった。
それが茨の道であることは理解している。きっと大変な迷惑をかけてしまうことになるのも理解している。
でも、それでも、わたしは自分の気持ちにはウソがつけなくなってしまった。
「そうか……そうなのか。良かった」
安堵するアルバスの胸の中で、わたしはずっと泣いていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。きっと、義兄さまに沢山の迷惑をかけてしまいます。前に義兄さまから贈り物をもらった時のことをアランドに見られていて、それで義父さまとお母さまに言うと言われました。きっとお怒りになります。義兄さまが大変なことになります」
「それは言われずとも俺とて覚悟していたことだ。気にすることは無い。なんとかしてみせよう。……それにしてもアランドか。余計なことに気づく愚弟だ。あとでオシオキしてやる必要がありそうだな」
わたしを落ち着かせようと背中をさするアルバスの手の感触が、冬の気温で冷えた体にはじんわりと温もりを与えてくれて、そして心にまで染みわたっていく。
……止まれない。止まらない。わたしの中の想いが堰を切ったように流れ出していく。
吹き荒れる嵐の中の濁流に成す術が無いように、わたしの溢れる想いは、もはやどんな手段を用いようとも抑えつけることは出来そうには無かった。
世界を照らしているのは月明りだ。
それは決して華やかな眩しい陽の光には及ばないけれども、しかし、二人で手を取って歩くには十分すぎるほどの明るさである。
「……愛している」
耳元で囁かれるその言葉を、わたしはもっと沢山聞いていたい。これから先もずぅっと……。
わたしとアルバスの未来を照らしているのは月明りである。
頼り無くは思える輝きだけれども、眩し過ぎて瞼を閉じてしまうような真昼よりも優しく、転ばないように足元を照らしてくれている。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
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