想像の外にしか
想像の外にしか、自分の本質は無いというのは、結局は意識の外にしか自分が居ないということなのだろうと思います
私は、だから、自らの無意識をみたいし、知りたいと思います
けれど、それは、どういった自分でしょう
他人の方が客観的に見えるものでしょうか
それすら私にはよく解りません
結局は私は、いつまでたっても、私という檻にとらわれているだけ
そういったことは、無意識をみようとしても結局はぬけられないそれ、穴のようなもので
結局は、穴を通り抜けようとして、その側に張り付いているだけ
私はそれを哀しく眺めようとしているだけ
無為で無意味で、ばからしくて
ただただなんのためにそれをやろうとしているのかもわからないけれど
私は、ただただ不安で、それをしたいように思えてしまっているのです
それは好きだからなのか、もしくは好きではないからなのかもよくわからないままに
私は、ただただ不安だから、私を調節するために、何かを調和させるために
私は私に今日も嘘をつくのです
嘘をついているという自覚もなくただただでたらめな言い訳を書き出しているのです
それはとても滑稽できっととてもおろかなことだろうに
それは、本質といえるでしょうか
私は、それは、まがい物にしか思えないし、自分ではそうとしか見えないと思えているのです
くらやみの中に何かあったとしてもそれが特別なものなのか、そうでないものかなど
私はわからないのです
ただただ、それが特別なものだと思い込みたいだけ
だから、結局は、全てが遊戯なのです
遊戯をしたくて私は遊戯をするのでしょう
いつまでも終わりのないそれ
それは、いつか終わるのでしょうか