所有すること
所有することとはなんだろう。私は、目の前のあなたは、何を所有したいと感じ、何を捨てたいと感じるだろうか。
私は、人間失格のさる文豪のように自分すら捨てたいが、ある一方で、それすら出来ないと思う。
答えは、この身があるということが示している通り、口だけだ。
所有に自ら自身も含まれるのなら、私は、何も捨てられてはいないんだろう。私を保っている以上、私は、私を保とうとする環境を手放せない。それがどのような環境であれ、だ。
書くことを手放すという状態を私がどのように定義しているのか、ここに書こうと思う。
書くということは一時的に収めることに似ている。私の中に収納して、その後、外に出していく形の中で、別の場所に収め直す。それが私が捉えている、書く、という状態だ。書くということそのものを手放すということは、私の中で収めようとすることを手放すことと同義となる。これは、言葉を吐き出すこととは同義ではない。言葉は収めたくて吐き出すものではないからだ。
私は書くことは息をすることと似ていると感じている。収めていく内に自然と肩の力が抜けていくからだ。毒抜きと似たようなものであるのかもしれない。