act.7-4 Maiden's Prayer
その頃、バーン家と男の取り引きを知ってしまったカーティスは、シリルとジゼルの元へと急いでいた。
バーン家の者であることを口早に告げ、屋外パーティーの開かれている庭園へと必死の形相で走り込む。
「シリル様…っ!」
多くの来賓の中、少しだけ年上に見える少年ー、ギルバートと穏やかに談笑しているシリルの姿を目に留めて、カーティスは乱れた呼吸を整える余裕などなくシリルの元へと駆け寄っていた。
「…カーティス!?」
水色の長髪を乱した、長身の穏やかそうな青年。この場にいるはずのない執事見習いが、しかも尋常ではない様子で息を乱しているのに気づいて、シリルの目が驚愕に見張られる。
けれど、ここへと到着した時には気づかなかった、シリルの横で人影に隠れていた少女の姿を見つけて、カーティスもまた驚いたようにまじまじとジゼルの顔をみつめていた。
「ジゼル…、様?」
「カーティス…」
どうかしたの?と不安そうに向けられる瞳に、カーティスは安堵から一気に脱力する。
「ご無事で…、良かったです」
膝に手をつき、大きく息を吐き出しながら、カーティスは安堵の吐息を洩らす。
「無事、って…」
「そうとわかればすぐにここから離れましょう」
意味がわからないと眉を潜めるシリルの前で、カーティスはジゼルの手首を取り、この場から連れ出そうと試みる。
だが。
「カーティスッ、ダメよ…っ!」
弱々しい力でその場に留まり、ジゼルはふるふると首を横に振っていた。
「…ジゼル様…?」
「…私は今日ここで、どうしてもお会いしなければならない方がいるから…」
今にも涙が零れ落ちそうな瞳に不安しか感じられない色を湛え、ジゼルはなにかを耐えるかのようにきゅっと唇を噛み締める。
ジゼルのその様子と言葉から、ジゼル自身は全てを承知の上だということに気づいて、カーティスは静かに想い人を見下ろしていた。
「…それは、タイロン・ゴメス様のことですか?」
途端、びくっ、と怯えたように震えた肩に、カーティスは我を忘れて声を荒げる。
「貴女はっ、彼がどのような人物なのかご存知なのですか!?」
カーティスとて多くを知っているわけではないが、耳に入ってくる噂だけでも録な男でないことだけは理解できる。
そんな男が、自分よりも二回り以上年の離れた少女を"妻"に迎えてなにを企んでいるかといえば、全てを知らずとも身震いしてしまう。
「…でも…っ」
「…どういうことだ?」
弱々しくも食い下がるジゼルの言葉を遮って、シリルは「説明してくれ」と少しだけ高い位置にあるカーティスの顔を見つめる。
「シリル様…」
自分を真っ直ぐ見つめてくる、将来自分が仕える主へと、カーティスは静かに口を開いていた。
「…実は…」
「カーティスッ」
告げることを咎めるような少女の意志など無視して、カーティスは、今日、ジゼルがこの催し物に参加した理由を説明する。
バーン家の借金返済と引き換えに、ジゼルがよくない噂の絶えない中年の男の元へと嫁がされることになったこと。
突然の社交界デビューの裏側は、その男と引き合わせる為のものであったこと。
シリルとジゼルを見送った後、二人の両親が影で泣き崩れていたのを見つけてしまい、普通ではない嫌な予感に苛まれたこと。
そんなカーティスの話を聞きながらカタカタと小刻みに震える妹の姿を見下ろして、シリルは「お前は覚悟の上だったのか」と、驚愕に目を見張っていた。
「だって…っ!」
他に方法がないんだもの…っ、と、今にも泣き出さんばかりのジゼルの表情を眺めながら、近くで三人の話へと耳を傾けていたギルバートもまたその内容に衝撃を覚えていた。
自分の目的の為、利用できるものは利用しようと、バーン家の負債事情などは把握していた。そして、そこに付け入ろうとしている"タイロン・ゴメス"の存在も。
ただ、ここまでのお家事情はさすがのギルバートも初耳だった。
そして、"タイロン・ゴメス"という男の、自分の知る得る限りの情報からその人物像を思い描いた時、ギルバートは、バーン兄妹とカーティスが想像するより遥かに最低最悪な結論へと至っていた。
今日、ジゼルとその男を会わせようものなら、確実にジゼルの身に危険が及ぶだろうという確信。
そして、なぜか今のところその気配はないということへの違和感。
その二つの矛盾に気づいた時、ギルバートはふと嫌な予感が胸に沸いたことを自覚する。
それは、今日、ジゼルを初めて目にした時に思ったこと。
金色の髪。水色のドレス。
二人目だ、と。
「…っ」
思わずバッと顔を上げて辺りを見回し、ギルバートは彼女の姿が見えないことに冷たい汗が流れていくのを感じる。
目的は、ジゼルだ、と言っていた不思議な少女。
「…そういえば、先ほどご一緒していた令嬢はどちらに?」
「え…?」
自分達のお家事情をギルバートの前で語っていたことに気づいているのかいないのか、焦燥を滲ませたギルバートの問いかけに、ジゼルは「そういえば」と首を傾ける。
「お兄様に紹介したかったのに、アリア様、どちらに行かれたのかしら…?」
少し席を外すと言われてから随分と時間がたっていると、ジゼルもまたきょろきょろと視線を廻らせる。
「アリア様?」
「はい、さっき知り合って…」
と、兄の問いかけにジゼルが嬉しそうに今日できたばかりの"友人"について語ろうとして。
「"アリア"…?」
ちょうど横を通り過ぎようとしていた少年がぴたりと足を止めたのに、ジゼルはそちらの方へと振り返っていた。
「今、"アリア"と言ったか?」
真っ直ぐこちらを見つめてくる少年は、思わず見惚れてしまうほど整った美貌をしていて、ジゼルは反射的にほんの一瞬だけ顔を赤らめると、「…はい」と小さく頷いていた。
「アリア様とお知り合いですか?」
「アイツはどこにいる」
ジゼルの問いかけには答える様子もなく、眉を潜めて用件だけを口にする少年に、横からシリルが口を挟む。
「貴方は?」
「オレはシオン・ガルシア」
わざわざ家名まで口にして、少年ー、シオンは自分を見つめる四人の姿へと視線を廻らせながら口を開く。
「アリア・フルールの婚約者だ」
「っ!」
ひたりとした瞳で告げられた言葉に、三者三様の驚きの表情が見て取れる。
家名まで出したのは、もちろん故意に他ならない。
「ガルシア、って…」
「フルール…?」
自国の五大公爵家の名前を知らぬ者など、国内に存在しない。まだ幼い子供であっても名前くらいは耳にしているだろう。
「って、公爵家の!?」
そんな方々がなぜこんなところに…、と、シリルが愕然としてしまうのは当然のことだろう。
今日の催し物は下級貴族と富豪の集まりだ。そんなところに上流階級の人間が顔を出すなど、通常ではありえない。
「アイツはどこにいった」
これだからアイツは…っ、と苛立たし気に舌を鳴らし、シオンは例の魔石の波動を頼ることにする。
この場に見えないその姿に、嫌な予感が胸を過っていた。
魔石の波動は確かにずっとこの座標を示していたから油断していた。
「…どこだ…?」
額へと意識を集中させ、魔石の波動を読み取れば、確かにこの敷地内ではあるものの随分と離れた場所にソレはあって、シオンは慌てて踵を返す。
「おいっ、どこに行く気…っ」
思わず素が出てしまったギルバートの声に、何処からともなく現れた黒い猫が、にゃぁ~っ!と咎めるような声を上げた。
「放っておくわけにもいかないだろ」
それに小さく返事を返し。
「ぼくも行きますっ」
シオンの反応に異常事態を察したらしいシリルが続くのに、二人はシオンの後ろ姿を追って走り出す。
去り際、カーティスの方へと振り返り、
「カーティスはジゼルを頼んだ!」
叫ばれたその言葉に、カーティスは不安そうに瞳を揺らめかせるジゼルの肩へと手を置いて大きく頷き返していた。