act.7-1 Maiden's Prayer
自分が、なにをすべきなのか。もしくは、なにもせずに見守るべきなのか。
今の時点ではよくわからない。
ただ、一つだけ。早急に動かなければならないことがある。
それは、シリルの妹、ジゼルの自殺。
"ゲーム"の中では、ZEROがシリルに接触を図る少し前の出来事のはずだ。
シリルの話は"ゲーム"の中盤辺りだったように記憶する。
つまり、今、動けばまだ間に合うはずなのだ。
"ゲーム"の"ストーリー"の破綻を考えている場合じゃない。
人一人の命がかかっている。
アリアが今動くことで失わずに済むというのなら。
(救わなくちゃ…!)
助けなければならないと、アリアは決意する。
幸いなことに、シリルとジゼルは男爵家の人間だ。
彼らが社交界に出ることがあれば、なんの違和感もなくすんなり接触することができる。
今はとにかく、彼らを救うことが最優先だ。
(まだ間に合う…!)
"ゲーム"の中で彼らに起こった不幸を思い出し、アリアはすぐにでも動き出すことを決断していた。
*****
"ゲーム"における、シリルの絶望。
それは、妹を救えなかったこと。
ジゼルはバーン家に仕える執事見習いのカーティスと恋仲だった。
だが、先々代からの積み重なった多額の負債を抱え、借金の形に二回り以上年上の男と婚約を結ばされてしまう。
莫大な負債を前に、シリルの両親も泣く泣く娘を差し出さなければならない状況に陥ったわけなのだが、それが最悪な結果を招くことになる。
ジゼルが、自殺してしまったのだ。
そして、恋人を失ったカーティスもまた廃人のようになり、妹を借金の形に売った両親と自殺に追い込んだ男を恨み、シリルは復讐を決意する。
その復讐の手伝いをするのかZEROだ。裏で違法取引をしていた男の家は結果的に崩壊するが、失った妹の命が戻ってくるわけではない。
また、復讐の過程で、妹が己の命を断った本当の理由を知ってしまう。
この国の法律では結婚は男女共に16歳から。貴族の間では基本的に婚前交渉はないものとされてはいるが、それはあくまで建前だ。
ジゼルは、好きでもない男に玩ばれ、精神的に追い詰められて自ら命を断ったのだ。
想う男がありながら無理矢理引き離され、二回り以上も離れた男と婚約させられたことが妹の命を奪ったのだと思っていたシリルは、妹が男に無理矢理手篭めにされていたことを知って失意の底に落とされる。
そんなシリルとカーティスの心を救い、両親との復縁を取り持つのが今回の"主人公"だ。
が。
もちろんアリアは、この"裏設定"の事件そのものを起こさせるつもりがない。
その後、シリルの協力を得て、公爵家から家宝を盗み出すという話に繋がっていくわけなのだが…。
(…後で考える!)
人の生き死にを前にして、秘宝入手の方法は取り敢えず後回しだ。
こうなれば、本来ここで関わってくるはずのもう一人の"ヒーロー"と"主人公"もどうなってくるかわからない。
それでもやはり、譲れない。
(わかっていて不幸になんて、させないもの…!)
だから、アリアは動き出す。
目指すは、誰も泣くことのない、想い合う二人の幸せな未来だ。
元々社交界への参加は貴族にとって基本とも言える。
華やかな場所での大勢の人たちの交流はあまり気乗りしないアリアだが、それでも公爵令嬢として、自ら積極的に参加するまでいかずとも、情報収集も兼ねてそれなりの数のパーティーには顔を出している。
とはいえ、アリアが基本的に参加しているのは上流階級のパーティーで、言葉は悪いが、男爵家のような下流貴族が催すものに顔を出すことは滅多にない。参加を乞う招待状だけは山ほど来るが、毎回丁寧な断りを入れているのが現状だ。
だが、この事態に送られてきた招待状の山を探してみれば、それらしき催し物への参加を願う手紙があって、さりげなく参加者の探りを入れてみたところ、見事にバーン家二人の名前があった。
しかもどうやら、ジゼルはこれが遅まきの社交界デビューの日になるともなれば、怪しいことこの上ない。
主催者はバーン家とはまた別の男爵家だったが、早速参加の旨を記した返事を出せば、これ以上なく丁寧な挨拶状が返ってきて、少しだけアリアを憂鬱にもさせていた。
下流貴族にとって、アリアのような上流貴族を己の催し物に呼ぶことができるということは、それだけでステータスになる。
主催者の意気揚々と喜ぶ顔が浮かんでそれだけは頭が痛いが、こればかりは仕方がない。
そうしてよほどのことがない限り男爵家の開く催し物になど参加をしないアリアの情報をどこで手に入れたのか、不審気に様子を伺ってくるシオンへは、遠縁にあたる令嬢が社交界デビューの日だからお祝いで参加すると言い訳して、「一緒に行く?」と極々普通の顔をして聞いてみた。
元々シオンは社交界の交流そのものを倦厭している様子があって、必要最低限しか参加していない。アリア一人での参加など見慣れた光景で、一応はその言い訳を納得したらしいシオンは、同行するとは言ってこなかった。ちょうどその日は他に用事があるということでもあったが、それでもなるべく早く終わらせて後から行くようなことも言われ、その反応に正直少しだけ驚いた。今までのシオンであれば考えられない行動だ。
とはいえ、アリアにしてみても、正直シオンの同行はどちらでも構わない。今回の目的は、あくまでジゼルとお友達になることだ。このことに関して後ろめたいことは一切ない。
万が一なにかがあったとしても、魔族を相手にしていた前回の"ゲーム"と違い、魔法を使えばどうとでも切り抜けられる。それほどまでに、上流貴族と下流貴族の基本的な魔力の差は歴然としていた。
だからこそ、本来"ゲームの続編"がこの世界で展開するには無理があるのだ。五大公爵家が本気で動けば、"ゲーム"の内容など始まる前に終わってしまう。
とはいえ、"続編"らしきものが始まってしまった以上、いろいろな意味で全力を尽くす以外のことはできないのだけれども。
(…まぁ、そうよね。こうなるわよね…)
屋外パーティーということで、青空の広がる空の下。水色のパーティードレスに身を包み、アリアは視線の先で穏やかに談笑している少年の姿をみつめて軽い頭痛を覚えていた。
白いモーニングコートに伊達メガネ。片手にグラスを持ちながら、人当たり良さそうな微笑みを浮かべて周辺の貴族たちと会話を交わしているのは、他でもないZEROー、ギルバート・ミュラーだ。
ギルバートとて肩書きだけならば子爵の位を持つ。アリアと同じように今後味方につけるべきバーン兄妹の様子を伺うためにパーティーへと参加していたとしてもなんら不思議はない。否、不思議がないどころか当然の行動だ。
(…どうしようかしら…)
"怪盗"としてのZEROと、"子爵"としてのギルバートでは、見た目も雰囲気も全く違う。通常であれば、双方を知っていたとしても同一人物だと気づく者はいないだろう。
気づかないふりをするか、それとも、アリアこそ気づかれないように気配を消すべきか。
しかし、どうしたものかと悩んでいる間にも、人の視線に敏感なギルバートが顔を上げ…。
(…あ……)
ーー目が、合った。
僅かに見開かれた瞳は、周りの人間には気づかれない程度だろうが、それでも明らかな驚きの表情を見せていた。
これで、向こうにはアリアの存在が知れてしまった。
だが、アリアが気づいていることに気づいているかまではわからない。
このまま他人のふりをするのか、それとも…。
取り囲む人々に穏やかな笑顔で片手を上げて離席の挨拶をし、ギルバートはアリアのいる方向に向かって優雅な足取りでやってくる。
そして。
「なんで公爵家のご令嬢がこんなところにいるのかな?」
ZEROでもなく、ギルバートでもない素の顔で身を屈めると、アリアの耳元へとそう囁いた。
「…さすがね」
色のあるその声色に、思わずミーハー心が歓喜の悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えながら、アリアは努めて冷静にギルバートの顔を見上げていた。
ギルバートは、アリアの顔しか知らないはずだ。出逢った時にはドレス姿だった為、どこかの令嬢かもしれないくらいは推測できたとしても、こんな短時間で初対面の人間の正体に辿り着くとは、さすがの情報力だと言うしかない。
「そっちこそ。オレを追ってきたわけ?」
「まさか」
もしかして、一目惚れ?とからかうように向けられる瞳に、アリアは少しだけ驚いたように綺麗な双眸を大きくさせながら、くすりと微笑ってギルバートの言葉を否定する。
目的が同じである以上、完全な偶然とは言えないけれど、それでもこの再会を計ったわけではない。
「私が気づいていない可能性は考えなかったの?」
目が合ってすぐ。ギルバートはなんの迷いを見せることもなくアリアの元へとやってきた。
「怪盗ZERO」として絶対的な変装の自信を持つ彼にしてみれば、ZEROを知るアリアがギルバートと再会したからといって、本来であればその正体に気づかれるとは思っていないだろう。
けれどそんなアリアの問いかけに、ギルバートは「それはないね」とあっさりと肩を竦め、
「アンタの瞳。全部知ってる瞳をしてた」
お手上げだ、とばかりにわざとらしく空を仰いで見せていた。
"怪盗"として人を出し抜く時の演技じみた皮肉気な性格でもなく、"子爵"として卒なく人間関係を築く大人びた性格でもなく接してくるギルバートの姿に、自然アリアの口元は緩んでしまう。
ギルバートが素の姿を晒すのは、"ゲーム"の中では"仲間"を除けば"主人公"相手と…。
「…今日はあの猫は一緒じゃないのね」
幼い頃に"契約"し、以来今までずっと一緒にやってきた"相棒"。
その姿が見えないことに気づいて、アリアは少しだけ警戒するかのように表情を潜める。
「さすがにこんなところに連れて来られないだろ」
猫同伴のパーティー参加などありえない。
ただの猫ではない以上、家で大人しくお留守番、などということはないだろうが、小さく肩を落としたギルバートの嘆息に、アリアは何処かに隠れているのだろうかと周辺の気配を探っていた。
「…で?アンタはなにしにここへ?」
すでにアリアに対してはいろいろなことを諦めたのか、単刀直入に訪ねてくるギルバートへと、アリアもまた隠すことなく真っ直ぐその目を見つめ返す。
「…ジゼル・バーン」
「……」
反応を伺うつもりでその名を口にしたのだが、どうやら最初にアリアが考えた思惑通りだったらしい。
つまりは、ギルバートもまた、今日はバーン兄妹に接触を謀るか、その様子を探るかを目的にしてここに来ていたということだ。
「邪魔しないで。私も貴方の邪魔はしないから」
「"邪魔はしない"って…。それがもう邪魔だとしたら?」
譲るつもりはない気配を滲み出すギルバートへと、アリアは怯むことなく決定打を叩き込む。
「貴方だって、自分が目的を果たすために誰かの命が失われたりしたら、目覚めが悪いでしょう?」
「…どういう意味だ」
「可能性の問題よ」
少しだけ動揺したかのように瞳を揺らめかせて眉を潜めるギルバートへと、アリアは揺るぎない意志の籠った目を向ける。
"ゲーム"の中で、ギルバートが復讐の手助けをしたことは、もしかしたら気づいてやれなかったことへの懺悔の気持ちもあるのかもしれない。
ギルバートがこれから起こり得ることを予測できなかったとしても、それは仕方のないことだ。ギルバートはギルバートで自分自身のことで精一杯のはずで、他に目を向ける余裕などないのだろうから。
「…アンタは一体なにを知っている」
「少なくとも、貴方の目的は知ってるわ」
警戒心を剥き出しにしてくるギルバートへと、交渉材料を得たアリアは、にっこりと余裕の微笑みを浮かべて見せる。
「場合によっては貴方への協力は惜しまない」
今回、公爵家へと手引きしてくれるはずの"未来の仲間"を横から奪ってしまう代償として。
"公爵令嬢"であるアリアを味方に引き入れることは、充分な報奨だ。
「とにかく、今日の私の目的は貴方じゃない」
だから、黙って身を引いて欲しいとアリアは告げる。
「静観していて」