mission9-2 王都を守れ!
「……お前はまたなんて格好をしてるんだ」
アリアの手を取り、先導するように王宮内を走りながら、呆れたようなシオンの声色が漏らされる。
「……仕方ないじゃない。これくらいしかなかったんだから」
宮廷行事に出るためのドレスは、とにかく動き難い。
その為、多少の時間ロスを覚悟して着替えることにしたのだが、アリアの知る王宮内の衣装部屋には、見渡す限りドレスしかなかった。
とにかく時間に焦らされる中アリアが選んだのは、軽さ重視の布地の少ないマーメード型のドレスで、どうにもならない足裁きの悪さに、勝手に破いてスリットを入れたのだ。
"チャイナドレス"のような仕様になった両脚は、見た目はあまりよくはないが、露出そのものはそう多くない。
いくら動き難いとはいえ相変わらず突飛もないことを仕出かすアリアにもう何度目になるかわからない溜め息を吐き出しつつ、シオンはアリアの膝裏を掬うとその身体を抱き上げていた。
「シオン……ッ!?」
「離すなよ?」
俗に言う"お姫様抱っこ"でアリアを抱え、シオンは風の力を行使して目の前の大きな窓を開け放つ。
「なにを……っ」
びゅわぁぁ……っ!と風が舞い、その勢いにアリアが思わず顔を手で覆ったその瞬間。
(ここっ、三階……っ!)
シオンが窓の外へと地を蹴って、アリアは反射的に縋るようにシオンの首へと手を回していた。
「大丈夫だ」
強大な風の力を操って、シオンは優雅に空を駆けていく。
そういえば"ゲーム"内でもそんな一場面があったなぁ、などと思いつつ、アリアは自然籠っていた身体の強張りを少しずつ溶いていく。
「……す、ごい……」
空を翔ぶ、なんて。
身一つで大空を駆けることなど、魔法の世界でなければできない経験だ。
足元に見える王都の街並み。
不謹慎にもその光景を感動の瞳で眺めながら、アリアはシオンの肩に添えた両手に少しだけ力を込める。
不思議と、恐くはない。
怖くは、ないけれど。
「……まさか、直接王都が襲われるなんて……」
一体なにが目的なのだろうと、アリアはふるりと身体を震わせる。
先の空へと目を凝らせば、魔法師団が応戦しているのか、パチパチと火花のような光が無数に消えたり光ったりを繰り返していた。
結界を張ってはいるのだろうが、歪曲空間の仕組みはまだよくわかっていない。
「先導しているのはヤツか?」
「……そう、だとは思うけれど」
"ゲーム"の中で、王都から程近い街を襲った際には、その指揮はバイロンが執っていたはずだ。だが、そのバイロンはもういない。
基本的に命じるだけで後は高見の見物をしているタイプのあのヘイスティングズが、自ら指揮を執っている姿はどうにも想像できなくて、アリアは自信なさげに眉を潜めていた。
争い事など無縁な、平和慣れした幸せな人々。
けれど常日頃から緊急事態への備えは欠かしていない為、都中に散った警備兵たちの誘導により、人々の避難は迅速に進んでいく。
不安そうに小さな手荷物を抱えて子供と手を繋ぎながら避難する親子を見下ろして、ズキリとした痛みが胸を突いた。
この人たちの、笑顔を奪ってはいけない。
守らなければ。
こんな時、立場の弱い者を守るために、自分たち"貴族"は存在しているのだから。
「!シオンッ、待って!」
向かう先は最前線のリオの元。目的地を話したわけではないが、恐らくシオンも同じことを考えている。
だが、行き先を見据えるシオンと違い、眼下の街の様子を窺っていたアリアは、小さな影が一つだけぽつんと取り残されているのに気づいて声を上げる。
「あそこ……っ!」
上空から見ているからこそわかる、細い裏路地でその場に座り込んで泣いているのは小さな男の子だ。そしてそこから少し離れた、男の子からは完全に死角になっている角の道を曲がった先。
得体の知れない人外の生物が蠢いていた。
一瞬で全てを理解したシオンが、高速でその場所へ向かって降下していく。まるで"ジェットコースター"を思わせる勢いに反射的にシオンへとしがみつきながらも、アリアの目は男の子と闇の生物を捉え続けていた。
自分に迫る危機になど気づくはずもなく泣き続ける男の子と、その泣き声に誘われるようにそちらへと移動する闇の影。
黒いスライムでできたお化けのような物体が、母親の姿を求めて泣く男の子の姿を捉えて牙を剥くのと、シオンが着地の体勢を取ったのがほぼ同時の出来事だった。
「シオンッ」
「アリア!」
互いを呼ぶ声が重なり、直後、シオンは己に纏っていた風の力を鋭い刃へと変換させると、闇の生物に向かって投てきする。
襲い来る恐ろしい生物に背を向けたままだった男の子を、その恐怖に気づかないままでいて欲しいと願って、アリアは正面からその小さな体を抱き上げていた。
「大丈夫よ」
にっこりと微笑んで、その耳を塞ぐように抱き締める。
その瞬間、シオンの放った光の矢に貫かれ、不気味な闇の生物が声にならない断末魔を上げて消滅していた。
「ママは?」
ママッ、ママッ、と泣きじゃくる男の子の背中をそっと撫で、アリアは涙に濡れたその顔を覗き込む。
辺りの安全を確認したシオンがそんなアリアの近くまでやってきて、小さく肩を落としていた。
「ここまではママと来たの?」
優しい口調で問いかけても、男の子はただ泣くばかりでそれ以外の答えは聞き出せそうにない。
先を急ぎたい気持ちはあるが、こんなに小さな子供を一人で置いていくわけにはいかない。
どこかにこの子を知る人でもいないかと辺りをきょろきょろと見回していると、
「エマ……ッ!!」
必死の形相でこちらへと駆けてくる女性の姿が見え、アリアは男の子を抱く力を少しだけ緩めていた。
「ママ…ッ!!」
駆け寄る女性の姿が目に入るや否やアリアの腕の中から抜け出して、もつれそうな足取りで走っていく男の子の後ろ姿をみつめて、アリアはほっと息をつく。
転びかけた子供の体をしっかりと抱き止めて、「ママッ、ママッ!」と泣きじゃくる男の子に、女性もまた安堵の吐息を漏らしながら泣きそうな表情になっていた。
「よかった」
「アリア」
そこへ、ちょうど街中の魔物討伐を命じられた騎士団の団員らしき男性が現れて、シオンが一言二言声をかけると、その親子を安全な場所まで誘導してくれることになる。
騎士団団員が子供を抱いた母親を促し、そのままその場を離れようとして。
「あの……っ!」
慌てたように振り向いて、アリアたちへと深々と頭を下げていた。
「子供を……っ!ありがとうございましたっ」
泣き声にも近い謝礼の言葉に、アリアは助けられて良かったと暖かな気持ちに満たされる。
こんな光景が王都内の他の場所でも起こっているかもしれないと思うと、一刻も早い魔物の殲滅が願われる。
「……もう手を離さないであげてくださいね」
大切な人同士が離れ離れになることがないように。
隣に立ったシオンの気配を感じながら、アリアは優しい微笑みを返していた。
*****
「広域結界だ」
再び空を駆け抜けながら、ふいに感じた神聖な気配に、シオンが特段感情の籠らない声色で呟いた。
王都全体を覆うことは厳しいかもしれないが、戦況が激化している場所を中心に、かなり広範囲にまで及んだ結界。この中であればどれだけ破壊行為を尽くしたとしても、それが現実世界へと影響を及ぼすことはない。
そんな高度結界を張ることができる人物などリオ一人しか思いつかず、アリアはリオがいるであろう最前線の状況を思って目を凝らしていた。
空に現れたいくつもの歪曲空間。そこから出現する魔物を止めるためか、同じくらいの数の魔方陣が闇からの入り口を塞いでいる。
遠い空で光っていたのはこれだったのかと、近くにまで来てその正体を知る。
「リオ様……っ!」
いくらかのタイムロスがあるとはいえ、リオがルーカスへと魔物の応戦を命じてからそれほど時間はたっていない。にも関わらず、ほとんど見当たらない魔物の姿に周りの気配へと気を配りつつ、アリアは眼下に見えたリオへと声をかけていた。
「アリア、シオン」
目の前に降り立った二人の姿に少しだけ驚いたように目を見張りつつ、それでも予測の範囲内だったのか、リオは小さく肩を落とすと仕方ないなと苦笑する。
「まさか、シオンの許可が下りるとはね」
「雁字搦めに縛り付けて部屋に閉じ込めて置けというならそうするが?」
こちらもすでにアリアの行動に対しては諦めた感の強いシオンがそう言えば、
「……まぁ、アリアを置いていくならそれくらいのことをしないと無理かもね」
ちょっとやそっとの拘束では抜け出してきそうだと、リオもまたその物騒な発言へと同意を示していた。
(なにその不穏な会話……!)
リオからの皇太子命令であれば今すぐにでも実行に移しそうなシオンの本気さを感じ取って、アリアはその恐ろしさに身震いする。
独占欲にかられたシオンが、ユーリ相手に似たような台詞を口にしながら迫るようなシーンが"ゲーム"の中でもあったような気がするが、今は「萌え」などと言っていられる状況ではなかった。
「状況は?」
辺りに魔物の気配はないが、建物や道のあちらこちらから戦闘の名残である煙が燻っている。
それなりの数の魔物に襲われていたのであろう戦況を察しながらシオンが窺えば、リオの代わりにルイスが口を開いていた。
「師団長のおかげで、魔物討伐は迅速に」
大物の殲滅は終了し、後は散り散りに去っていった残党を探して討伐すればそれで終わりだと説明し、ルイスは大きく肩を落とす。
「一体、なんのつもりで……」
あのヘイスティングズの姿はどこにも見られない。
けれど、厳重な神聖結界が幾重にも張られた王都の中へと直接歪曲空間を出現させて魔物を送り込むなど、ヘイスティングズレベルの高位魔族でなければできるはずもなく、ルイスは殺意にさえ似た呟きを洩らしていた。
「これで終わりだとすれば、随分とお粗末な襲撃だな」
王国の中心部への直接攻撃は確かに恐怖だが、この程度の襲撃であれば大したダメージにはならないと溜め息混じりに呟くシオンに、アリアは確かにその通りだと同意する。
"ゲーム"での街への襲撃は、人々を恐怖に陥れ、その負のエネルギーをなんらかの形で使って魔王復活のキッカケにするものだった。もしその流れを汲んで魔王復活を企てているのだとしたら、この程度の襲撃で終わるはずがない。
もしシオンの言う通りこの程度で終わりなのだとしたら、一体なにが目的なのだと思ってしまう。
しかし、アリアたちのそんな疑問が杞憂で終わるはずもなく、なんの予兆もなく瞬間移動で現れたルーカスの姿に、一瞬にしてその場は嫌な予感に満たされていた。