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舞踏会 ~リオ・オルフィス~

 豪華絢爛。

 初めて目にするわけではないというのに、あちらの世界で平凡な主婦をしていた記憶を持ったアリアにとって、目の前に現れた王宮のきらびやかな佇まいは一瞬意識を手離しかけるのに充分なものだった。

(すごすぎるんだけど……!)

 アリアの家とて、由緒ある五大公爵家の一つで、広大な土地を有している。

 だが、これはまた次元が違う。

 なんとなく思い出すのは、あちらの世界のヴェルサイユ宮殿。

 馬車の窓から見える圧倒的な存在感を放つその建物に、アリアはしっかりと意識を保つべくぐっと足元に力を入れる。

 本日行われるダンスパーティの舞台は王宮。

 こういった王族主催の催し物は定期的に開かれているものの、アリアにとってはこれが記念すべく社交界デビューになる。

(大丈夫かしら……)

 公爵令嬢のアリアからすれば、緊張こそすれ、令嬢誰もが通る社交の道だと、完璧にこなしてみせるだろう。けれど、どうしたって自分の中にいる庶民の主婦が、アリアの体を萎縮させる。

「アリア」

 ほら、と、そんなアリアの緊張感を察してか、優しく差し出された大きな手。見上げた視線の先には、アリアの父親が固くなった娘の四肢を解きほぐそうと、にこりとした微笑みを浮かべていた。

「お父様……」

 ありがとう、と小さく微笑(わら)い、アリアはその手を取って慎重に馬車の中から足を下ろす。

 女の子らしい薄いピンクのドレスの裾が軽やかに揺れて、アリアは大きな吐息を一つ落としていた。

 アリアの母親が今日のこの日のために目を輝かせて選んだドレスは、あちらの世界では結婚披露宴くらいでしかお目にかかることのないようなものだ。

 着慣れているはずがそうではないようなおかしな感覚を味わいながら、アリアは小さく一歩足を踏み出していた。

 妻と娘。その両方を愛おしげに見つめて王宮の入り口へとエスコートしていたアリアの父親は、少しすると前方に見えた人影にゆっくりとその歩みを止める。

「!ウェントゥス公爵……!」

「ご無沙汰しております」

 小さく頭を下げて挨拶を交わしてきたのは、言わずと知れたシオンの父親だ。

 そしてもちろん、その後方には公爵婦人とシオンの姿がある。

(……うわぁ……)

 ダークグレーのフロックコートは、なにか加工がしてあるのか仄かに煌めき、シオンの美貌を引き立たせる。

 そこだけが別世界のように輝いているその装いに、さすがのアリアも思わず両手を口へ添えて顔を朱色に染めていた。

(カッコよすぎるんだけど……!)

 その光景だけを切り抜けば、それはまるで一枚の絵画(スチル)のようだ。

「シオン。アリア嬢の手をとってあげなさい」

 それから、なにをしている、と顔を険しくする父親に、シオンが父親に気づかれない程度の溜め息を洩らしたのがわかって、アリアはこっそり笑ってしまう。

(まぁ、ここまで大人しく付いてきただけでもすごいことよね)

 シオンの性格を考えれば、社交界など億劫以外のなにものでもないだろう。

 それでも父親に命じられるままこの場に来たとするならば、やはりそれは、シオンがまだ12才という子供の年齢だからに違いない。

 これが三年後のことならば、シオンはなにかの理由をつけて絶対にエスケープしているはずだ。

「……」

 父親に促されるまま、無言で差し出されるシオンの手。

 その長く綺麗な指先に自分の手を添えて、アリアはにっこりと共犯者の微笑みを向けていた。





 *****





 ざわり、と、眼前に広がる会場の空気が一瞬にして一変する。

 そこは、中央に開けたダンスホールがあり、それを囲うように立食形式の食べ物がタワーになって並べられている、とてつもなく広く贅沢な披露宴会場のようなところだった。

 シオンにエスコートされながら入り口の手前で足を止めたアリアは、自分達へと向けられる視線を一身に浴びながら、息を合わせて小さく礼を取る。

 それからにっこりと微笑むと、自分達を遠巻きに眺める人々の合間を縫うようにして会場の端の方へと逃げ込んでいた。

(ここまで注目されるものなの……!?)

 シオンの容姿はとにかく人目を惹いて憚らないほど目映(まばゆ)いもの。

 そんなシオンが誰かをエスコートして現れたのならば、それは人の視線を集めるだろう。

 しかもアリアは今日が社交界デビューの日。二人が婚約をしたことやアリアの存在そのものを伝え聞いていたとしても、実際にお目にかかるのはこれが初めてだという人が大半なのだから。

 一方で、人々のそんな視線など気にも留めない様子で隣に立つ婚約者を見上げ、アリアは不服気な眼差しをシオンへ向ける。

「なんだ……?」

 壁に寄りかからないまでもそれに近い形で壁を背に預け、シオンは訝しげな視線をアリアへと返してくる。

「いろいろな女性から視線を集めるのは大変だろうなと思って」

 会場中の淑女令嬢。あらゆる女性たちの視線がちらちらとシオンの姿を捉え、感嘆の吐息を洩らしているのがわかる。

 対して、無言のままなにか言いたげに潜められたシオンの表情に、アリアは不思議そうに小首を傾げていた。

 完璧な美形の隣になんの違和感もなく立つアリアは、自分へと向けられる異性の視線には全く気づくこともない。

 清楚可憐。芯は強いが前に出すぎたりせず、きちんと男性を立てることのできる、完璧なご令嬢。

 メインヒーローの婚約者としてかなりのハイスペックを持ち合わせていることに、アリア自身は気づいていない。

 ゲームの中でもアリアは、完璧な令嬢として社交界の華と言われていたが、その設定は完全にアリアの頭から抜け落ちていた。

「どうした…?」

 ここへ来る途中で手に取ったグラスを片手に、シオンは言葉少なにアリアへと声をかける。

 それにぱちぱちと目を(しばた)かせると、シオンは小さな嘆息を洩らしていた。

 どこかに行かなくていいのか?と投げられる疑問符に、アリアは大きな瞳をさらに大きくする。

「シオンこそ」

 今日が社交界デビューのアリアにとって、顔見知りなどこの場にはほとんどいない。

 ちらりと見回しても知った顔がないことはすでにチェック済みだ。

 それよりも、シオンが自分に付き合うようにして隣で壁の華と化していることにアリアは驚きを隠せないでいた。

 貴族の子息同士で顔を合わせる機会がそれなりにはあるであろうシオンに挨拶に行かなくていいのかと言外で問いかければ、シオンは本日何度めかの吐息を洩らしてみせる。

「興味ないな」

 そう言って会場を眺めながら傾けられるシャンパングラス。

(……セオドアが参加していればよかったのに……)

 そんなシオンを見つめながら、アリアはこの場にはいない幼馴染みへと思いを馳せる。

 とはいえ、婚約者を差し置いて他の異性と親しげに会話を弾ませる行為はマナー違反に等しくもあるのだけれど。

「……」

 無口なシオンと話を広げるのはなかなかに無理があり、アリアは話題を探して元々聞きたかったことを思い出して心の中で頭を抱える。

 セオドアからアドバイスを受けて聞いてみようと思っていたのは、例の病のことだ。父親へもそれとなく訊ねてはみたものの、アリアの期待するような答えは出ないまま。

 だが、それをここで聞くのもどうかと思う。

 そうして悶々とするアリアの葛藤に気づいてか、シオンの方から不審気な瞳を向けられていた。

「……どうした」

 なにか言いたいことがあるのならば言ってみろと、そう問いかけるシオンの視線にアリアはぐっと息を呑む。

「えっと……」

 突然こんな突拍子もない話をしても、普通に流されるだけだろう。

 けれど、先を促すようなシオンの視線に、アリアは諦めたかのようにゆっくりと口を開いていた。

「……シオンは、二十日病……、セーレーン病って、わかったりする…?」

 おずおずと、その表情を伺うように見上げられた顔。

 最近史学を学んでふと気になったのだと、セオドアへした言い訳と同じ説明をシオンへも付け加え、アリアはじっと相手の出方を待つことにする。

(突然こんな話をされたら、普通の人でなくても引く……!)

 そうして焦りを表に出すことなく、ゆっくりと待つこと十数秒。

「……この国の歴史上、何度か猛威を振るった流行り病、か……?」

「……っ」

 ややあって、なにかを思案するかのように向けられたその呟きに、アリアはなぜだか酷く泣きたい心地にさせられていた。

「50年以上前に国中を感染の脅威に陥れ、その20年ほど後に流行った際には、そこまでの死者は出なかった」

 すらすらと、まるでなにかの医学書か歴史書を読んでいるかのように語られるその内容に、シオンの知識の深さとそのポテンシャルを現実として実感させられる。

「それゆえ、二十日病は国民のほとんどに耐性がつき、もう流行ることはないだろうという見解を出している者もいる」

 そうしてそこで一度言葉を切り、シオンはその顔へとふと陰を落とすと、「だが」と付け足し、

「オレはそうは思わない」

 と、アリアへと真摯な眼差しを向けていた。

「……!」

 その確かな分析に驚かされる一方で、アリアは今にも泣きそうになった微笑みを顔に浮かべる。

 唐突に投げ掛けられたなんの脈絡もない質問。

 それをシオンは馬鹿げたことだと流すことなく、きちんとその問いに答えくれた。

(……シオンの、こーゆーところいいなぁ……)

 周りの人間に無関心だからこそ成せることなのか、アリアにそれを疑問に思った経緯を深く探ることなくあっさりと回答だけを口をする。

 まさか実はここはゲームの世界なんですなどと事情を話せない立場としては、シオンのその態度はとても助かり安心する。

「っそれで、その二十日病なんだけど……っ」

 と。

 言葉を続けようとしたアリアは、周りの気配が今までになくざわつき始めたのを感じとり、その先を飲み込みざるを得なくなっていた。

「アリア」

 そうしてふいにかけられた優しい声。

 ざわざわとした多くの視線を集めながら、降り注ぐ光を一身に浴びた金髪の美少年が、ゆっくりとした足取りで完全に壁の華となっていたアリアの方へと近づいてくる。

「久しぶりだね」

 シオンも、と、そう甘やかな声色で微笑んだのは、将来の皇太子。ゲームのメインキャラクターの一人、リオ・オルフィス、その人だ。

「二人は婚約したんだよね?」

 おめでとう、と、手に持ったグラスを掲げて見せるリオの斜め後ろには、ひっそりと傍に佇むマリンブルーの髪の少女。

 他でもないアーエール公爵家の令嬢で、ルイス・ベイリーの実の妹。歴としたリオの婚約者だ。

 そしてそんなアリアの視線を感じてか、リオは「あぁ」となにかを思い出したように顎へと手をやると、背後に控える少女の背を己の隣まで引き寄せていた。

「アリアにはまだ紹介していなかったよね。こちら、アーエール家のマリベール公爵令嬢」

 緩やかに微笑んでそう紹介されると、マリベールは黄色いドレスを少し持ち上げて「はじめまして」と優雅なお辞儀をしてにこりという明るい笑顔を浮かばせる。

 幼さの残る少しだけ勝ち気そうな可愛らしいその顔は、兄であるルイスとはあまり似ていない。

(そういえば、同じ年だったんだっけ……)

 王族ということもあり、二人が婚約したのは早い。アリアがそれを耳にしたのは、数年前のことだった。

 お互い社交界デビューは今年だが、マリベールは王族の婚約者という立場で表に出る機会もあったのか、その姿は緊張感の欠片も見て取ることはできなかった。

「こちらはアリア・フルール令嬢。ボクの従兄妹でアクア家の御令嬢だよ」

 マリベールへと向き直ったリオの方へと一歩足を踏み出して、アリアも「はじめまして」と優雅な仕草でお辞儀する。

 一方、すでにこちらは顔見知りなのか必要ないと思っているのか、同じその場にいながらも、シオンは我関せずな様子でそれを遠巻きに眺めていた。

(この子が……!)

 恐らく、アリアの推測だと、近年中には病でこの世を去ってしまう人。

 目の前で確かに生きて動いているその存在を目にしてしまえば、アリアの胸には張り詰めるような危機感が襲ってくる。

「今日、アリアが社交界デビューだって聞いたから」

 会えるかと思って。と、そんなアリアの心中などもちろん知ることもないリオは、すぐに見つかって良かった、と嬉しそうな笑顔を(たた)えていた。

 まだ皇太子でもないリオは、王族の中でも少しは気楽に動ける立場にいるのだろう。

 周りからの視線を受けて、その一人一人に丁寧に優雅な微笑みを送っているその姿は、まさに聖人君子を思わせる。

 幼い頃は母親に連れられて会う機会も少なくはなかったように思う。けれど、こうして成長してからは久しく会っていない綺麗な従兄妹。

 清廉潔白で美しいこの少年が、実は今にも崩れ落ちそうな足場で懸命に足掻いていることを、もう一つの記憶からアリアは知ってしまっていた。

 幼い頃に両親を失ってしまったリオを気に掛けて、アリアの母親は時折アリアを伴って王宮へと登城していた。叔父の手元へと引き取られてからも、それは全く意味のなさない後見だったろうと今ならわかる。祖父である国王から向けられる好色な視線と歪んだ愛着。

 この世界に生まれ落ちてしまえば、そういったゲーム設定なのだから仕方がないと納得できるものでもない。

(現実はちょっと、ね……)

 あくまで非現実世界の二次元だからこそキャーキャーと楽しむことができるのだ。

 なんとか救い出す手立てはないものだろうか。

 心の中で苦虫を噛み潰したような顔になってアリアは唇を噛み締める。

 と、ふいに曲調が変わった生演奏。

「後でボクとも踊ってくれるかな?」

 これが本題だったとでも言うかのように向けられた柔和な微笑みに、アリアは新たな決意を胸に「ええ、もちろんです」と誰もを魅了する笑顔を返していた。

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