小さな恋の物語 ~シャーロット・オルフィス~
「アリアお姉様」
こんなところにいたんですね、とセオドアと共に現れた少女に、アリアはにっこりと微笑んだ。
「シャーロット」
黄色いドレスに身を包んだまだ幼さの残る少女は、アリアの従妹であり、一年程前にセオドアの婚約者となった、控えめで可愛らしい王女、シャーロットだった。
「こんなところでなにしてたんだ?」
緩やかな傾斜を、年下の婚約者が転ばないように手を取って歩いてきたセオドアは、眩しげに視界を手で覆って目を細める。
「少し休んでいただけよ」
即位式と立皇式の第二部は大規模なパーティーだ。式の最中に準備は滞りなく進んでいただろうが、それでもまだ開幕までは少し時間がある。
厳かな雰囲気の宮廷行事に少しだけ疲れたからと微笑めば、シャーロットもまたキラキラと輝く湖の水面に眩しげな顔を向けていた。
「いいお天気ですものね」
季節的にはまだ冬と分類される時期。けれど今日はとても陽気が良く、普段であれば外でピクニックでもと考えてしまうくらいに過ごしやすい天気だった。
「シャーロット様もお座りになるようでしたらなにか敷物を……」
「セオドア様っ、敬語はお止めくださいと言ったはずですっ」
「……ですが……」
精一杯"怒ってます"を主張しようと頬を膨らませて背伸びをするシャーロットに、セオドアは困ったように眉根を下げる。
生来大人しい性格をしているシャーロットにしては珍しく、かなり頑張っている様子が垣間見えるその遣り取りに、アリアは思わずくすくすという笑いを誘われてしまっていた。
「セオドアにはなかなか難しいわよね」
「……アリア……」
元々超優等生のセオドアは、誰にでも物腰柔らかく丁寧な話し方をする。
それを婚約者とはいえ、まだ一年たつかたたないかの歴とした"王女"に向かって砕けた口調で接しろというのは、真面目なセオドアにはかなり酷な注文に違いない。
それでも、婚約者である自分に対してもっと対等に接して欲しいと願う可愛らしい従妹の姿に、アリアは胸に暖かなものが広がっていくのを感じていた。
「シャーロットは、少し会わないうちに明るくなったわね」
シャーロットは、リオとアリアと祖父を同じくする立派な王女だ。
けれど、父は身分の低い妾腹から生まれており、幼い頃からそれを気にして周りの視線にびくびくしているような大人しい少女だった。
「アリアお姉様っ」
それでも、王室ではない従姉のアリアには昔から懐いてくれていて、こうして会うたびに可愛らしい笑顔を向けてくれる。
「セオドアと上手くいっているみたいでなによりだわ」
だから、気弱なこの従妹がセオドアに一目惚れをし、一生懸命今までしたことのない"お願い"を両親に繰り返したと聞いた時には、驚くと同時に、よかった、とも思ってしまったのだ。
「セオドアを選ぶなんて、シャーロットは見る目があるわね」
私が保証するわ、と微笑めば、シャーロットは恥ずかしそうに頬を染め、それからチラリ、とセオドアの方を見上げると少しだけ不満そうに目を逸らす。
「……でも、いつまでも"妹"扱いのような気がして……」
公に認められた婚約者だというにも関わらず、自分が三つも年下ということもあってか"妹"感の強い接し方が寂しいとしゅんと小さくなるシャーロットに、アリアは「あら」とわざとらしく微笑ってみせる。
「私にもそうよ?」
末っ子長男で妹でも欲しかったのか、物心つく頃からセオドアはずっと、アリアにとって"いいお兄ちゃん"ポジションだ。
アリアには本当の兄が二人もいるはずなのに、その二人に混じってアリアを甘やかすのが三人目のお兄ちゃんのセオドアだった。
「生まれたのは私の方が先なのに、昔からお兄ちゃんぶって」
「それはお前の精神年……」
「セオドアッ?」
やっぱりこんな時でも"お兄ちゃん"ポジションで呆れたように眉を潜めてみせるセオドアへ、アリアはじろりとした目を向けてその口を黙らせる。
それからシャーロットの方へと向き直り。
「そういう性格なのよ。仕方ないわ」
そこを好きになったんじゃないの?と優しく問いかければ、シャーロットはほんのりと赤く染めた頬へと両手を添えながら恋する乙女の顔になっていた。
「……セオドア様は、本当にお優しくて……」
数多くいる王子王女の中でも、シャーロットは血筋が劣っている方だった。だからといってそれを理由に明らかな差別を受けるようなことはなかったが、それでもいつもびくびくと周りの視線を気にしていた。
だからその日も極力目立たないように自分を殺して隠れるようにしていたのだが、そんなシャーロットに気づいて救いの手を差し伸べてくれたのがセオドアだった。
優しく微笑み、自然とみんなの輪の中へと連れ出してくれた。
なんの他意もない爽やかなその笑顔から、いつの間にか目が離せなくなっていた。
その時まで会ったことはなかったものの、「セオドア」という名前の少年が、由緒正しい公爵家の長男だということくらいは知っていた。
いくら王女とはいえ、血筋は他の王女たちに比べれば遥かに劣る。けれど生まれて初めて諦め切れずに、両親に頭を下げたのだ。
「セオドアらしいわね」
馴れ初めを聞いて柔らかく微笑めば、セオドアは照れ隠しなのかメガネをかけ直すふりでアリアから目を逸らす。
「お姉様はセオドア様とは幼馴染みだとお聞きしました。今度、セオドア様の昔のお話とか伺ってもいいですか?」
キラキラと期待に輝く瞳を向けられて、
「もちろんよ」
とにっこり笑えば、
「アリア。余計なことを言うなよ?」
釘を刺すかのように顔をしかめられ、アリアは悪戯っぽい瞳をセオドアへ返す。
「あら、話されて困ることでも?」
「だったらこっちにも考えがあるぞ?」
「もうっ、私が悪かったわ」
昔からセオドアの方が一手も二手も上手を行き、いつだってアリアは敵わない。
だから素直に「ごめんなさい」と謝れば、
「わかればよろしい」
と、やはり子供扱いでぽんぽんと頭を撫でられて、アリアもまたシャーロットと同じように不満気な瞳を向けていた。
と。
「アリア。なにかついてる」
ん?とアリアの肩口へと目を落とし、セオドアがそこについていた細い葉のようなものを取り上げる。
「……さっきの子かしら?」
「さっきの子?」
葉が落ちてくるような場所など通った覚えのないアリアは、先ほどリリアンが可愛がっていたリスのような小動物の存在を思い出す。
「そう。さっきまでリスみたいな可愛い子がいたんだけれど……」
とん、と人懐こくアリアの肩にも乗ってきた可愛い姿を思い出してきょろきょろと辺りを見回すが、それらしき姿はもうどこにも見つからなかった。
「お前に葉っぱのお土産残して帰っちゃったのか」
「……みたいね」
残念ね、と、せっかくならばシャーロットにも見せてあげたかったと肩を落とすアリアに、セオドアの優しい視線が送られる。
そして、そんなセオドアの表情の変化に気づいたのか、僅かに目を見開いたシャーロットが口を閉ざすのに、
「……シャーロット?」
どうしたの?と、アリアは首を傾げていた。
「……あっ、いえっ、ごめんなさい」
ちょっと、ぼーっとしちゃって、と慌てて取り繕えば、セオドアの顔はすぐに気遣わし気なものになって、シャーロットの顔を覗き込む。
「少し疲れましたか?」
「いえっ、大丈夫です」
シャーロットの望み通り婚約者となった想い人は、いつだってとても優しい。
贅沢な悩みだと言われるかもしれないが、優しすぎて不安になる。
苦しい時や辛いことがあった時、きっと自分にその姿を見せてはくれないのだろうと思ってしまう。
「……アリアお姉様の前だとあんな顔なさるんですね……」
「……え?」
小さな呟きは風に消えて、セオドアまで届くことはない。
「いえ、なんでもありません」
心配そうに顔を覗き込んでくる婚約者に気を遣わせまいとにっこりと微笑んで、シャーロットは少しだけ寂しそうな瞳を向けていた。