2種類のプロポーズ
雲一つなく澄み渡る晴天だった。
天空から降り注ぐ陽の光が、まるで神の祝福に思えるような晴れやかな日。
新国王の即位式とリオの立皇式は、厳かな雰囲気の中、滞りなく行われていた。
国との婚姻を意味する指輪をその指に嵌め、権威の象徴である錫杖を手に、王冠を授けられた新国王は、高らかに即位を宣誓した。
リオもまた皇太子としての証となる冠と剣を授けられ、婚約者であるマリベールと共に歩く姿は、とても素敵で美しかった。
「まるで結婚式を見ているみたいだったわね」
本当に素敵で感動し、思わず込み上げた涙を拭ってしまうほど綺麗だった。
この後もまだパーティーは続くが、とりあえず一時休憩の隙間時間に、アリアはエスコート役のシオンと共に王宮庭園にある小さな湖の畔で腰を下ろしていた。
「本当の二人の結婚式は、きっともっと素敵よね」
今だ興奮冷めやらぬ様子で感嘆の吐息をつくアリアに、片足を投げ出した寛いだ格好で、シオンはふと疑問符を投げ掛ける。
「お前もしたいのか?」
「え?」
結婚式だ、と言い含められ、アリアは少しだけ考える素振りを見せる。
今のアリアには結婚願望など無いに等しいが、それでも素敵な結婚式そのものは夢見る少女たちの願いではある。
とはいえ、目の前の冷めた少年は恐らく。
「シオンは嫌いそうね」
きっと、華々しい御披露目パーティーなど避けられるならば避けて通りたい、一番苦手とする行事なのだろうなと思えば、自然くすくすというおかしそうな笑みが零れていた。
「……お前がしたいなら」
「……え?」
なぜか手元の小石を湖へと放りながら告げられて、アリアは空耳かとぱちぱちと目を瞬かせる。
「どうせならこのまま、偽装結婚するか?」
偽装婚約から、偽装結婚へ。
冗談とも思えない声色でじっと見つめられ、アリアはシオンの真意を図りかねて少しだけ考え込むかのように首を傾げた後、くすくすと笑って即答していた。
「シオンとユーリがそれを望むなら」
どうせ誰とも結婚するつもりはないのだから、いっそ二人のカモフラージュとして形だけの婚姻関係を結ぶのも悪くはない。一番近くで仲睦まじい二人の姿を見られるならば、それはそれで楽しいだろう。
元々シオンはアリアの"一推しキャラ"だ。二人がそれを望んでくれるのならば、喜んで"奥様"くらい演じよう。
「……どうしてそこでアイツの名前が出てくるんだ」
全く意図することがわからないと、シオンは理解し難そうに眉を寄せる。
リオとの婚姻の方がよほど実があると思うのに、悩みつつも断っておきながら、シオンとの婚姻はあっさりと承諾する。
この不自然さは一体なんだろうと思う。
結婚してもいいというその口で、"偽装"を主張する。
シオンの"偽装"発言はただアリアの反応を見る為だけのものだったのだが、なぜそんなに"偽装"に拘るのか。
「どうして、って……」
例え偽装だとしても、ユーリの許可がなければそれは無理だろうとアリアはむしろ不思議そうな顔をする。
あのユーリがアリアに嫉妬する姿など想像できないが、やはり複雑な気持ちは抱くのではないだろうか。
「……お前の思考回路は理解不能だ」
と。
なにかを諦めたように大きく息を吐き出したシオンは、ふいに胸元のポケットからなにかを取り出すとアリアの前へと軽く握った手を差し出してくる。
「?」
なんだろうかと思いつつも、促されるままに両手をその下へと差し出して。
シャラ……、という軽い金属音と共にアリアの掌に落ちてきたソレに、アリアは軽く目を見張っていた。
「っ、これ……」
「あの時の魔石で作らせた」
アリアの掌の上で輝くのは、シオンと探索した地下迷宮の奥深くでシオンが手に入れた、蒼く輝く不思議な魔石。
それが綺麗なペンダントへと加工され、アリアの手の中で存在を主張していた。
「指輪にするには大きすぎたからな」
サイズ的にペンダントにしたのだと説明し、シオンはアリアの手から一度ソレを取り返すと留め具部分を外してアリアの首の後ろへと手を回す。
「っ私に……?」
「効用はよくわからないが」
驚くアリアに、少なくとも悪い気配はしないから御守代わりだと言って、シオンはソレを着けてやる。
「……今日のお前の衣装によく映える」
アクア家を象徴する水色のドレスの胸元で、蒼い魔石が陽の光を受けてキラキラと輝く。
己の贈ったペンダントを眩しげに見つめながら呟くシオンに、アリアはくすぐったそうな笑顔を向けていた。
「ありがとう」
嬉しい、とただひたすら純粋すぎるその微笑みに、アリアの首の後ろに回されていた手がそのまま両肩に添えられる。
(……え……)
ふいにアリアの目の前に影が差し、シオンの顔が至近距離まで迫ってくる。
「シオン……?」
それがなにを意味するのか、アリアの脳内が結論を出すよりも早く。
「……シオン様っ!」
こんなところにいたんですかっ、と、傾斜の向こうから駆け寄ってくるリリアンの姿が目に入り、シオンはアリアの肩から手を離す。
「悪いっ、止めたんだけど……っ!」
そしてそんなリリアンを追いかけてやってきたと思われるユーリに慌てたように謝罪され、シオンは静かに吐息をついていた。
「……本当に、良かったのか?」
「?」
草場の影から現れたリスのような小動物に気を取られ、数メートル先で後からやってきたルークと共にその小さな背中を撫で回しているリリアンの笑顔を眺めながら、不意にかけられた問いかけにアリアは疑問符を浮かべていた。
「皇太子妃の件だ」
引き留めておきながらなにをと言われるかもしれないが、過去のアリアの行動を振り返ってみれば、アリアには皇太子妃や王妃という公の権力があった方がいいと思うのは確かな事実。
国にとっても民にとっても、これ以上ない妃になるだろう。
自分のことよりも他人のことを優先するアリアだからこそ、公的な地位を得ることに同意してしまうかもしれないと思う一方で、だからこそ、頷いて欲しくなかった。
"誰か"のことを思ってではなく、自分自身の気持ちで決めて欲しかった。
それでも、思わず手を伸ばしてしまったのは、完全に自分のエゴなのだけれども。
「えっ、アリア、リオ様にプロポーズされたの!?」
今更ながら改めて確認を取ったシオンの言葉に、その意味を察したユーリから驚きの声が上がる。
「……"プロポーズ"、って……」
「え?違うの?」
そういうことじゃないの?と不思議そうに丸くなる大きな瞳は、全て正論でなにも間違った指摘はしていない。
将来の王妃になる。皇太子妃になる。
相手がリオであるばかりについつい考えがそちらの方へと向いてしまうが、とてもシンプルに考えると本当はそれは違う。
――『……"ボクの妻"になる気はあるかい?』
だからこそ、リオはあえてそう言い直したのだ。
公な立場の人間になるわけではなく、あくまで一個人として、自分の妃になることを。
「……言ったでしょ?私には重すぎるもの」
リオの、妻に。
そう思った時、逆になにか違う気がした。
王妃に、皇太子妃になることよりも、なぜかそちらの方が"恐い"と思ってしまった。
だから、この結論は間違っていない。
「……ふーん?」
苦笑いで緩く微笑むアリアへと、ユーリは意味ありげな視線を向ける。
アリアは、気づいていない。
しっかりと首元にタイが飾られている制服の時ならばまだしも、それ以外の服装の時。お辞儀などの際に少し屈んだだけでちらりと見える鎖骨下の"所有の証"。
普通に立っている分には見えないから、アリアはソレが隠しきれていないことに気づいていないだろう。
どれくらいの人間がソレに気づいているのかはわからないけれど。
今はもう、そこに刻まれていた証を知っていた上でよく見なければわからないほど薄くなってしまっているが、しばらく前に気づいてユーリを赤面させたその証は、これだけの時間がたってもまだうっすらとは残っている。
どれだけ強い想いを持ってソレを少女の身体に残したのか、それだけでわかってしまう気がする。
シオンはもう、隠すつもりはないらしい。
「……まぁオレは、アリアがアリアらしくいられればそれでいいと思うよ」
いい加減自覚しろとは思ったが、これはこれでまた前途多難だなぁなどと感じながら、ユーリはあくまで明るく笑っていた。