君と未来を
それから間もなくして、現国王の生前退位が発表され、次期皇太子としてリオが立つことを、五大公爵家も満場一致で承認した。
そして、さらにその一週間後。
新国王の即位式と、リオの皇太子としての立皇式が行われることとなり、王宮中がその準備に忙殺されるような慌ただしさに追われる中。
式の前日に、アリアはリオから呼び出しを受けていた。
「アリア」
忙しいのにごめんね、とにこやかに微笑うリオは、自分も主役となる明日の準備に自身の方が忙しいだろうと思うのに、そんなことはおくびも出さずに、なぜか一緒にやってきたシオンへも優しい笑みを返す。
「いえ。明日の立皇式、楽しみにしています」
五大公爵家が式に参加することは国の義務で、アリアとシオンももちろん招待を受けている。
アリアにしても待ち望んでいたリオの皇太子決定に、喜びは隠せない。
だから、これ以上なく嬉しそうに微笑めば、リオはシオンの方へとチラリと視線を投げた後、なぜだか苦笑を溢していた。
「……そうだよね。婚約者に隠れてこんな話をするのはフェアとは言えないからね」
「……え?」
今日、王宮へと呼び出されたのはアリアだけで、元々シオンは呼ばれていない。
なぜ着いてきたのだろうと思わないこともなかったが、一人で来て欲しいとも言われていなかった為、特に深く考えずに同行を許してしまったのだが、やはり断るべきだったのだろうか。
少しだけ困ったように微笑いながら婚約者の同席を認めるリオと、むしろ近すぎるほどの距離でアリアの隣に立つシオンを見上げて、アリアは一体なんの話だろうと首を捻る。
どうやら二人の間では成立しているらしい話の中身が、アリアには逆に理解できなかった。
「……リオ様?」
シオンはわかっているらしい自分への用件はなんだろうと、アリアは目の前のリオへと瞳を瞬かせる。
すると、やはり困ったような表情のまま苦笑いをして、それからリオはなにかを決したように口を開いていた。
「アリア」
「はい」
不意に真面目な顔になったリオに、アリアはつられるように背筋を伸ばす。
真っ直ぐと、アリアを見つめてくる真摯な瞳。
二人の間に妙な緊張感が漂って、リオがゆっくり言葉を紡ぐ。
「将来、"王妃"に……"皇太子妃"に……」
その瞬間、隣にいたシオンに肩を抱かれて、アリアは思わず頭一つ分以上高い位置にあるシオンの顔を仰ぎ見る。けれど、「……いや、違うね」と言い直したリオの強い声色に、再度リオへと顔を向け直す。
リオの、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳に真っ正面から射抜かれる。
「……"ボクの妻"になる気はあるかい?」
「っ」
目を大きく見張って言葉を失うアリアへと、その華奢な肩を抱いたシオンの手に、アリアを引き止めるようにぐっと力が込められた。
「……それは……」
リオを皇太子とするために、その地位を確実なものとするために、確かに"妃"になれとルイスには言われていた。
けれど、それはルイスの勝手な独断で、リオ自身には関わりのないはずのものだった。しかも、次期皇太子の座が決定した今となれば、アリアという存在はもう必要ないはずのもの。
「明日の立皇式は、"婚約者"と臨むことになっている」
来賓は基本的には国内だけで、友好国への御披露目はまた別の機会が設けられている。
それでも公式行事となれば婚約者同伴は常識で、立皇式で隣に婚約者を同行させれば、その結婚はよほどの大事がない限りは約束されたものになる。
「もし、君が頷いてくれるのならば、もう今日しか時間はない」
明日、リオの隣に立つ女性が、"皇太子妃"に、未来の"王妃"となる。
現時点でのリオの婚約者はルイスの妹だ。きっと今頃、明日の準備に追われているだろう。にも関わらず、別の"誰か"を望むとしたら、もはや残された時間はない。
「……私、は……」
突然の申し出に、頭の中が真っ白になってなにも考えられなくなる。
明日のことだって、リオは当然ルイスの妹を同伴させるのだと思って疑っていなかった。それが突然、自分にそんな選択肢が与えられるなど。
最近、いろいろなことが起こって。
本当に、いろいろなことが一度に起こりすぎて、それも一つの選択肢かもしれないと思うこともあった。
けれど。
"王"の重圧。"皇太子"としての責務。一人で背負うには重すぎるそれを、少しでも軽くすることができるならばとは思う。
優しすぎるこの従兄を、助けてあげたい。純粋にそう思う。
それでも。
リオの隣に立つ自分を。"皇太子妃"となって、"王妃"となって、その横で幸せそうに微笑う自分の姿は想像できなかった。
「………私……、は………」
重苦しい空気に、押し潰されそうになる。
口の中が酷く乾く。
応答は、すぐに出そうですぐに出ない。
「……アリア?」
決して急かしてはいないリオの優しい声色に、泣きたくなってくる。
この人の、力になりたい。
なりたい、と、思うのに。
「アリア」
ぐっ、と隣の存在に肩を強く引き寄せられて、その馨りに囲まれると酷く安心した。
なぜだかはわからない。
行くな、と言われている気がして。
引き留められることに、安堵する。
自分には、きっと……。
「……"王妃"の責務は……、私には重すぎます」
これは、逃げだろうか。
リオの気持ちをきちんと受け止めず、その重圧を理由にして。
でも、きっと、それが"答え"なのだと思う。
リオへの愛情だけで、その隣に立つことを選べない。
本当に気持ちがあるのならば、一緒にその荷を背負うことに迷いは生まれない、と……、そう思う。
「私に"王妃"の資質があると思って貰えたことはすごく嬉しいです」
でも……、とアリアは困ったように微笑う。
アリアは、記憶があるだけのただの公爵令嬢だ。
やっぱり、"王妃"なんて器じゃない。
「……リオ様と一緒に国を治める覚悟が私には足りません」
求められればいつだって手助けしたいと思う。
けれどそれは、隣に立っていなくてもできることだと思うから。
「……明日の立皇式、楽しみにしています」
そう綺麗に微笑ったアリアに、リオもまた「ありがとう」と優しい微笑みを返していた。
*****
「……残念だったね、君の思惑通りにいかなくて」
去り際。最後にこちらの方を振り返ったアリアを、その肩を抱いたシオンが半ば強制的に部屋から連れ出して、そんな二人を見送って数秒後。
背後にひっそりと佇んだ気配を感じて、リオは苦笑を溢していた。
「……私は、貴方が"国王"となられる日が来るならば、それで充分です」
す……、と音もなく現れた影が恭しく礼を取り、あえて感情を殺した声色でそう告げるのに、リオはそちらの方へと振り返る。
「……そうだね」
まずは第一歩。
次期国王となるべき資格は手に入れた。
だが、リオの忠臣は顔を上げ、少しだけ苦悩の表情を見せると「ですが」と小さく呟いていた。
「できるならば、王となった貴方には幸せでいて欲しい」
それは、リオを国王に、と強く望むことと同じくらい、ルイスにとっては切実な願い。
だから、王妃として相応しい妻を娶ることと同義で、リオの精神的な支えになる女性を求めた。
「ボクは充分幸せだよ?」
ほんの一瞬、ルイスの言葉に驚いたように目を丸くしたリオは、次に柔らかく笑んでみせる。
婚約者のマリベールがいて、忠誠を誓ってくれるルイスがいて。
無茶ばかりする可愛い従妹は、求めればいつだって手を差し伸べてくれる。独占欲を垣間見せるあのシオンだって、頼めば断ることはしないだろう。
「ボクは、君が傍にいてくれればそれで充分だ。……あの子なしのボクは心配?」
「っ。そんなことがあるわけはありません」
ほんの少しだけからかうような瞳を向ければ、慌てたようにそれを否定するルイスの反応に笑みを誘われ、口許が緩んでしまう。
そして、そんなルイスの正面へ立つと、リオは困ったように眉根を下げ、少しだけ言いにくそうに口を開いていた。
「……一つ、君には誤解を解いておかないとならないことがあって」
それはもう、ルイスの妹であるマリベールがリオの婚約者となり、ルイスが側近になったその時から。
「……ボクの方こそ、あの子には相応しくないんだよ」
妹のような可愛い従妹から、気になる"女の子"になって。守りたいと、そう思うようになるまでにそう時間はかからなかったように思う。
背筋をピンと伸ばして立ち、真っ直ぐ前を見て歩くアリアの姿は、リオには時々眩しすぎた。
それは、自分に負い目があるからだとわかっている。
懺悔を、したいことがある。
「……本当は、わかっていたんだ。お祖父様の魔力が、もう国を支えきれなくなってきていることに」
知性、才能、能力。先を読む力に、全てを見通す目。国王としてなに一つ欠点などないと思われる国王は、唯一、魔力だけが元々そう高いものではなかった。
それでも長きに渡り国王の座に君臨し続けていられたのは、それを補えるほどの才能と応用力があったからだ。
そして、もう一つ。
たくさんの女性たちを娶ってきたのは元々の性分からくるものだったかもしれないが、足りない魔力をそこから補ってきたのではないかとリオは思っている。
「……昔は、本当に嫌だった」
それこそ始めは恐怖しかなくて、逃げ出したくて。幼すぎてそこから逃げることも叶わなくて。
けれど、気づいてしまってからは。
「……拒めなかった」
歳を重ねる毎に少しずつ失われていく魔力に気づいてからは、昔のように抵抗できなくなっていった。
自分の魔力を必要としていることに、強く抵抗できなかった。
本気で拒めば拒めたかもしれないと、今となっては思う。
魔力が弱くなった国王を、それを理由に引き摺り降ろし、自由を得ることができたかもしれないと。
「お祖父様以上に王に相応しい人物がいなかったことは確かだけど」
正直、新国王は国を治める人物としては心許ない器だと思っている。
だからこそ、祖父は長きに渡りその地位に君臨し続けることを強いられていたのかもしれない。
祖父を、王を、歪めてしまったのは、全ての責を一人に負わせてきた自分達のせいなのかもしれないと思えば、恨むこともあるかもしれないが、ただ憎しみを向けようとも思えなかった。
きっと、隠居してからも、その威厳を消すことはないのだろうと思えば、安心感さえ沸いてくる。
「……結局ボクは、自分の望みを棄てられなかっただけだ」
国の為に自分を犠牲にしていた。そう言えば聞こえはいいかもしれないけれど。
なぜか、物心つく頃から自分は将来国を治める立場の人間になるのだと疑っていなかった。
幼くして両親を失くし、強い魔力を誉めてくれた暖かなその思い出と、その夢だけが心の支えだったのかもしれない。
それなのに。
「……一瞬だけ、棄てられたら、と考えた」
王妃が"重荷"だと告げられて。
もし、全てを捨てたとしたら。もし自分が"皇太子"などではなく、例えば公爵家に生まれついていたならば。そうしたら、この手を取ってくれたのだろうかと考えて。
それでも、無理だな、と思った。
きっと、無意識でも、彼女はすでに"たった一人"を選び取っている。
本人は気づかれていることに気づいていないが、今日は隠されていたその服の下に、"誰か"の所有の証が刻まれていることに気づいていた。
それは、自分に対する明らかな"牽制"だ。
「……ボクは、君に軽蔑されても仕方のない人間だ」
それでも、と。
手離すことのできない望みに、傍にいて欲しいと願う。
「……貴方を軽蔑するなどということはありえません」
きっぱりと、嘘のない瞳が真っ直ぐ自分に向けられて、リオは僅かにその瞳を揺らめかせる。
自嘲気味の呟きに、はっきりと成された否定の言葉。
「……ありがとう」
リオの婚約者であるマリベールは、ルイスの実の妹だ。
明日、一緒に立皇式に臨んだならば、正式に皇太子妃に、将来の王妃となる。
マリベールは、ルイスによく似て芯の通った、賢く強い女性だ。
きっと、良き王妃になる。
「これからも、ボクとマリベール。二人を一番近くで支えてくれるかな?」
君が傍にいてくれるならそれだけで。
「……喜んで、お仕えさせて頂きます」
どこか甘やかなその願いに、ルイスは深々と頭を下げていた。
呟き。
次はアリアが自覚する番ですが、まだもう少し時間がかかりそうです。ファン心理で普通にシオンのことは「愛しちゃってる」ので、恋愛感情との境目が難しいような…。
…その前にシオンが暴走しないか心配です…。