mission8-3 奪還せよ!
「……どうしてここに……」
信じられない光景に目を見開き、リオが茫然とした呟きを洩らす。
「どうやらこの場所を封印しようとしていたようにお見受けしますが?」
それに、親切にも解説を返してきたバイロンは、そこになんの意図を含ませているのか。
「貴方方諸々、私たちを、ね」
「……っ!」
ふっ、と意味ありげに吊り上げられた口角は、その事実を知ったアリアたちの反応を単純に楽しむ為のもの。
確かにこの空間そのものを外から完全に封印するようなことができるならば、それは一番手っ取り早い方法には違いない。
完全消滅ではなく、"封印"。
封印の力が弱まった時などには再び脅威に晒されるというリスクはあるが、とりあえずの時間稼ぎにはなる。
――かつて、現国王がバイロンへと施した不完全な封印のように。
とはいえ、一度そんな目に遭わされたバイロンが同じ過ちを犯すはずもない。
だからこそ、その危機をすぐに察することができたのだろう。
「……さて、どうしましょうか?」
この国の最高位人物を人質に取られる形となった展開に、その場の空気が一変する。
薄い笑みを口元に刻み、いっそ優しいくらいの口調でぐるりとその場を見回すバイロンの言葉に、動揺とこれ以上ない緊張感に包まれる。
皆が皆判断に迷い、指先一つも動かせない。
「……とりあえずは、お返しさせて頂きましょうか」
酷く愉しげに目が細められ、残忍な笑みが口元を歪めたその瞬間。
「……ぐぁぁ…っ!!」
ザシュ……ッ!という音と共に、王の肩から腕が切り落とされていた。
「お祖父様……っ!」
苦痛に顔を歪め、それでも止血を試みようとしているのか、まだ繋がっているの方の手を血の流れ出す肩口へと伸ばせば、そこへ仄かな光が舞う。
それを不快そうに眺めながら、バイロンは切り取った腕を主へ向かって放り投げていた。
「……へぇ?」
まだ体温の残る腕をしげしげと眺め、ヘイスティングズは目と唇を愉しそうに歪めてみせる。
そうして。
「喰……っ!?」
大きく口を開け、それを丸呑みするかのように喉を鳴らしたヘイスティングズへ、ルークが思わず口を覆っていた。
「まぁ、見た目はともかく高級品だな。悪くはない」
ごくりと喉を鳴らして一呑みしたヘイスティングズは、血の付いた口元をペロリと舐め取ると満足気に薄く嗤う。
見目麗しく、若いモノの方が食欲はそそるが、それでもこの国の最高位の肉片だ。
「……でもやっぱり、むさ苦しいじじぃの肉は、いくら高級でも味は落ちるよねぇ」
美味しい食事には、見た目も重要だ。
どんなに高級な肉が贅沢に使われていようとも、ただ焼かれて置かれただけのものと、高価な皿に美しく飾り付けられたものとでは、気持ちの上でも全く違う味になる。
「口直ししたいところだけど」
ぐるりと辺りを見回して。
「みんな、美味しそうだねぇ?」
年若く、見目も良い面々を一人ずつ眺めながら、ヘイスティングズは飢えた獣のようにジュルリと唾を呑む。
「だけどやっぱり、若い女の子が一番柔らかくて美味しいかな?」
「……っ」
ニタァァ、と嗤った口元に唾液の糸が引き、上から下まで舐め回されるような視線を受けて、ぞくりという悪寒が背筋を伝う。
そこへ、アリアを庇うようにシオンが一歩前へと進み出て、それを見咎めたヘイスティングズは不快そうに眉を寄せていた。
「……せっかく捕まえた小ウサギにも逃げられて、ぼくは機嫌が悪いんだ」
小ウサギ……、つまりはユーリのことだろうと思えば、そういえばユーリはどうしたのだろうかと、そんな疑問がほんの一瞬だけ頭を過る。
「でも……」
機嫌が悪いと言いつつも、刹那態度を一変させて、ヘイスティングズは気味が悪いほどにっこりとした笑みを貼り付ける。
「君が素直にこっちに来るなら、"解放する"って約束してあげる」
「……っ!」
チラ、と向けられた視線の先には、苦痛に顔を歪ませたままバイロンに拘束されている祖父の姿。
その瞳に一瞬動揺の色を浮かばせたアリアを、シオンはさらに背に隠す。
「お前が犠牲になる必要はない」
「……シオン……」
それは、きちんとわかっている。
それでも、提示されたその交換条件に、どうしても動揺は隠せない。
「可愛がるなら、初物の方が楽しいんだけど」
再び残忍に細められた瞳にねっとりと見つめられ、反射的にびくりと肩が悪寒に震える。
「君は、この中の誰かのお手つきだったりするのかなぁ?」
まるで子供のような口調で酷く愉しげに笑いながら、怯える獲物の反応さえ愉悦のように、ヘイスティングズは赤い舌をベロリと覗かせる。
「他のヤツらは殺しても、君だけは殺さずに手元に置いて、たっぷり可愛がってあげるからね?」
本来それは、最終決戦かなにかの折に、ユーリに対して向けられるもの。
明確な殺意の籠ったシオンの視線をむしろ愉しげに受け流しながら、ヘイスティングズは真っ赤に濡れた口を開く。
「迷いがあるなら、仕方ないね」
くすくすと子供のような笑みを溢す小さな悪魔。
それを視界の端に捉え、ここに来て始めて、脂汗を滲ませた国王が激痛に歪んだ顔を上げていた。
「……私にっ、構うな……っ」
己の魔力で止血はしているようだが、魔法発動にはそれなりの集中力が必要とされる。
痛みと戦いながらではそれが限界で、いくら国王とはいえ反撃する精神力も魔力も残されてはいないだろう。
「こんな死に損ないの老体にかまけてみすみすチャンスを逃すなど、愚の骨頂だ……っ」
「ですが……っ!」
実孫のリオとアリアを含む六人の命と国の平穏を天秤にかけ、その結果国を取った国王の選択は、自らの命にも適用されるらしい。
自分のことなど見捨てて攻撃しろと命じる祖父に、リオの動揺の声が飛ぶ。
「……その崇高な精神には虫酸が走る」
そんな二人の遣り取りを心底気持ち悪そうに吐き捨てて、ヘイスティングズは己の忠実な部下へと声をかけていた。
「バイロン」
畏まりました、と目だけで礼を取り、バイロンの瞳がすぅ、と残忍な形に歪む。
「……貴方には、個人的な怨みもありましたっけ」
"個人的な怨み"というのは、かつて若かりしこの国王に封印された過去のことだろうか。
「お祖父様……っ!!」
なにが行われるのか悟ったアリアの口から、悲鳴が上がる。
「っ、ぐぁぁぁ……っ!」
ザン……ッ!ともう一方の腕も切り落とされ、先ほどと同じく、血濡れたソレはヘイスティングズの腹へと収められていった。
「そこそこ満たされた、かな?」
「それは良かったです」
ペロリと唇を舐め回し、腹の辺りを擦りながら少しだけ満足気に嗤う主に、バイロンもまた涼しげな顔を向ける。
それからヘイスティングズはアリアの方へと向き直ると、酷く愉しそうにくすくすと素敵な提案を投げていた。
「君が喜んでぼくに身を委ねてくれるなら、その間、彼らの相手はバイロン一人に任せるけど?ぼくは君を殺したりはしないから、むしろチャンスなんじゃないかなぁ?運が良ければバイロン一人くらいなら討ち取れるかもよ?」
「……っ!」
確かにその言葉通り、バイロン一人であればリオたちが討ち取れる可能性は高い。
アリアが少しだけ我慢をすれば、全員死なずに済むかもしれない。
「馬鹿なことを考えるな」
動揺に揺れるアリアの瞳を手で隠し、それからシオンはそんなアリアの迷いを振り切るように地を蹴った。
戦闘体勢に入ったシオンに気づき、ルイスもまたシオンの動きを援護する。
シオンの放った光の刃を薙ぎ払い、間髪入れずルイスが光の拘束具を操れば、すぐさまそれを無効化させる。
自分へと襲い来る竜巻のような強風に癖のある髪を靡かせながら、ヘイスティングズは嗜虐的に嗤っていた。
「あはははははっ!君たちは死に損ないの老体を見棄てたわけだ!?」
そうだよねぇ、それが賢明だよねぇ!?と子供のような瞳をギラギラと光らせながら、黒い風の渦をシオンの操る竜巻へと激突させる。
「私は元々あの男が四肢を失おうが死のうが興味はない」
冷めた声色でそう告げて、ルイスはヘイスティングズの頭上へ雷撃を落としていた。
「いいねぇ!ゾクゾクするっ」
命の獲り合いに身震いさえさせながら、ヘイスティングズは後方へと身を翻す。
「偽善者の自己犠牲愛には嘔吐が出るけど、君たちは素敵だねぇ」
どうやらあっさりと国王を切って捨てた二人の姿がお気に召したらしく、ベロリと赤い舌を覗かせて、ヘイスティングズがお返しとばかりに灼熱の刃をシオンとルイスの頭上高くから降り注ぐ。すれば、二人は瞬時に氷の盾のようなものを生み出して、己の身を守っていた。
「……ヘイスティングズ様」
あまり意味を成さない"人質"に、ヘイスティングズの行動を静かに見守っていたバイロンは、どうしたものかと指示を仰ぐ。
「……そうだねぇ。殺さない程度に足も両方捥いでからデザートにしようか」
「……御意に」
茫然と動けずにいる、リオ、アリア、セオドアとルークに。一方で、闘いを仕掛けるシオンとルイスの二組の様子を眺めながら、バイロンの腕へと再び凶器が宿る。
「お祖父様……っ!!」
今度は真横に薙ぎ払われた闇の刃で一瞬で。
両足が、切り落とされる。
……と、そう絶望しかけたその瞬間。
バイロンの足元へと光の魔方陣が出現し、そこから光のシャワーが吹き出していた。
「……ぐ、ぁぁ……っ!」
くらりと身体をよろめかせ、緩んだバイロンの腕から国王の身体がゆっくりと床へと倒れ込む……、かと思いきや。
「待たせたね」
疾風が、傾いた身体を浚い、そこにはにこやかに微笑む天才魔道師の姿と。
「ルーカス様!?」
「ユーリ!?」
ただいま、と苦笑いする少女のような少年の姿があった。