mission7-3 討伐せよ!
(間に、合わない……っ!)
逃げることも、応戦することも敵わないと、アリアは自分へと向かってくる腕がその掌を広げるのを、まるでスローモーションを見ているかのようにただ見つめることしかできない。
(掴まる……っ!)
眼前に迫った掌に、覚悟を決めたその瞬間。
「させるかっ、よ……っ!」
一人、この危機を一歩先に察していたユーリが、その腕を空中で掴んでいた。
「ユーリッ!」
誰もが驚きに目を見張る信じられない行動へ出たユーリへと、その場の全員が次の行動を取るべく体勢を整える。
が。
「……ユーリ……ッッ!」
その直後、ユーリが掴んだその掌から闇色をした靄が広がって、一瞬にしてユーリの身体を包み込んでいた。
「……ア、リア……」
ふっ、とユーリの意識が途絶え、脱力したその身体を腕だけとなったバイロンのソレが掴み取る。
「ユー……」
思わず、ユーリの身体へと手を伸ばしかけ。
グイッ、と、後方へと身体が引かれ、強制的に距離を取らされる。
「シオン……ッ!?」
振り返り、咎めるような瞳と目が合った。
「なにをする気だ」
「なに、って……」
連れていかれまいと反射的に身体が動いてしまっただけで、なにかを考えていたわけではない。
わかっているのは、このまま見ていてはダメだということだけ。
「形勢逆転、ですね」
面白そうに口元を引き上げて、バイロンがゆったりと各々の顔を見回した。
それから、神剣を握ったままのリオへと真っ向から挑むような視線を向け、くすりと余裕の笑みを浮かべていた。
「この拘束を解いてくださいませんか?」
でなければ、ユーリを殺す、と、視線だけで明らかな脅しをかけてくるバイロンに、リオの瞳に動揺の色が浮かぶ。
リオが構築した光の拘束具は、さすがにバイロンでも一筋縄ではいかないらしい。
それを思えばこのまま一思いにその喉元をかっ切ってしまえばいいのかもしれないが、そんな気配を少しでも滲ませたが最後、離れた位置で捕えられたユーリにどんな被害が及ぶかはわからない。
完全にユーリを人質に取られた形となった状況に、リオの指先が迷うようにピクリと動いた。
「リオ様……っ!」
なりません…っ!と、この後のリオの行動を察したルイスから、悲痛な制止の声が上がる。
男を解放したからといって、交換条件でユーリが戻るわけもない。
それならば、このままユーリ一人を犠牲にしても、と、他の多くの命を天秤にかけてしまったとしても、それは仕方のないことだろう。
「リオ様……っ」
縋るようなルイスの声に、リオはぐっと唇を噛み締める。
そして。
「おやめください……っ!」
ルイスの懇願虚しく。
すぅ……っ、と、バイロンを拘束していた光の鎖が解けて消え、後にはくすっ、という残忍な微笑みだけが残された。
と。
「……バイロン」
ふいに響いた高い少年の声に、全員の視線がばっとそちらの方へと集中する。
見た目だけならば10歳頃の幼さを残す、黒色が混じった金色の髪。線は細く、"美少年"と称されるに値する容姿を持ちながら、醸し出される雰囲気は思わず身震いしてしまうほど酷く残忍で冷たいもの。
「……ヘイスティングズ様」
深々と礼を取ったバイロンに、彼こそが、男の主であるということを、一瞬で理解する。
先ほどのバイロンの言葉通り、既に遅かったのか、と、絶望にも似た後悔が胸に過る。
このまま、ユーリを人質に取られた状態で、二対六。
誰もがその緊張感から冷たい汗が流れ出るのを感じ、覚悟を決めて身構える。
けれど。
「今日のところは引き上げよう」
あっさりと撤退を口にした主に向かい、バイロンは恭しく頭を下げていた。
「畏まりました」
恐らく、目覚めたばかりの少年は、本来の力を半分も取り戻してはいないだろう。
つまりは、分が悪い、と、そう判断しているのだ。
だからこその撤退命令で、それを思えば叩くのは今を置いて他にはないとも考えられる。
考えるよりも前に足が前へと進み出て、なにをしようと考えているわけでもないのに、自然二人を引き止めるべく動こうとするアリアの身体を、シオンが強い力で引き留める。
「シオ……」
の瞬間。
少年の前へとブラックホールのような渦が出現したかと思うと、目を開けていられないほどの風が舞い、そこへ吸い寄せられるかのように、少年とバイロンと、それからユーリを捕えたままの男の片腕が吸い込まれていく。
「ユーリッッ!!」
思わず前へと伸ばした手が届くはずもなく。
「ユーリッ!ユーリ……ッ!」
ふっ、と風が止んだ後には、少年もバイロンの姿も、そしてもちろんユーリの姿も跡形もなく消えていた。
「どうして……っ!!」
"シナリオ"通りになってしまった。
別段ユーリは、"ゲーム"の中のようにバイロンから目をつけられていたわけではないというのに。
むしろ狙われていたのはアリアの方で、バイロンから向けられた意味深な視線と、自分へと迫ったその片腕を思い出せば、ユーリが自分の"身代わり"になったことを理解する。
「ユーリが……っ!」
「アリアッ。落ち着け」
泣き崩れかけるアリアを宥めるようにシオンがその腕を掴むが、アリアは嫌々と首を横に振るだけでシオンの言葉を受け入れる様子はない。
「私のせいで……っ!」
やっぱり、どんなに嫌がられようと置いてくるべきだった。
自分の意思で発動することの叶わないユーリの"奇跡の力"を頼ろうとした自分の甘さに吐き気がする。
「アリア!」
完全に取り乱したアリアはシオンから逃れるように抵抗を続け、掠れた悲鳴を上げる。
「私が……っ!」
――浚われるべきだったのに。
という叫びは言葉にならないまま。
「アリアッ!」
「……ん……っ!」
腕を掴まれ、ふいに塞がれた唇に、その思いは口の中へと消えていった。
涙の溜まった瞳に至近距離すぎてピントの合わないシオンの顔が映り込み、アリアは大きく目を見張る。
「……ん……っ」
アリアの口を塞いでいるのは、同じくシオンの唇だ。
抵抗を許さないようにアリアの腕を掴んだままシオンの片手が華奢な身体へと回り、顎を捕えたシオンの指先がアリアの唇を薄く開かせる。
「……ん……っ!」
角度を変えて潜り込んできた自分以外の熱に、反射的に瞼が落ちれば、一雫の涙が宙へと零れ落ちる。
「ん……っ、っぅ……」
唇を割って入ってきたシオンの熱に、深く、奥まで口付けられる。
「シオ……、ん……っ」
呼吸が儘ならず、角度を変えられる合間を縫って思わず酸素を求めて口を開けば、再度深くまで口付けられて、段々と身体から力が抜けていく。
どのくらい、そうしてシオンに捕えられていただろうか。
解放され、はぁ、と熱い吐息を吐き出した頃には、アリアはシオンの支えなしでは立っていられないほど脱力しきっていた。
「……落ち着いたか?」
冷静な瞳に覗き込まれ、アリアは瞬時に自分の身の上に起こったことを理解して赤面する。
けれど、それと同時に確かに少し冷静さを取り戻した自分に気づいて、自分を見下ろしてくるシオンへと、不安そうに揺らめく瞳を向けていた。
「大丈夫だ」
「でも……っ」
宥めるように囁かれる低い声に、アリアは再び目に涙が溜まってくるのを自覚する。
「私が……っ」
自分のせいで。
自分なら良かったと。
そう訴える瞳を見下ろして、シオンは静かに口を開く。
「お前が、そう思うのと同じように、アイツも同じことを思っているはずだ」
二人は、とてもよく似ていると思う。
それこそあのルーカスの言葉を借りれば、まるで魂の一卵性双生児のように。
自分のことよりも、他人のことを心配する。
「浚われたのがお前ではなく、自分で良かったと思っている」
違うか?と確認するかのように問いかけられ、アリアは返す言葉が見つからない。
確かにユーリであれば、そう思って行動しているかもしれないけれど……。
「でも……」
「大丈夫だ。すぐに助けに向かう」
きっぱりと断言したシオンの言葉は、信じられないほどの安心感をアリアへ与え、そのまま引き寄せられるままにシオンへと身体を預けてしまう。
(でも……)
助けると言っても一体どこへと一抹の不安を抱えたアリアに、耳元で低い囁き声が落ちてくる。
「お前なら、わかるだろう?」
他に聞かせないようにするためか、顔を寄せ、耳元近くで投げられる疑問符。
「アイツは、どこへ連れて行かれた?」
それは、明らかにアリアの記憶へと問いかけられるもので、その意味を理解したアリアは、驚きに息を呑む。
「オレがなんとかする。わかるだろう?」
まるで、諭すように囁かれる低い声に。
シオンのその言葉に促されるように、アリアの中へと忘れかけていた"ゲームの記憶"が降りてくる。
(ユーリが拐われて連れていかれた場所……)
正式な地名などはわからない。
けれど確かに記憶の中にある断片的な情報を口にすれば、シオンはバラバラでピースさえ揃わないパズルから、答えを見つけ出したようだった。
「……わかった」
アリアの顔を覗き込むように告げられたその一言に、驚くほどの安心感に満たされる。
それを体現するかのようにシオンの腕を掴んだ指先に力を込め、ハッと我に返ったアリアが周りへと振り返ると。
「……ぁ……」
赤面するセオドアとルークと。困ったように微笑するリオと、なんとも言えない複雑そうな表情で顔をしかめるルイスの姿が目に入り、アリアは顔へと引いたはずの熱を再熱させていた。
「や……、こんな時にアレなんスけど……」
パタパタと、己の手を団扇代わりに顔を扇ぎながらルークはあははと乾いた笑みを漏らす。
「ちょっと、お二人に当てられちゃって……」
取り乱したアリアを落ち着かせるためとはいえ、それは目の前で繰り広げられる光景としては、ルークにとっては少しだけ刺激の強いもので。
落ち着いたかと思えば、顔を寄せ合い、なにやら囁き合う婚約者同士の姿に、照れるなという方が難しいだろう。
「~~っ!」
思い出し、思わず口元を覆ったアリアは。
(……ノーカウントよっ!ノーカウント!!)
心の中で、誰に言い訳するでもなく叫び声を上げていた。