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絶望と。救済と。 1

 身体が、凍るように寒かった。

 肩が震える。

 吐き気がする。

 それでも、隠さなければならない。

 優しい従兄は、アリアの動揺に気づけば心穏やかではいられないだろう。

 けれど。

「……お祖父様になにか言われたの?」

 リオがいるという部屋に入ってすぐ。心配そうに向けられた瞳に、一瞬で心が折れそうになってくる。

「リオ様……」

 リオを見上げ、けれど視線を合わせることができずに、アリアはきゅっと唇を引き結ぶ。

 告げなくてはならない言葉は、なんて残酷なものなのだろう。

 けれども、もし。もし、ここでアリアが躊躇すれば。リオに、アリアが(・・・・)知っている(・・・・・)ことを悟られてしまう。

 黙っていては不審を呼ぶ。

 震える唇も、身体も、その意味を悟らせてはならない。

 なんでもないことのように。ただただ普通に(・・・)、祖父から孫への伝言にしなければならないのに。

「……お祖父様が、呼んでいます」

 アリアがわかっている(・・・・・・)ことをわかっていて(・・・・・・)、あえてアリアの口から伝えさせるその仕打ち。

 リオの背後で、リオに気づかれないように瞬時にルイスが殺気を滲ませたのが、その言葉の意味するところのなによりの証拠だろう。

「……それはわかったけど……」

 どうしたって、リオへと真っ直ぐ向き合えない。

 それではダメだと言い聞かせても、罪悪感が胸を満たす。

「……アリア?」

 どうしたの?と心配そうに覗き込まれるその瞳に、いつも通りの笑顔を返さなくてはならないのに。

「……私が、貴方の婚約者にと進言させて頂きました」

 そんなアリアを見るに見かねてか、ルイスが決して嘘ではない事情を淡々と暴露した。

「……ルイス!?」

 なにを勝手なことを…、と側近の振る舞いを咎めつつも驚きの声を上げたリオへと、ルイスは身体の横でぐっと拳を握る。

「……私は、なにをしても貴方に王になって欲しいのです……っ!」

「ルイス……」

 リオを次期皇太子に、という声は確かに高まっている。

 けれど、婚約という形でルイスの実家であるベイリー家を後ろ楯にしたとはいえ、まだまだリオの足元は不安定なままだ。

 あくまで、他の王子たちから一歩か二歩程度頭が出ているだけ。

 今までならば、アリアがシオンの婚約者であることは都合のいいことだった。

 アクア家の後ろ楯と、現国王を祖父に持つアリアが他の王子の婚約者にでもなろうものなら、その王子が次期皇太子として担がれるようになってもおかしくはなかったのだから。

 最も、無駄な諍いを起こさないよう、その辺りの事情も危惧した上で、現アクア家当主はアリアの婚約者を決めたのだろうけれど。

 だが、逆に言えば、アリアをリオの婚約者にすることができれば、リオの地盤は強くなる。

 さらに、もしもアリアに"予知能力"のようなものが備わっているとしたならば、そんな伝説級とも言える能力(ちから)を持つ妃を持つことは、リオの将来を確固たるものにするために必要なことだった。

「……アリア。大丈夫だよ。ボクからもお祖父様に言っておくから……」

 アリアの様子がおかしいことをその理由で納得してくれたのか、宥めるように口にされたリオの落ち着いた声色に、アリアははっと顔を上げる。

「いえっ、いいんです……!」

 これではまるで、リオとの婚約が嫌で動揺しているかのように思われて、アリアは慌ててそれを否定する。

「……少し、考えさせてください」

 自分がリオの傍にいることで、少しでもリオを救えるというのなら、それも選択肢の一つではないかとも思う。

 シオンとは気まずいままで、それを思うとズキリと胸は痛んだけれど。

「……ボクは、君のことを好ましく思っているよ?」

 呟くように告げられたアリアの迷いを前にして、リオの表情(かお)に柔らかな微笑みが浮かぶ。

「え……?」

 その言葉は言葉そのままの意で、深い意味などない、と思いたい。

「だから、君が望んでボクの元に来てくれるのならば、これ以上なく嬉しく思う」

 頭の上から金色の長い髪を撫でるように掬われて、アリアは成されるがままに優しいリオの顔を見上げる。

「……だけど、君はシオンのことが好きなんだろう?」

「……えっ……?」

 それは誤解だ、と否定しかけて、なぜかアリアはそのまま口をつぐんでしまう。

 アリアを見つめてくる瞳はとてもとても優しくて。

 不安定な地盤に立たされているこの従兄を、支えてあげたいと本気で思う。

 助けたい。

 逃げたくない。

 その気持ちに嘘はない。

 今の今まで、所詮は他人事だったのだと思い知らされ、自分のそんな汚ない気持ちに吐き気が込み上げた。

 自分が傍にいることで、少しでもリオの心が満たされるというならば。

「とりあえず、今日はもうお帰り」

 柔らかく微笑まれ、「送るよ」と言われた直後。


 突然目の前のリオが消え、どこかで見覚えのある風景が目の前に広がっていた。


「……アリア?」

 突然現れた人物に、さすがに驚きを隠せない低い声が響いて、アリアはその声の持ち主の方へと顔を上げる。

「シオン……」

 アリアの目に映り込んだのは、壁一面が本に覆われたシオンの自室。

 読書中だったのか、高級そうな椅子に身体を預けていたシオンが、突然の来訪者に腰を上げる。

「……どうして……」

 理由はリオの転移魔法に他ならず、けれど、アリアの家ならばまだしも、なぜここに「送られた」のかがわからない。

「……なにがあった」

 金色の髪へ触れたシオンの手がアリアの顔を上向かせ、戸惑いに揺れるアリアの瞳を覗き込んでくる。

「……シ、オン……」

 先日からの気まずさなど全て消え、宥めるように触れてくるシオンの手に身体を預けてしまう。

「……アリア?」

 言葉は決して多くない。

 けれど的確に読み取ってくれるシオンに、涙腺が緩くなってしまう。

 思わず泣き出したい心地に駆られて、自分にその資格はないのだと言い聞かせる。

「……」

 ふるふる、と首を横に振り、シオンの手をほどこうと試みるも、それは無駄な足掻きだった。

「……言えない、か?」

「……っ」

 これでは、先日の堂々巡りだ。

 けれど、アリアの顔を覗き込んでくるシオンはそれ以上を口にすることなく、ただ黙ってアリアを見下ろしてくる。

 沈黙し、なにも聞いてはこないけれど、静かに見つめられるその瞳に、吸い込まれそうになってくる。

 感情のままに涙を溢して、そのまま縋りたくなってしまう。

 シオンだったらなんとかしてくれるのではないか。そんなことすら思ってしまう。

 それが到底無理なことなど、もう、わかっているというのに。

 縋って、泣いて。シオンに罪の肩代わりを押し付けてしまう。

 今、アリアがこうしている間にも、リオがあの祖父の元に足を運んでいるかと思えば、おかしくなってしまいそうだった。

「……アリア」

 今にも溢れ出しそうで溢れない涙。

 アリアの瞳に留まるそれを溢れ出させ、泣かせてやりたいと思う。

 無理矢理にでもその胸の内を暴かせてやりたいと思う一方で、一瞬でも全てを忘れさせてやりたくもなって。

 どちらにしても、このままきつく抱き締めて、腕の中でぐちゃぐちゃにしてやりたくなってくる。

 涙が零れ落ちそうな目元へと指先を伸ばせば、なんの警戒もなく華奢な身体が身を委ねてくる。

 頬に触れた指先が、そのままアリアの顎を撫で、その艶めく唇に、吸い込まれるようにそっと熱を重ねようとして。

「……もし、婚約を白紙に戻したい、って言ったら……」

 どこを見ているのかわからない、ぼんやりとした視線でそう呟かれ、シオンの動きがぴたりと止まった。

「……お前が、それを望むなら」

 そういう約束だったからな、というのは、自分に言い聞かせるためのものかもしれない。

「……少し眠れ」

 シオンがその瞳を覗き込み、仄かな魔法の気配がしたかと思えば、アリアの身体がそのままシオンの腕の中へと崩れ落ちる。

 強制的に眠りへ誘う高度魔法。

 力を失ったその身体を抱き上げれば、眦からすぅ……っと一滴の涙が伝い落ちる。

 普段自分が眠るベッドへとアリアの身体を横たえて、シオンは落ちた涙を掬ってやる。

 それからしばし、眠るアリアの顔を見つめて。

 深い眠りに入っていることを確認してから、寝室を後にする。

 扉を閉め、

 ダン……ッ!

 と、思い切り拳で壁を叩きつけた音が辺りに響く。

「……っ」

 ぐっ、と握り締められた拳。

 苛立たし気に唇を噛み締めて、シオンは遠い虚空を睨み付けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] イヤイヤ、ダメでしょ❢ アリア。 リオは、心配してもらって 嬉しいけど、自分の気持ち大事にして❢ って言ってるようなものなのに、 シオンに婚約白紙してって言うの、 酷くない? リオの気遣いマ…
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