器 2
制服は女の子の戦闘服だ、と、誰かが言っていた気がする。
学校帰りのそのままの格好は、白いブラウスに黒ネクタイ。プリーツの黒いスカートの裾には一本の白い線が入っており、上着には白いジャケット。
"ゲーム"で可愛いと騒がれていた制服を身につけて、アリアはソレに対峙する。
「……お祖父様」
本日はどのようなご用件でしょうか。と、アリアは祖父を見る。
実の祖父とはいえ、こうして二人だけで顔を合わせることなど初めてのことかもしれない。
アリアはスカートの影でぎゅと拳を握り締め、覚悟を決めて祖父と向かい合っていた。
「ベイリーの子息に、お前をリオの妃に、と推されてな」
一応、お前の意見も聞いておこうかと思ったまでだ、と続けられ、アリアは予想外の展開に「え?」と大きく目を見張る。
確かにその件に関しては、先日ルイス本人から聞かされてはいたものの、こんなに早く国王へと進言されるとは思っていなかった。
ルイスはこの国王を殺したい程度には憎んでいる。そんな男と会話をすること自体苦痛のはずだろう。
「民の上に立ち、導く覚悟はあるか?」
此度のことでいろいろと思うところもあるだろう、と口元を皮肉気に緩める国王は、その気になればすぐにでもアリアの婚約を白紙に戻すことができるだろう。
「導く……」
その言葉はなんともこの祖父に不似合いな気がして、アリアは小さく反芻する。
否、この国の民にとって、確かにこの王は偉大な存在かもしれない。
五つの公爵家を一つに纏め上げ、国は豊かで発展し、綻びなど見られない。例え好色だとしても、たくさんの妃を娶ること自体は国王という立場を考えれば問題もないだろう。
それなのに、なぜ。
唯一、リオに対する仕打ちだけはなんなのだろう。
「アレの隣に立ち、共に国を治めるか?」
その物言いからは、いずれリオがこの国の王となることを認めている様子が見て取れる。"ゲーム"の中では間違いなくリオは皇太子だったのだから、それは当然とも言えた。ただ、現実を見た時には、この国王亡き後、現皇太子がその地位を継いだ時に、新しい皇太子にリオを指名するかどうかはわからない。
皇太子は王の一存で決められるようなものではないが、王の発言力が大きいことも確かだろう。アリアやルイスの不安要素はそこにあると言っていい。
「……少し、時間を下さいませんか?」
これからの"ゲーム"展開を考えると対策しなければならないことが山ほどある。にも関わらず、己の身に次から次へと振りかかってくる問題はアリアには大きすぎて、もはや許容量を超えている。
全て八方塞がりで、思考回路が回らない。
「そうだな……。一ヶ月、時間をやろう。考えておけ」
それなりに与えられた猶予は、せめてもの祖父としての慈悲かもしれない。
世間の間違った見解とはいえ、"シオンがアリアを溺愛している"という噂は、この祖父も知るところだろう。
「ならば話は終わりだ。下がっていい」
前回と同じようにあっさりと退出を命じられ、もはや思考が限界に来ていたアリアは、反射的にその言葉に従いかけてしまう。
が。
「戻ったらリオに来るよう伝えろ」
「……っ!」
ふいに告げられたその言葉に、アリアは肩を震わせる。
「どうした」
下がれと言っている、という声色には僅かながらも苛立たしささえ感じられ、アリアはゆっくりと祖父へと向き直るとごくりと息を飲んでいた。
「……この後、リオ様に用があるのですが」
「後にしろ」
暗に、今日はリオとの面会を諦めて欲しいと願うアリアを、目の前の祖父は相手にするつもりはない。
まるで子供の我が儘など聞き入れられないとでもいうかのようなその態度に、アリアは挑むような瞳を向ける。
「……」
わかっていて、諦めたくはない。
例え全ては無理だとしても、アリアが知り得る範囲内くらいは。
見て見ぬふりなどできようはずもない。
――『知らないふりをしろ』
厳しいルイスの言葉が頭に響く。
(でも……っ!)
せめて、せめて、これくらいは。
「……お前のソレは一体なんだ」
「……っ」
国の最高位へと怯むことなく向けられた双眸に、王は明らかな不快を示してアリアを見遣る。
「"先見の力"とは違うだろう」
「っ」
この王は、一体どこまでのことを見透かしているのか。
王の資質を確かに備えた男の厳しい視線に、指先が震え出すのを止められない。
逃げたいと、本能的に思ってしまう。
この王に、逆らってはいけないと。
「母親のようにただ温室で世間知らずに育てばよかったものを」
諦めとも落胆とも取れるその物言いは、一体なにが言いたいのだろう。
「アレを私から解放したいか」
「っ!」
可笑しそうに口元を歪めた国王に、アリアは大きく目を見張る。
「……なるほど?知っているか。お前は本当に面白いな」
くつくつと喉を震わせて、男は心底面白そうに目を細める。
その姿は、アリアが今まで見てきた「愛孫を可愛く思う祖父の姿」とはかけ離れたもの。
その本性の一部に触れた気がして、ぞわりとした悪寒が背筋を襲う。
(……リオ様は、いつもこれに耐えていたというの)
これでもまだ、触れたのはほんの一部でしかないだろう。そう思えば絶望感に目の前が暗くなっていく。
救いたい。
逃げたくない。
目を、反らしたくない。
本当にアリアは、ただ知っていただけだったことを思い知らされる。
"ゲーム画面"越しの王の威圧感など、現実に比べれば皆無だったと言っていい。
これは、アリアが今生きている"現実"。
(どうしたら……っ)
「ならば、お前がアレの代わりを勤めるか?」
「なっ……?」
愉しそうに口元を歪めた"祖父"の姿に、アリアは絶句する。
リオにとっても目の前の男は実の"祖父"だ。
三等親以内の近親相姦など、歪んだ嗜好を持つ男には関係ないだろう。
その視線が。
突然"捕食者"のソレへと変化したことに気づいて、アリアは腹部の辺りで小さく自分自身を抱き締める。
自分を見る目に色が孕んだことがわかって手が震える。
今はルイスが傍にいるとはいえ、リオはずっと、一人でこれに耐えてきたのか。
"ゲーム"内でも、国王のその手は"主人公"にまで伸ばされた。それを寸でのところで救い出したのはリオだ。
「そのつもりがあるならば、まずは婚約者に抱かれてから来ることだ」
初めくらいは譲ってやろう、と譲歩を見せるその真意は。
「万が一があっては困るからな」
(……シオンの子にするつもりなの……!?)
万一、身籠ってしまった時には。
醜聞を晒さないための予防線をしっかり張ってくる国王の手回しの良さに、ふつふつと怒りが沸いてくる。
「定期的に誘惑できるくらいでないと、アレの代わりなど勤まらない」
いつ、万一があってもおかしくないように。
その為に備えろと信じられないことを提示してくる男に、アリアは反旗を翻す。
「……その時は、全てを白日の下に晒します」
傷物だと後ろ指を差されようが、実の祖父に汚されたと白い目を向けられようと。
それでこの王を失脚させられるというならば、相応の代償を払ってみせる。
「私は王だ」
「だからなにをしても許されると?」
できるものならやってみろと、面白そうに笑う男に、アリアは反抗的な瞳を向ける。
「自分の全てを国のために捧げてきた。これくらいのことは好きにしても許されると思わないか?」
国のトップに立つ重圧など、アリアにはわからない。
恐らくそれは、とても平常の精神ではいられないほど重いものだろうとは思えるけれど。
けれど、だからといって"誰か"を傷つけていい理由にはならないだろう。
もしかしたら、この王は王でなにかに苦しんでいるのかもしれないが、それに同情する気はない。
「言っておくが、私はアレに強制したことはない」
打って変わって溜め息混じりにそう言って、男は可笑しそうに微笑う。
「アレ自身も、己の欲望に逆らえないだけだ」
将来、王になる。そのために。
だから後ろ楯の弱い王子は、国王に縋るしかないのだと、言外でそう言って。
本当に嫌だというならそこから逃げ出せばいいだけだ。
それをしないのは、リオ自身、捨てられない望みがあるからだ。
(……ユーリのためなら、全てを捨てたのに)
"ゲーム"における"リオルート"。リオは、ユーリと共に在る為に、王の元を離れることを決意する。
とはいえ、"ゲーム"のリオは皇太子で、王宮を離れたからといって継承権を剥奪されるようなことはなかった。つまりは、年老いた国王がいつか崩御した際には、きちんとリオの元へその権利が譲られるということで、晴れやかで明るいラストだった。
けれど、この現実は違う。今、一王族でしかないリオが逃げ出したら、その望みは一生叶わなくなるだろう。
「私は孫であるお前を本当に可愛く思う。だから、一つだけ忠告してやろう」
それは、"祖父"としての最後の慈悲。
「このまま、なにも知らなかったことにしなさい」
リオへの伝言を忘れないように、という残酷な言葉をアリアに残し、王は愛孫の後ろ姿を見送った。
全てを、なかったことに。
知らないふり。気づかないふり。
そうすれば、今まで通り。
なにも変わらない生活が待っている。
ずっと前から知っていたのに。
救いたいと思っていたのに。
今までずっと、どこか他人事だった。
"プレイヤー"目線の自分がいた。
あれだけこの世界が現実のものなのだと。"誰か"を救うために動いていたのに、それでもまだ現実が見えていなかった。
リオの抱える苦しみを、本当の意味では見ていなかった。
身代わりになどなれるわけがない。
そんなことでリオを救えるはずもない。
アリアが身代わりになってリオが自由を得たとしても、それを知ったリオが苦しまないはずがない。
むしろ、今まで以上にリオを追い詰める結果になるだけだ。
それに、あの祖父が言葉通りリオを手離すとも思えない。
最悪は、犠牲者がただ増えるだけ。
……それでも。
(……救いたいのに……っ!)
――救えない。
その事実を前に、アリアはただただ打ちひしがれていた。