器 1
帰宅する為の馬車へと向かう途中、珍しくリオから離れて一人で姿を現したルイスに、アリアは呼び止められていた。
「どうかしたんですか?」
先ほど受けた衝撃から、アリアはまだ立ち直れていない。
そんな中で、誰もいない空き部屋へと促されてルイスと二人きりになるという状況に、アリアは戸惑いを隠せずにいた。
「……アリア」
アリアの正面へと向き直り、ルイスの強い光を宿した瞳が"なにか"を探るような色を見せる。
こんな風に、ルイスと二人だけで話したことはないと思えば、アリアが思わず身構えてしまうのも仕方のないことだった。
「……お前は、気づいているのか?」
「……ぇ……」
詰問するかのようなその声色は、一体なにを意味しているのだろう。
思い当たることなど多すぎて、アリアにはルイスが自分になにを求めているのかわからない。
アリアが、先の出来事を知っていることか、それとも……。
「……あの方と、王のところへ行っただろう」
「王」という単語を出す時にだけ、殺意にも似た仄かな激情を滲ませたルイスへと、アリアはぎくりと肩を震わせる。
「お前は、止めたな?」
国王がリオをそのまま手元に留めることを止めたことを示唆して、ルイスは鋭い視線でアリアの瞳を射抜いてくる。
アリアと共に国王の元へと足を運べば、リオがそのまましばらくは戻らないことを、ルイスは覚悟していたのかもしれない。
「……なぜそんなことをした」
誤魔化すことを許さない瞳を前に、アリアはただ黙り込むしか対抗する術がない。
祖父とリオの関係を知っている、などと。
そんなこと、言えるわけがない。
「なにを、知っている」
アリアを問い詰める厳しい声に。
「……私は、なにも……」
唇が、急速に渇いていくのを感じる。
ただ、リオにはなんの咎めもないことを主張したかっただけだと告げるアリアの言葉を、ルイスがどこまで受け入れてくれるのか。
「……忘れろ」
「……え……?」
仄暗い殺意さえ滲ませて、ルイスが苦々しく吐き捨てる。
「だとしたならば、全て忘れろ。なにも知らないふりをしろ」
腕の先が震えるほど握りしめられた拳は、アリアが気づいていることに気づいている。
「……あの方は、お前に気づかれたくはないだろう」
血を吐くような思いで告げられた言葉は、確かに真実なのだろう。
アリアがリオと同じ立場だったとしても、祖父との関係を誰かに気づかれたくはない。
自分を押し殺し。平常を保って。全て取り繕ってみせるに違いない。
「ただ」
苦しげに顔を歪ませながら、ルイスの強い意志の籠った瞳が向けられる。
「少しでもあの方の助けになりたいと思うのなら」
「シオンとの婚約を白紙に戻し、あの方のものになれ」
……これは、"リオルート"の婚約者選び"イベント"だろうか。
ルイスから告げられた言葉の衝撃に、突飛なことを考えてしまう。
"ゲーム"では、この時点でまだ婚約者のいなかったリオへと、将来の后候補が上げられるという"イベント"が発生していた。
それを知った"主人公"が動揺し、リオへの想いに気づかされる、という"リオルート"の重要"イベント"だ。
(……そういえば……)
主人公視点の"ゲーム"では、さらりとテロップが出ただけの"エンディング"の一つを突然思い出し、アリアはふいに動揺する。
それは、"シオンルート"の一つ。シオンが"主人公"と結ばれたことでシオンから身を引いた"婚約者"が、独身だったリオの正妃に立つ、というものだ。
この流れは、そこからの派生なのだろうか。
「お前は、権力が欲しいとは思わないのか?」
流行り病。
魔族討伐。
闇取引の壊滅。
神剣の入手。
そして、今回の件。
リオの功績は認められ、次期皇太子にとの声は大きくなっている。
だが、その全てに目の前の少女が深く関わっていることを、ルイスは知っている。
さらには、表立って知られてはいないものの、少女にはそれ以外にも民に認められる数々の実績すらあるのだから。
もし、彼女に相応の地位と権力があれば、もっと多くの実績を残せていたかもしれない。
どんなに血筋が尊いものでも、一公爵令嬢にはなんの権利も権力もない。
それは今回、アリア自身が身をもって経験したことだ。国の中枢に始めから関われるだけの地位があればと、歯がゆい思いに駆られたとしてもそれは当然のことだろう。
「お前には、それだけの"器"がある」
「……それは……」
どういうことでしょうか?と、アリアはおずおずとした瞳をルイスへ向ける。
確かにルイスの言うように、始めからそれだけの権利があれば、全てをもっと楽に解決できたかもしれない。けれど、アリアに権力を持ちたいなどという欲はない。
誰かを救う為に権力があった方がいいということは認めるが、所詮アリアは知っているだけで、それ以外のことはなにもできないのだから。
(それに……)
「……リオ様には、すでに決まった方がいらっしゃるでしょう?」
リオの婚約者は、他でもないルイスの実妹だ。
リオのものになれというのは、そのまま言葉通りのもので、正妻はそのままに、アリアには愛人かなにかになれということだろうか。
「いや」
どういうことかというアリアの問いかけに、ルイスははっきりと否定する。
「もしもお前が婚約者に立つのなら、アイツには私が責任もって身を引かせるつもりだ」
「……え……」
実の妹をリオの婚約者の座から引き摺り下ろし、そこにアリアを据えることに、ルイスになんのメリットがあるというのだろう。
戸惑いの表情を浮かばせるアリアへと、ルイスは厳しい瞳を向ける。
「お前は、あの方を支える杖になれ」
不安定なリオの立場を確固たるものにするために。
確かな血筋と後見を持つアリアは適任だ。
従兄妹であれば結婚は可能になる。
さらには。
「お前は、私たちに隠していることがあるだろう」
シオンとの会話を聞いていた、と仄めかされ、アリアは唇を震わせる。
「お前があの方の妃になれば、あの方の将来は揺るぎないものになる」
古い文献に在る"予知能力者"は双方共に"王"となっている。
ならばその力を有した者が将来の国王の妻となることはむしろ理想的なものだろう。
とはいえ、それを差し引いても、ルイスが敬愛するリオが、アリアを気にかけていることは知っている。
恐らくは、愛しいと思っているであろうことも。
アリアであれば、全ては無理でもリオを救えるかもしれない。
少なくとも、精神的なリオの支えにはなれるだろう。
「あの方が王になれば、お前は国で第二位の権力を得られることになる」
そうなれば、今までのような制限などなく、これまでより遥かに迅速に動けるようになる。
今現在は、一応王族の地位にあるリオですらそこまでの権限はない。
"ゲーム"の知識を持つアリアだからこそわかることだが、"ゲーム"内のアリアはただの令嬢で、周りで起きていることなどなにも知ることのないままただただ平穏に過ごしていた。つまりは、そういうことだ。
"シオンルート"でリオの王妃になったアリアは、その後、人々を善く導くことができたのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えて、もはやはっきりとした輪郭がわからなくなった思考でルイスを見遣る。
「お前にとってもそちらの方が都合がいいだろう?」
公爵家の妻ではなく、人の上に立つ王妃として。
そうすることで、少しでもリオを助けられるというのなら。
僅かでも、あの優しい従兄の支えになれるというのなら。
(……「ルイス×リオ」を間近で見るという選択肢も悪くないのかもしれない……、わよね…?)
心の中で自嘲したその思いは、もはや完全に現実逃避から出たもので、まるで自分自身へとその正統性を言い聞かせる為のものだった。
「シオンとの婚約を解消しろ」
告げられた言葉が、重くアリアへとのし掛かっていた。