月夜の誓い
時間も忘れたかのように書き綴り、アリアはもう何度目かになる深い溜め息を吐き出した。
手元のノートに書き出した情報は、万が一誰かに見られても困ることのないよう、全て思い出したばかりの日本語で書いてある。例えなにかの拍子に見られてしまっても、この世界の人間には意味不明の記号が綴られているだけだ。
そうして頭を抱え、アリアはつくづくと思い出して独りごちる。
(……ほんっと、主人公じゃなくてよかったーー!)
もしこれで転生したのが主人公であったなら、見る目も当てられないほど恐ろしいことになる。
ここは"腐女子向け18禁ゲーム"の世界。
触手に魔物に人魔にと、ゲーム開始時から最後まで、主人公は実に萌えー、ではなく、大変な災難に見舞われる。
もちろんイケメンヒーローたちとのアレコレが最終目標、メインの話ではあるのだが、自分が主人公になってそれを実体験したいなどとは欠片足りとも思わない。
ゲームのプレイヤーとして主人公がアレコレ凌辱される分には悶絶しながら喜んだものだが、それが現実となって自分が経験したいかと言えば、それは無理な話だろう。
(……でも、主人公は本当にそれでいいのかしら……?)
想い人とのアレコレであればいいだろう。
けれど主人公は本来ノーマル。
普通に考えれば同性との恋愛はもちろん、同性同士で一線を越えた関係になりたいなどとは決して考えないだろう。
(……もちろんショックは受けていたけれど……)
初めて魔物から"そういう対象"として身体を暴かれかけた時、シオンに救い出された主人公は、しばらくその恐怖を忘れられないでいた。
いくら未遂とはいえ、もし自分の身に同じことが起こったならば、正気でいられるだろうか?
(どうしよう……)
果たして、それが"ゲーム"の運命とはいえ、そんな悲惨な経験を主人公にさせてしまっていいのだろうか?
(でも……、それがないと恋愛に発展しない……?)
元々ノーマル思考の主人公だ。同性のヒーローたちに堕とされたのも、お姫様のように度々窮地から救われたことに加え、"そういうこと"もあるのだという経験と、トラウマから成るものがある。
(……だからって、やっぱりそんな思いはさせられないわよね……)
ノートの上に、一際大きな溜め息を一つ。
かつてのアリアは別世界の人間で、あくまで「プレイヤー」という第三者だった。
けれど今は、温かな血の通った生身の人間だ。
次々と恥辱にまみれて、正気を保っていられるとは思えない。
(それはなんとしても回避しなくちゃ――!)
主人公とシオンの恋愛イベントは"ゲーム"の強制力に期待することとして、アリアは主人公を助けることを決意する。
(それに……)
ぐっと拳を握り締め。
(どうせなら清い身体を捧げて欲しいし――!)
最終的には自分の願望に忠実に。
誰にも許していない身体を、恥じらいながらシオンへと預ける主人公の姿を想像し……
(ダメだ、萌えすぎて死んじゃうわ……!)
鼻血出そう……!と貴族令嬢らしからぬことを思ってアリアは身悶える。
(早くゲーム開始時になってくれないかしら……!)
ゲーム開始は今から三年後。
今から待ち遠しくて堪らない。
けれど。
ふいに真面目な顔に戻って、アリアはその顔に翳りを落とす。
ゲームの設定とシナリオを思い起こし、ふと気になったことが一つ。
それは、皇太子、リオ・オルフィス。
――そう、「皇太子」。
ゲームの中ではリオは「皇太子」という設定だった。
(……おかしいわよね……?)
現時点でアリアの知る国王は、ゲーム当初と変わりない。
だが、今現在の皇太子は、現王の二番目の息子だったと記憶する。
リオは現王の孫にあたるのだが、この違いはなんだろうか。
その違和感に、アリアは必死にリオルートの記憶を探り寄せる。
(なんだっけ……?)
確か、なんらかの理由があって、リオが皇太子となったはずだった。
この世界では、国王は長子存続ではなく、実力重視。
現王の血を色濃く引く王子の中から次代の王が選ばれる。
王が指名し、五大公爵家が承認する。王妃の意見も尊重されるが、基本的にこの三者により政治の全てが行われ、権力が片寄らないようになっている。
力が拮抗していれば争いが起こることもあるかもしれないが、リオの魔法値は他に類を見ないほど。
人格的にも抜きん出ており、カリスマ性もその才能も、他の追随を許さないほど圧倒的なものだった。
(だから、リオが皇太子になること自体は当然の流れではあるのだけれど……)
それにしても、順序が変だ。
(現王の子供たちを通り越して、孫にあたるリオが皇太子になるんて……)
どうしたらそんなことが起こるのだろう。
もし、現王が崩御し、新しい国王が立つことになるのならば、次の皇太子にリオが選ばれることはなんの不思議もないことなのだけれども。
(……崩御……?)
ふいにその単語が記憶のどこかに引っ掛かり、アリアはなにかを思い出したように目を大きく見開いた。
(流行り病――!)
リオルートで軽く語られるだけだったそれ。
リオの両親が他界したのは幼い頃の話だったが、その後の流行り病で王族はもちろん、多くの国民が亡くなった。
その中の一人が現皇太子だったとしたら…。
皇太子が亡くなって、他に次期国王として相応しい子供がいなければ。
(そうよ!そうだったじゃない!)
と、同時に嫌な事実を思い出し、アリアの表情が見るも嫌気に歪められる。
現王は――アリアにとっても祖父にあたる人物なのだがー――政治手腕は確かな一方、一つだけ大きな欠点があった。
彼は、大変な好色家だったのだ。
そこはさすが腐女子向け18禁ゲーム。男女問わず手篭めにし、その手は後見の弱く幼ない実の孫にまで向けられた。
(リオは、国王を身体で誑かして皇太子の地位を手に入れた、って――!)
シナリオの中で、彼の叔父たちからそう卑下た笑いを向けられた場面があった。
皇太子が急逝し、国王からただならぬ寵愛を受けていたリオが皇太子に立った。
そう揶揄されていたはずだ。
だからこそ、ゲーム開始時にはすでにリオが皇太子だったのだ。
(……どうしよう……?)
これからの三年間のどこかで、たくさんの人が亡くなることになる。
それをわかっていて、見過ごすことなどできるだろうか。
(なんとかしなくちゃ……!)
アリアは意を決して顔を上げる。
窓の外には空高く登った半月が煌々と煌めいている。
(例えそれでゲームのシナリオに影響が出てしまっても……!)
頂点近くで輝く月を睨むようにして、アリアは心に決める。
やらなくてはならない。
たくさんの人たちが病に苦しむ姿なんて見たくない。
多くの人が大切な誰かを失う未来など願い下げだ。
早く三年後のゲーム開始時になってほしかった。
けれども、その前にしなければならないことが一つ。
(なんとかしてみせる……!)
月明かりを受けながら、アリアはその輝きに誓いを立てるのだった。