最大の"敵"
シオンとの気まずい関係が続く中、それを気づいていないはずのないユーリの「おねだり」に逆らうことができずに、アリアはシオンとユーリとの三人で、体力回復の為にまだ療養中のルーカスを見舞っていた。
「体調はどうですか?」
普段は避けているルーカスへと自ら歩み寄り、ユーリはルーカスが横になるベッドサイドから問いかける。
室内には、偶然王宮内で遭遇したリオとルイスも顔を覗かせて、少しだけでも人数が増えたことにアリアはほっとした表情を見せていた。
「生まれ変わったような気分だよ」
死の淵に立たされていたのだから、ある意味間違ってはいないとブラックジョークで微笑んで、ルーカスはユーリの後方で所在さなげに佇むアリアへと目を向ける。
「君の光魔法を見せてくれないかな?」
「……え?」
「まだ本調子じゃなくてね。できたら君の癒しの魔法を分けて貰えたら嬉しいんだけど」
相反する魔力の鬩ぎ合いは落ち着きを取り戻したものの、多大な魔力が放出されてまだ回復し切れていないことと、それと同時に体力も失ったことを理由にして、ルーカスはアリアへにっこりと笑いかける。
生死の淵を彷徨った後の為、薬で強制的に回復させるよりも自然治癒の方がいいだろうと見なされた結果らしいが、ルーカスの頼みにアリアは小首を傾げていた。
「……私でいいんですか?」
癒し魔法というならばリオの方が適任に違いない。けれどいくら魔法師団トップのルーカスとはいえ、王族相手にそんな願いを気軽にすることなど許されないかと思えば、アリアは自分が選ばれたことにも納得する。
「うん。君がいいんだよ」
なんとも心の内が読めない微笑みを向けられて、アリアはそれを不思議に思いつつもベッドの上に起き上がったルーカスの傍に寄る。
アリアが癒しの魔法を与えることで、少しでもルーカスの回復が早まるというのなら、アリアがそれを断る理由はない。
アリアは目を閉じ、額と胸元へと意識を集中させる。
(少しでも、ルーカスの回復が早くなりますように……)
ふわっ、と金色の光がアリアの身体から沸き上がり、仄かな暖かみを見せる癒しの魔力が、そのままルーカスの身体を包み込む。
「……うん。やっぱりこの光だ」
母親が我が子を愛しく抱き締めるような優しい光。
その優しさを噛み締めながら、やはりあの時感じた魔力の持ち主はアリアだったと確信する。
「?」
「暖かいね……」
癒しの魔法を身体に宿らせながら、きょとんと瞳を瞬かせるアリアへと、ルーカスはそっと手を伸ばす。
「……せん、せい……?」
そのまま静かに抱き寄せられて、アリアは戸惑いの色を瞳に浮かばせる。
そっと、優しく抱き締められた身体。
いつものアリアをからかうようなソレとは違い、子供が母親の温もりを求めるかのような抱擁にどうしたらいいのかわからなくなる。
「君の胎内は心地よさそうだ……」
「……え……?」
吐息混じりに洩らされたその呟きに、深い意味はない……、と思いたい。
(……えっと……?)
仄かな光を纏いつつ、アリアはいつまでこうしていればいいのかと頭を悩ませる。
(……どうしたら……?)
病み上がりで、いつもと違う様子のルーカスを突き放すこともできなくて、アリアはされるがまま身体を預けてしまう。
けれどそんな時間が長く許されるはずもなく、密着する二人の姿を見るに見かねた人物の手によって二人は引き離されていた。
「いつまで甘えてるんだよ……っ」
「……ユーリ」
ぐいっとアリアの身体を後方へと引っ張って、ユーリは威嚇するかのような表情をルーカスへと向ける。
それにルーカスは「残念」といつもと変わらない意味深な笑みを口元に浮かべると、
「誰かに嫉妬を覚えるなんて、始めての経験だよ」
沈黙を守り続けているシオンへと、挑発的な視線を向けていた。
「……」
しばし交わる二人の視線。
けれど一度目を閉ざすことでルーカスから視線を逸らしたシオンは、チラリとアリアとユーリへ視線を投げるとすぐに踵を返していた。
「……行くぞ」
もういいだろう、と退室を促すシオンへと、アリアは慌てたように声を上げる。
「で、でも……っ」
大人しく従った方がいいのだろうとは思いつつ、いくらユーリが一緒とはいえ気まずいままのシオンと居ることに気が引けて、ついつい足取りが重くなってしまう。
取るべき行動を悩むようにシオンと室内へと顔を廻らせるアリアへと、そこで「あ」と声を上げたリオからある意味救いの手が伸ばされた。
「シオン。悪いんだけど、少しアリアを借りてもいいかな?」
けれどその言葉にほっと胸を撫で下ろしかけたのも一瞬のこと。
「お祖父様から呼ばれてるんだ」
困ったように微笑んだリオの横顔に、アリアは嫌な予感が胸を満たしていくのを感じていた。
*****
ベージュを基調に、碧と金色の縁取り。頭上にはシャンデリアのようなものが輝く執務室で、アリアはこの国最高位の祖父と対面していた。
「来たか」
なんの感情も読み取れない平淡な声色と共にチラリとアリアの姿を捉え、しばしそのまま机上の紙へとペンを走らせる。
「お忙しいところを申し訳ありません」
「お祖父様に呼ばれているとお聞きして……」
きっちりと謝罪をするリオに対し、アリアは戸惑いを隠せない。
祖父と孫という関係とはいえ、その前に国王とその臣下という立場がある。
アリアの記憶にある限りでは、この祖父と二人で話した経験は皆無に等しく、いつも誰かしらがいるような状態だった。
(それに……)
ふいにこの祖父とリオの間にある"ゲーム設定"を思い出し、アリアはその身に緊張感を滲ませる。
まさか、という思いと、そうではないで欲しいという、ザラリとした不快な感覚に襲われる。
「私は忙しい。手短かに話す」
ペンを置き、リオとアリアへ視線を移した"国王"は、そう前置きをしてからすぐに本題へと入っていく。
「ウェントゥス家の子息は将来国の重鎮となる身であろうから目を瞑るとしても、いくら結果を出したとはいえ、アリアにその資格はない。あの子供に関して言えば論外だ」
「……え……っ?」
言っていることはわかるな?と厳しい目を向けられて、アリアは戸惑いに瞳を揺らめかせる。
「あの子供」というのはユーリに他ならず、目の前の祖父が咎めているのはルーカスの一件かと思えば「なぜ」という焦燥感に襲われる。
「私の目を誤魔化せると思っていたのか」
その言葉から、決してリオが自ら報告したとも考えられず、アリアはこの祖父が"国王"たる所以を思い知らされる。
"ゲーム"においては"リオルート"最大の敵。
最悪にして最大の悪癖を除けば、玉座に座る人物としては恐ろしいほど適した人物だ。
「お祖父様……」
「お前も、全て忘れるように」
実の孫娘とはいえ容赦などしない鋭い視線。
"ゲーム"の中では、リオは"皇太子"としての権限を持って動いていたが、この現実において、リオは一王族でしかない。
例外はない、と冷たく言い放つ国王へ、アリアは反論の言葉など持っていなかった。
「話はそれだけだ。時間を取らせた。アリア、お前はもう下がっていい」
「え?」
もう少し咎めがあるかと思えばあっさりと解放され、アリアは驚いたように祖父の顔を眺め遣る。
しかし。
「リオ。お前は、わかっているな?」
次にリオへと向けられた鋭い視線を前にして、アリアはごくりと息を呑んでいた。
「はい、お祖父様……」
申し訳ありません、と謝罪の言葉を述べるリオからは、なんの感情も読み取れない。
諦めも、恐怖も、抵抗も。
淡々としたそれが却って恐ろしいものに思えて、アリアはその場から離れることなどできなくなっていた。
リオがある程度自分の判断で好きに動くことを許されているのは、その代償を払っているからだ。
今まで、アリアの無茶のせいでどれだけの犠牲をリオに払わせていたのかと思えば、一気に血の気が引いていく。
「お祖父様……っ、ちょっと待ってくださいっ!」
「アリア?」
「今回の件に関しては、リオ様にはなんの咎めもありませんっ。私が無理矢理……っ!」
必死に食い下がろうとするアリアへと、戸惑いながらも優しいリオの声がかけられる。
「アリア。大丈夫だから」
「ダメですっ!」
「アリア……」
強く頭を振り、譲る様子を見せないアリアに、リオは困ったような曖昧な笑みを浮かばせる。
"誰か"を助けたくて移したリオの行動が、罪に問われる結果になるなど許せるはずもない。
誰よりも優しく、国のことを思う綺麗な従兄が。
その優しさゆえに咎を受けるなど、あってはならないことだった。
「ですから、お祖父様……っ」
リオに、犠牲は払わせない。
国の最高地位にある祖父へと挑むような眼差しを向けるアリアに、それを受け止めた国王は、面白そうな笑みを口元に刻み付ける。
「……なるほど?」
必死な様子を見せるアリアになにを思ったのか、国王はくっ、と残忍な笑みを溢して、一言「面白い」と呟いた。
「お前は私に逆らうか?」
「……そういうわけでは……」
愉しげな瞳を向けられて、アリアは言葉を詰まらせる。
けれど、唇を噛み締めつつもその瞳に湛えた強い意思だけは消すことのないアリアへと、国王は歪んだ感情を覗かせていた。
「お前は母親似かと思っていたが、それは見た目だけのようだな」
父親に似たのか。と付け足して、国王はふっと息を吐く。
「いいだろう」
それは、どんな気紛れか。
「今回の件に関しては、お前に免じて不問にしてやろう」
「お祖父様っ」
可笑しそうに笑んだ祖父へと、表面上は「ありがとう、お祖父様」と愛孫らしい微笑みを返しながら、アリアは内心安堵の吐息を吐き出した。
「今日のところは二人とも戻っていい」
けれど、ほっとしたのも束の間のこと。
「リオ。また後日だ」
(……え……)
当たり前といえば当たり前の展開に、アリアは絶望感を覚えさせられることになる。
(……助け……、られないの……?)
好色な国王とその対象者であるリオは、同じ王宮内に住んでいる。
今までも国王が望めば断る術などなかっただろうに、これで救えたと思えるなんて、自分の考えの甘さを呪いたくなってくる。
「アリア、なんてことを……」
お祖父様に逆らうなんて……、と戸惑いを見せるリオの言葉などすでに耳に入らない。
この日、この時、この瞬間。
アリアはあまりの自分の無力さに、目の前が暗くなっていくのを感じていた。