mission6-3 輝石を手に入れろ!は入手済み?
一時ほど前からは打って変わって規則正しい静かな呼吸に胸を上下させているルーカスを見つめて、リオはこれからすべきことを思案する。
まずは医師を呼び戻し、ルーカスの状態の確認と、それから……、と考えていたところで、ベッドの上へ投げ出されていた手がぴくりと反応を示したことに気づいて顔を上げる。
「……師団長……?」
反応は反射的なもので、失った体力を取り戻すためにもまた眠りにつくかもしれないと、そっと口にした呼びかけだったが、それに対してゆっくりと目を開けたルーカスは、顔だけをリオの方へと向けて小さな苦笑を漏らしていた。
「付き添いが王族の君だなんて光栄だね」
自分の特異性を考えれば王宮に匿われることは当然として、けれど側にいるとしたならば、それは医師か同じ魔道師だろうと示唆するルーカスの言葉は的を射ていて、リオは柔らかな微笑みでそれに応えて見せる。
「偶々、です」
ただ、リオがここにいることと、自分の内に起こった変化を考えれば自ずと見えてくるものがあって、ルーカスは辺りへと視線を巡らせる。
「……もう一つ気配があった気がしたけど」
酷い苦しみに苛まれ、その間の記憶は全くないと言っていい。
けれど、やっと落ち着いた眠りの中で、確かに別の気配を感じた気がして、ルーカスはまだ力の入りきらない指先を己の胸元へと当てていた。
「……これは、あの子の魔力の名残かな…?」
魔力には、一人一人別の色や波形がある。
常人ではわからないであろうソレも、ルーカスならば視ることができる。
自分の中に残された魔力の欠片は、どことなく覚えのあるもので、ふと浮かんだ少女の姿にルーカスはその優しい光を確かめるように目を閉じる。
「こんなに暖かい魔法は初めてだ……」
心と身体と、精神と肉体と。全てがバラバラに引き裂かれるような苦しみの中、ほんの一時だけ自分の中を満たしたヒカリ。
それはきっと、本当に一瞬のことだったけれど。
「……母親に守られた子宮の中って、こんな感じなのかもしれないね」
噛み締めるように呟いて、ルーカスはくすりと自嘲気味の笑みをリオへと向けていた。
「本当は抱かれているのは男の方かもしれない、って思わされたよ」
それは、数えきれぬほどの浮き名を流してきたルーカスだからこその発言。
受け入れ、包み込み、優しく癒す。
本当に「抱いて」いるのは、男性ではなく女性の方なのかもしれない。
「それは……妬けますね」
あまりに愛おしげに呟かれた台詞は咎めることも難しく、リオは僅かに目を見開いた後、小さく微笑み返す。
「抜け駆けした気分だね」
"誰か"の優しさに包まれて、守られて。
いつまでもそのぬるま湯の中で揺蕩うていたくなるような甘美さがそこには在った。
母親の温もりなど知らないが、もしかしたらこんな感じなのかもしれないと思う。
安心しきって、生まれたての赤子のようにそのまま眠ってしまいたくなるような。
「ユーリといい、あの子といい、本当に不思議な子だね」
出逢いはアリアの方が先ではあるものの、定期的に魔法指導をしているユーリと違い、アリアとは個人的な付き合いはあまりない。
ただ、未知数の力を宿した、ルーカスの興味を惹いて止まない対象者から、よくその名を耳にする少女。
一見しただけならば、ただ美しく綺麗なだけの令嬢だが、少しでも接してみればすぐにわかる、強く真っ直ぐな意思を湛えた澄んだ雰囲気。
傍にはいつも彼がいて、簡単に近づくことすら許されない。
一度触れたら離せなくなるかもしれない恐怖に、彼は気づいているのかもしれない。
「この年で初恋とかは御免なんだけどね」
それは本当に勘弁して欲しいと呟いて、ルーカスは気だるい身体が求めるままに、再度眠りについていた。
*****
どこまでも赤い絨毯が続く王宮内の廊下を歩いていたアリアは、ふいに現れた黒い影にびくりと肩を震わせる。
けれどそれがよく見知った顔であることに気づくと肩の力を抜き、けれど、ふいにフラッシュバックしてきた昼間の出来事に思考を囚われると羞恥に顔を赤らめていた。
「シオン……」
激動の出来事に今の今まで忘れていたが、いっそ忘れたままでいたかったと、アリアはあまりの動揺からすぐさまこの場から逃げ出したい気持ちに駆られてくる。
だが、正面に立つシオンから流れる空気はどちらかと言えばピリリとした張り詰めた雰囲気で、その緊張感にアリアはまた別の動揺を浮かばせる。
「……助かったのか」
なぜそれを、という驚きも浮かぶが、それと同時にシオンならば気づいていて然るべきだなという納得もしてしまう。
「……いや、違うな」
そして、なぜか否定されたその言葉に、その先を聞いてはならないという警告音が頭に響く。
「……救った、のか」
「……っ」
静かに告げられたその低音と真っ直ぐ向けられる視線から逃れられる気がしない。
「最近肌身離さず持っていたアレはどうした?」
見透かされてる。
アリアが最初からルーカスを救うためにあの洞窟へと足を踏み入れたことも、そこから輝石を持ち帰ったことも、なにもかも。
シオンは全て、気づいている。
「……お前は、なにを知っている?」
犯人を問い詰める探偵のような鋭い瞳に、反射的にギクリと肩が震えた。
言い逃れは許さないと、アリアを捕らえて離さない厳しい双眸。
「アリア」
低音に、喉が急速に乾いていく。
ドクドクという心臓の音が煩くて、なにも耳に届かなくなってくる。
「……お前は、何者だ?」
シオンから成されたその問いかけは、むしろ遅すぎるものかもしれない。
シオンはきっと、とうの昔から気づいていた。
気づいていて今まで口にしなかったのは、単純に興味がなかったからか、それともシオンなりの優しさか。
返されることのない答えに、シオンは一つの推測に行き当たる。
「……まさか……、……"予知能力"、か……?」
「……え……?」
思いもよらぬ追求に思わず拍子抜けしたような気分にさせられるが、むしろ話はもっとスケールの大きなものへと変わっていく。
「それならばお前は、女王の地位すら望める存在になる」
歴史上、"予知能力者"と称される存在がいたことは、古い文献から見て取れる。
この国の創設者と吟われる初代女王と、その子孫に当たる遠い遠い過去の国王。
アリアは元々王女でもおかしくない王家の血筋を引いている。
伝説にも近い過去の王と同じ能力があるというのなら、それが露見した時にはアリアを「女王」に担ぎ上げる勢力が出たとしてもなんら不思議はないことだ。
「……なにを言って……」
アリアが常に先の"シナリオ"を見越して動いていたことがそんな推測に繋がるのかと、アリアは唇を震わせる。
確かにアリアは、起こる未来を知っている。
けれどそれは、先見の力などでは決してない。
「……違う」
震える声で、アリアは懸命にシオンの言葉を打ち消しにかかる。
「……違うの……。……ただ、私は……」
知っているだけ。
未来ではなく、過去の記憶があるだけだ。
「……オレたちの関係は"偽装"だろう?」
それを言い出したのはアリアの方だ。
「なぜ、そんなことを提案した?」
遡るのは、出逢いから。
その時からアリアは、今この時までの未来を見越していたというのだろうか。
ならばこの"婚約"にはなんの意味があるのかとさえ思う。
「……ちが……っ」
シオンとの婚約すら企みの一つかと言及され、思わず泣き出しそうになってしまう。
"シオンとユーリが結ばれるまでの過程をすぐ傍で見たい"
確かに動機は不純で、それを「企み」と言われてしまえばそうかもしれない。
けれど。
今までシオンとの間に築いてきた関係が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのを感じる。
ここで、答えを間違えれば。
裏切るようなことをすれば。
もう、取り戻せない気がする。
「"予知能力"なんて……、そんな大それた力、持ってない……」
それでも未来の危機を知ることを、どうすれば伝えることができるだろう。
「信じて……」
確かに傍にいたはずの存在が、遠いものになっていくような錯覚に襲われて、アリアはただただ祈るように言葉を紡いでいた。
「お願い……」
そんな、二人から完全に死角となった廊下の奥。
その話を遠くから聞いている影があったことを、この時の二人は、
――まだ知らない。