黄昏 ~誰ぞ、彼と。~
(……なにかしら……?)
この違和感。と、一歩先を並んで歩くシオンとユーリの後ろ姿を見つめながら、アリアはどうにも拭えない疑問符に眉を寄せる。
最低限の返事しか返すことのないシオンと、そんな素っ気ないシオンの態度など気にすることなく笑って話を続けているユーリの姿はいつもとなんら変わらない…もののように見える。
(でも、なにか……?)
たいした会話が交わされているわけではない。
一方的にユーリが話しかけ、シオンがそれに相槌を打つ。必要最低限の応答しかしないシオンは、けれどきちんとユーリの話を聞いている。
いつもと同じ。今までとなにも変わらない。
(と、思うのだけれど……)
なにか、どこか、空気が違う気がする。
"ゲーム"とは違い、この現実世界では、ユーリは驚くほどシオンに懐いている。それこそ人懐こい仔犬のような纏わりようだ。それを、基本的に人を寄せ付けないシオンも、特に追い払う様子もなく好きにさせている。
それが、現実での二人の関係図。
その、二人の間に流れる空気が。なにか、今までと違う気がした。
具体的にどこがと聞かれてもわからない。
(ただ、なんとなく……)
別段アリアの期待しているような甘い空気が流れているわけではない。強いて言うなら、より一層ユーリのシオンに対する態度が遠慮がない気がするというか、今まで以上にそんなユーリを放置しているというか。
(なにかあったの……!?)
悶々とするアリアの"腐女子"の勘はさすがに鋭いのかもしれないが、それを二人へ問い質すことができるはずもなく、アリアはただただ想像に身悶えるしかない。
そしてそんなこんなとアリアが一人考察を深めている間にも、三人は目的地へと辿り着き、シオンの音にならない溜め息が漏らされる。
ココン……ッ、と、扉をノックするかしないかのタイミングで、
「来たね」
音もなく扉が開かれる。
学園内に自動ドアなどあるはずもないから、それは来客を察して発動された部屋の主の魔法によるものだろう。
「ルーカス先生」
相変わらず変なところでも魔力を愠んなく発揮しているなぁ、と感心しつつ、アリアはユーリの後に続いて室内へと足を踏み入れる。
「お邪魔します」
「また珍しい客人だね」
恐らくユーリ以外の客人の存在など気づいていただろうに、部屋の中央で大袈裟に驚いてみせるルーカスへと、アリアはにこりと微笑みかける。
「すぐにお暇させて頂きますけど」
ユーリが定期的に通っているルーカスの魔法指導の日が今日だと聞いて、アリアが同行を願い出たのはそれこそ今日の出来事だ。
基本的に同席しているというリオが今日は予定があって遅れて来ると聞いたこともある。だが、アリアには、個人的にルーカスに会っておきたい理由もあった。
「お変わりないですか?」
「うん?」
傍で睨みを利かせるシオンの視線など気にすることなく、アリアの髪先に指を伸ばして、ルーカスは柔和な笑みで首を傾ける。
「美人三人に会えて嬉しいよ?」
その指先を、容赦ないユーリが叩き落とすのも気にすることなく、ルーカスは相変わらずの妖艶な微笑みを浮かべている。
ルーカスの目から見ればシオンすら「美人」の一言に収まると思えば、苦笑いする他なかった。
「だから来なくていいって言ったのに」
「だから来たんでしょ?」
王族のリオがいない今、ルーカスは人目を憚ったりしないだろう。
"ルーカス×ユーリ"ももちろん"美味しい"けれど、それを理由に同行したアリアへと、ユーリは少しだけご立腹の様子を見せる。
「リオ様もすぐに来るって言ってたし」
「だからリオ様が来ればすぐに帰るわよ」
外聞的には、ユーリをルーカスと二人きりにさせられないと同行を願い出たアリアと、そんな二人をルーカスの元にやれないと考えたのか、明らかに気乗りしなそうな様子で付いてきたシオンだ。
「相変わらず美人双子姉妹は目の保養だね」
「姉妹じゃない……っ!」
ユーリの「美少女」ぶりは認めるが、どこをどう見たら「双子」になるのか、アリアは未だに時折ルーカスの口から出されるその単語の意味がよくわからない。
「どうしてそういつもいつも……っ!」
「明日どうなるかわからないんだから、一瞬一瞬を楽しまなくちゃ損だろう?」
(……あ…………)
その言葉に、アリアの瞳へと動揺の色が走ったのを、誰かが気づくことはない。
がるる……と威嚇でもしているようなユーリの毛の逆立てぶりに、シオンが大きく肩を落とす。
「……さっさと始めたらどうだ」
時間が勿体ない、と、魔法修行を促すシオンの呆れたような嘆息を聞きながら、アリアは落ち着きを取り戻そうと大きく深呼吸していた。
*****
無事に「神剣」を手に入れて、アリアが思いを馳せるのは、もちろん次の"イベント"だ。
次の"イベント"にはルーカスが大きく関わってくる。バッドエンドも存在したり、"ルーカスルート"を選ぶのであれば、ここでルーカスとの関係が決定的にもなってくる重大"イベント"だ。
(とりあえずはまだ、大丈夫そう……)
ソレが具体的にどのタイミングで起きるのか、そこまで詳しいことは覚えていない。けれど、いつどんなタイミングでソレが起きてもいいように、アリアは身構えつつもとりあえずの安堵の吐息を漏らしていた。
「結局付き合わせちゃったわね」
ごめんなさい、と申し訳なさそうに謝罪して、アリアは階段を昇っていく。
結局あの後、大分遅れて来る結果となったリオを待つ間、せっかくだからとユーリと一緒に魔法指導を受けさせて貰えることになっていた。
「まぁ、いい鍛練にはなった」
相変わらずアリアが魔法の戦闘訓練をすることには多少の抵抗が伺えるシオンは、諦めたような吐息をつきつつ、それでも自分の腕が研かれていくことに関しては単純に喜ばしく思っているように見える。
日は傾き、窓からは眩しいくらいの西陽が射し込んでくる。
アリアたちのいる階段もすっかり茜色に染まり、もう誰もいる気配のない学校は静まり返っていた。
それでも物哀しさよりも仄かな温かみの方が勝っているのは、ロマンチックとも言える夕方のこの雰囲気に、自然と柔らかな微笑みが浮かんでしまうからかもしれない。
(綺麗……)
階段の踊場へと射し込む陽の光はまるでステンドグラスのような美しさを感じさせて、気づけば階段に足をかける速度がゆっくりになってしまう。
一瞬しか見られないであろうこの光景を、いつまででも見ていたい心地にさせられる。
「……アリア?」
止まりかけるアリアの足に、すぐ後ろを歩いていたシオンがぶつかりそうな距離感で眉を寄せる。
「……え……っ?」
その低音に、アリアが驚いたように振り返った、その瞬間。
普段ならば頭一つ分以上高い位置にあるはずのシオンの顔が、階段の段差ですぐ目の前にあった。
キラキラと輝く陽の光が降り注ぐ中。
――……唇が、重なっていた。
「……」
「……」
(……え……?)
唇に柔らかな感触を感じたまま、アリアは時を止める。
目の前には、睫毛の数すら数えられそうな至近距離で綺麗なシオンの顔がある。
反射的に、手摺を掴んでいた指先がぴくりと震えた。
時間にすればほんの数秒の出来事だっただろう。
けれど永遠にも近く感じられたその時間は、とてもゆっくり離れていったように思えるシオンによって終わりを告げた。
「……アリア?」
シオンにしてみても不意打ちの出来事だったに違いない。
珍しくも驚いたように見開かれた瞳が近距離からアリアを見下ろして、こちらも手摺にかけられた指先に力が籠る。
(……い、今……っ!)
はっとして、今の感触を確かめるかのようにアリアは自分の唇を片手で覆う。
確認し、自覚して、かなりの時間を要してから、アリアの顔へと熱が籠っていく。
(……うそ……)
完全に事故のようなものだ。
けれど確かに感じたシオンの唇の感触に動揺は隠せない。
言葉を失い、顔を赤く染めたままただその場に立ち尽くしているアリアになにを思ったのか、シオンの空いた片手が、唇に添えられていたアリアの手をそっと外した。
「……シオン……?」
羞恥に潤んだ瞳が、なんの警戒心もなくシオンの顔を見上げてくる。
アリアの手を下へと下ろしたシオンの手は、そのままアリアの細い腰を支えるように添えられて、アリアの顔に陰が差す。
自分を真っ直ぐ見つめてくる真摯な瞳に縫い止められたかのように、アリアはシオンの顔から目が離せなくなる。
(……やっぱり綺麗……)
茜色の世界の中、夕の光を浴びたシオンの姿は非現実的すぎて、アリアは夢心地でただただシオンに思考を奪われる。
ゆっくりと、吐息がかかるほどの距離まで近づいてきたシオンの顔に。
少しだけ力の籠った、腰に添えられた手の感覚に促されるままに、自然と瞼が閉じられていく。
今度はきちんと意思を持って唇が重なりかけた時。
「シオン……!アリア……!」
まだいる!?
と、切羽詰まったユーリの声が階下から響いてきた。
「ルーカス先生が……っ!!」
倒れた、と。
静寂を切り裂いたその叫びは、平穏の終わりを告げる鐘の音。