小話 ~低温火傷にご注意を。~
『……オレ、昔、お前に会ってない?』
ユーリがシオンへとそう問いかけるのは、どこでの出来事だっただろう。
"ゲーム"では、これをキッカケにユーリの気持ちがシオンへと傾いていくのだが、この"現実"でそれがどんな働きかけをするのかはわからない。
アリアが見ている限りでは、二人の間に変化はない。
それは、まだユーリとシオンが過去の思い出話をしていないからなのか、それとも話した上でなにも変わらなかったという結果なのかはわからない。
(気になる……っ!)
なんら変わった様子のない二人を眺めながら、アリアは一人悶々と自問する。
気になって仕方がないが、二人だけで成される会話を聞く権利はアリアにない。
ただ、二人の間に少しでもなんらかの変化がないかを神経を尖らせて見守ることだけが、アリアに許された唯一のことだった。
「最近ユーリはよくリオ様のところに行っているのね」
天気のいい昼休み。久しぶりにお弁当を持参したアリアは、シオンとユーリ、セオドアを誘って中庭でピクニック気分を味わっていた。
一応、普段は仲良くなったクラスメイトたちとランチをしているのだが、今日はルークが顔を出すというのでわざわざ外で食べやすいおにぎりやサンドイッチなどを作ってきたのだ。
「あと、ルーカス先生。あんなでもやっぱり優秀だし」
ここ最近ユーリが魔法習得のための努力を始めたことを知ったアリアの問いかけに、もぐもぐとおにぎりを頬張りながら、ユーリが物言いたげに眉を寄せる。
「あんな、って……」
「まともに魔法が使えるようになればわざわざ近づいたりしない」
苦笑いをするセオドアへと可愛い顔を益々しかめて、ユーリは最後の一口をお茶で流し込む。
"ルーカスルート"であれば、倦厭しながらも魔法の教えを乞う間に少しずつユーリの警戒も解かれていくのだが、その様子を見る限りは今のところそれはなさそうだなとアリアは思う。
むしろできることならばアリアもルーカスに魔法指導を願いたいところだが、リオから直々に頼まれたユーリと違い、アリアが個人的に接触を取ることは難しいだろう。
「リオ様にはホントに感謝しかない」
「きっとリオ様も喜んでるわよ」
あくまでアリアの"推し"は"シオン×ユーリ"と"ルイス×リオ"だが、リオを敬愛する身としては、ほどよくユーリとも交遊を深めて欲しいと思う。
心許せる主人公の存在は、リオにとって必要不可欠なものであろうから。
ユーリは迷惑をかけていると恐縮しているが、リオにとってもユーリと過ごす一時は心癒される時間に違いない。
「アリアの話、よくするよ」
「……え……?」
とても無邪気なユーリの笑顔に、アリアは不意を突かれたように目を瞬かせる。
「アリアが無茶ばっかりするから」
いつも気にかけているのだと言われて、申し訳ないという思いでいっぱいになってくる。
責任感が強く優しい従兄は、"誰か"が傷つくことにいつも心を痛めているのだから。
と。
「シオン様……っ!」
辺りに響いた高い声に、途端ユーリの顔がしかめられる。
「……出た」
そこには、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくるリリアンの姿。
一緒に来たのか偶然なのか、その後方には苦笑いをしたルークもいて、リリアンに気づかれないよう仕草だけで必死に謝罪の意思を示していた。
「なんですかっ、それ。人をお化けみたいに」
「似たようなもんだろ」
「どこがですか……!」
早速言い合いを始めるリリアンとユーリに、その争いの渦中にいるはずの人物は、素知らぬ顔で読書を続けている。
「……とりあえず二人共座ったら?」
相変わらず犬猿の仲の二人を宥めつつ、アリアはリリアンとルークをお茶に誘う。
「あっ、美味しそうですね」
すでに大半減ってしまった籠の中を覗いたリリアンが目を煌めかせ、その反応に思わず口許が綻んでしまう。
「よければ食べる?」
「いただきますっ」
言うが早いがアリアの正面に座ってサンドイッチへと手を伸ばしたリリアンに、自然と笑みが溢れ落ちる。
「ルークもどう?」
「ありがとうございますっ」
自分が作った料理を喜んでる食べて貰えることは単純にとても嬉しい。
多めに作ってきて正解だったと思いながら、アリアはセオドアとルークへと顔を向ける。
「それでルーク。今日はどうしたんだ?」
「ここ最近いろいろあったんで。ちょっと真面目に勉強しようかと」
"勉強"というのは魔法のことに他ならない。
家庭教師に基礎と実技を習うのもいいが、独学でもしてみたいことがあるらしいルークは、リリアンの父親に口利きをして貰って学園の図書館で魔道書を借りようとしたらしい。
国内トップクラスの魔法学校だけのことはあり、この学園の図書館はかなり立派なものだ。けれどわざわざここの図書館を選んだのは、ユーリに会うための理由作りもあるのではないかと思う。
そしてそれを聞き付けたリリアンが、シオン目当てにルークへ同行したとしても、ルークにそれを止める術はないだろう。
「少しは遠慮しろよっ」
昼食を取らずにやってきたのか、思いの外食が進んでいるリリアンへとユーリが仔犬のように見えない毛を逆立てる。
そんなユーリへぴたりと動きを止め、リリアンはじっとユーリを見つめると、なぜかチラリとアリアとシオンへと視線を投げた後、じとりとした瞳を向けていた。
「ていうか、もしかしてユーリ様、好きなんですか?」
「……なん……っ!?」
「だから、私が邪魔なんですか?」
「……なに言っ……」
「そーゆーの、ナンセンスだと思うんですけど」
ふー、やれやれ、と、音にするならばそんな風に大袈裟なくらいの態度で溜め息を洩らすリリアンに、アリアは目を丸くする。
(どういう意味……っ!?)
やはりリリアンは、恋する乙女の勘というものでシオンとユーリのただならぬ関係に気づいているとでもいうのだろうか。
(やっぱりそうなの…!?)
アリアが気づいていなかっただけで、二人の仲は発展していたのだろうか。
だとしたならば、これ以上嬉しいことはないのだけれど。
「だったら丁度いいじゃないですか!協力し合いましょう!」
「なに言ってんだよっ!」
一人興奮して頬を赤らめているアリアになど気づく様子もなく、エスカレートしていく二人の言い合いに、セオドアが乾いた笑みを浮かべている。
「……くしゅ……っ」
「……風邪か?」
けれど、隣でルークが一つ大きく身体を震わせたのに気づいて、セオドアは心配そうに口を開いていた。
「それなりに冷えたからな」
先日の、洞窟での水浴びのことを言っているのだろう。
「風邪はひき始めが肝心だからな」
気を付けろよ?と眼鏡を押し上げるセオドアの言葉に、ユーリが反応する。
「風邪?」
くるりとルークの方へと振り返り、すぐ傍まで近寄ると、コツン、とおでこ同士を接触させる。
「熱はなさそうだけど……」
「ユッ、ユーリ……ッ!」
そういえば、ユーリに対しては呼び捨てなんだな、などと、真っ赤になって慌てるルークを見ながら妙に冷静に考える。
「え?」
近すぎる顔。
さすがにいきなりのこの距離感は不躾だと思ったのか、慌てて後ろへと飛び退くとユーリもまた可愛らしい顔を赤く染めていた。
「わっ、悪い……っ!」
母さんがいつもこうするから……っ!と、スキンシップが好きな母親の癖を言い訳にして気まずそうにおずおずとするユーリの姿に、アリアもうっかり顔を赤らめてしまう。
あくまで"シオン×ユーリ"は譲れないが、それでもこんな、ユーリと対象者との"萌えイベント"は素敵すぎて黄色い悲鳴を上げそうになってしまう。
(かっ、可愛い……っ!)
お互いゆでダコ状態で俯くルークとユーリの姿が可愛くて、顔だけは冷静に微笑みながら、そんな二人をじっくり観察してしまう。
けれどそんな微笑ましい光景も、空気を無視して割って入ったリリアンに、すぐに違うものへなってしまっていた。
「というか、そもそもセオドア様がいけないんですからね!?」
突然話を振られたかと思えば叱責され、セオドアは一体なんの話だと若干リリアンと距離を取りながら身構える。
「セオドア様とアリア様のご両親は親友同士なのでしょうっ?」
ずずいっ、とセオドアへと迫り、リリアンはぷくぅ、と頬を膨らませる。
「私、アリア様はてっきりセオドア様と婚約するとばっかり」
だから油断した、と、ある意味一番警戒しなければならない相手を除外してしまっていたのだとリリアンは悔しそうに口にする。
「それがまさかシオン様と、なんて……。完全にダークホースですよっ!」
だから責任取ってくださいっ、と据わった瞳で責められても、セオドアからしてみればとんだお門違いもいいところだろう。
所詮上流貴族の婚約など家同士の問題で、本人たちの意思とは全くの無関係なのだから。
「いや……、そんなことを言われても……」
なぜか仄かに顔を赤らめながら口ごもるセオドアに、言いたいことを言って一応の気が済んだのか、リリアンはアリアが用意しておいた飲み物を一気に傾ける。
「リリアン様……」
相変わらず揺るぎないなぁ、と、苦笑しながらもアリアなどは感心してしまう。
裏でこそこそしているよりは、リリアンのように正々堂々と宣言してくる方がよっぽど小気味よくて気持ちがいい。
「……飲み物貰ってもいいか?」
そうして今までずっと一切会話に加わることなく、膝を立てた格好で書物に目を落としていたシオンから声をかけられ、アリアは飲み物を用意しようと手にしたカップを床に置き……、と、正確には置こうとして、
「わざわざ淹れなくていい」
「え?」
手に触れた感触に、アリアは思わず顔を上げる。
アリアの手ごと、シオンの口元へと運ばれる飲みかけのカップ。
元々少量しか残されていなかった中身を全て飲み切って、シオンはあっさり手を離すとすぐに読書へと戻っていく。
「~~~っ、シオン様……!?」
その様子を一から十まで全てみつめて、怒りからか羞恥からか顔を赤らめて涙目になりかけたリリアンが声を上げるも、シオンが気にする様子はない。
(……なにこれっ、天然なの……!?)
相手が自分であるということを差し引いても、流れるように成された行為の一部始終にうっかりときめいてしまう。
なんといってもシオンは"アリア"の"一推しキャラ"だ。手の届かない"アイドル"からファンサービスを貰ったような心地で、思わず心臓がドキドキと高鳴ってしまう。
恐らく、シオンはなにも考えてなどいない。
アリアとは反対側にいるユーリのカップの中身が残っていれば同じことをしていたのではないかと思うくらいには、本当になにも気にしていない気がする。
とはいえ、リリアンやセオドアにも同じことをするかといえば決してしないであろうこともわかるから、それだけ自分が信頼されているのかと思えば、じんわりとした喜びに胸が満たされていくのを確かに感じる。
とはいえ、手にしたままの返された空のカップへと目を落とし、アリアはどうしたものかと思わず頬を仄かに赤らめてしまう。
例え"アイドル"からのファンサービスだとしても、このまま口をつける勇気はアリアにはない。
どうしたものかと悩みつつ、手離すこともできなくて、アリアはコップを持つ手にぎゅっと力を入れていた。