mission5-2 迷宮を攻略せよ!
(……さすがシオン……)
思惑通り左の道へと進むことができたアリアは、付かず離れずの距離で半歩前を歩くシオンの端整な横顔を眺めながら、心の中で感嘆の吐息を洩らしていた。
実際に来てみればどこか覚えのある光景などからスムーズに攻略できると思っていたのだが、現実はそれほど甘くはないのだと思い知らされたのは、シオンと2人で左の道を歩き始めてすぐのことだった。
(……さすがにこんな細かいところまで覚えていないもの……!)
一体誰に向かっての言い訳なのか、思わず心の中で叫びながら、なんとなく泣きたくなってしまう。
詮索を始めてすぐに現れた、行く手を阻む鋼鉄の扉。どうやら4桁のパスワードが必要らしいが、そんな数字まで覚えているわけがない。せいぜい記憶にあるのは、「そんなこともあったような」くらいのものだ。
近くにある、0から9までの数字が刻印された謎の石が4種類。それを順番に並べることが扉解錠の条件だったが、シオンはあっさりそれを解いて見せた。"ゲーム"では"プレイヤー"がしなければならない謎解きだが、"現実"ではなにもアリアが解く必要はない。
いわゆる"ナンプレ"的問題だったのだが、謎の数字の羅列を前に"解き方"だけ誘導すれぱ、シオンがその暗号を解くのはものの数分の出来事だった。
その後もそんなことが二度ほどあり、今の状況へと至っている。
「……よかったの?」
決して明るいとは言えないものの、辺りを見回しながら歩く分にはなんら差し支えない蒼い光の人工的な迷路の中で、アリアはその背中へと問いかける。
「なにがだ」
「……ユーリ」
チラリと視線を投げただけで、辺りに危険はないか警戒しながら先へ進むシオンへと、アリアは曖昧な笑みを貼り付ける。
アリアを頼むとリオから直々に頼まれれば、仮にも臣下となるシオンに拒否権はない。けれどユーリも一緒にこちらへ加わることは可能だったと言い含めば、シオンは小さく肩を落として嘆息していた。
「なにをしでかすかわからないのが2人もいたら身がもたないからな」
完全に嫌味の声色でそう返され、アリアは「う」と息を止める。
"未来"の悲劇を回避すべく動いているアリアと違い、ユーリは完全直感型の、即行動派だ。とはいえ、冷静なシオンからしてみればその違いに大差ないと思えば、ぐうの音も出なくなる。
万一そんな2人が別々の行動に出た時には体一つではとても対応などできない。
自分のせいでシオンとユーリを引き離す事態になってしまったことに、アリアは自分の迂闊さを反省すると共に謝ることしかできなかった。
「……ごめんなさい」
「なにを謝る」
半歩先を行くシオンの反応は淡々としたもので、アリアは唇を噛み締めると先の言葉を言い淀む。
「だって……」
ここで、口にしてしまっていいのだろうか。
けれど、聞いてみたいという欲には逆らえず、アリアは不安定に瞳を揺らめかせながらおずおずと口を開く。
「……ユーリ……、じゃないの……?」
曖昧な尋ね方をすれば、聞かれたくない内容ならばシオンも答えることはないだろう。
けれど、アリア自身どんな答えを望んでいるのかわからないまま成された問いかけに、シオンはぴたりと足を止めていた。
「……いつから」
気づいていた、と、真っ直ぐ視線を向けられて、明確な質問が返ってきたことに逆に驚かされる。
「いつから、って……」
なんとなく、言ってはならないことを口にしている気がするのはなぜなのだろう。
「……初めて会った時に聞いたじゃない」
妙にうるさい心臓の音に、緊張感から思わず震えそうにさえなりながら、アリアは弱々しい瞳を向ける。
――『もしかして……、貴方には他に想う方がいるのではないかと思って』
「……」
アリアの顔を真っ直ぐ見つめ、そのまま口を閉ざしたシオンの沈黙に、アリアはやはり聞くべきではなかったと酷い後悔に襲われる。
誰かが心に秘めた想いを、他人が勝手に暴いていいはずがない。
幼い頃の2人の思い出は、2人だけの秘密にしておくべきだったのに。
「……なぜ」
アリアの感覚としてはとても長い沈黙が降りた後、どうしてソレに気づいたのかと口にされた問いかけに、とても後ろめたい気持ちになって、アリアはシオンから目を逸らす。
「……なんとなく、なんだけれど……」
知り合いじゃないのかと、尋ねたことがあった。
あれすら今となっては聞かなければ良かったと思う。
洞察力の優れたシオンには、誤魔化しなど効かないだろう。
「……アイツは男だぞ?」
なにかを確認するかのように向けられた問いかけも、意味など成さないことはきっとシオン自身もわかっているのではないかと思う。
男だとか女だとか、そういったことは関係ない。
「……ユーリはとても魅力的だもの。性別なんて関係なく惹かれるのはわかるわ」
やっぱりシオンはユーリが好きで。ユーリは今はまだシオンと同じ想いに至っていないものの、確実に好意を持っていることだけはわかる。
それを思えば手離しで喜んでいいはずなのに、シオンから醸し出されるこの空気はなんだろう。
「……お前こそ……」
そしてシオンが、神妙になった雰囲気の中でその重い口を開きかけた時。
カラ……ッ、と石かなにかが転がった音がして、2人はハッと我に返ると音の響いた奥の方へと顔を向けていた。
「突き当たり……?」
少しだけ歩を進め、そこで消えた先の道に、シオンが「外れか?」と眉を寄せる。
光苔と、壁一面を覆った長い蔦。珍しい光景ではないが、アリアはこの奥があることを知っている。
(ここだわ……!)
拳大の岩に埋め尽くされ、蔦の這う壁面を見つめてアリアは確信する。
この先にあるものが、この地下迷宮におけるアリアの目的の一つだった。
(どうか手に入れられますように……!)
"ゲーム"では、この時点でこの場所へ辿り着けたとしても、ただ引き返すだけとなる。そもそも選択肢が出ないのだから、"プレイヤー"にそれ以外の自由はない。けれど、"現実"は違う。選択肢以外の行動を取ることが可能なのだから。
祈るような気持ちで、試しに蔦を引いてみる。すると、岩石と共に壁が剥がれ落ちていき、その向こうに空間が存在していることがわかる。
「この向こうになにかあるのか……?」
隙間から僅かな風を感じたシオンが、小さく空いた穴から奥を覗き込む。
そこには、さらに奥へと続く"洞窟"が。
「少し離れてろ」
そうして言われるままに二、三歩後退すれば、シオンは掌に生み出した風の力で蔦と岩石の壁へと大きな風穴を作っていた。
(なんかちょっとルール違反な気もするけど……!)
完全に力業となった展開に、アリアの記憶の中の流れもこんな風だっただろうかと焦ってしまう。この迷宮の攻略に至っては、本当に記憶が朧気だ。
それでもただ一つ確実なことは、「神剣」を手に入れた後、この洞窟の奥にあるとあるものが必要とされるということだけだ。
「……気をつけろ」
蒼い光に囲まれていた硬質な迷宮とは雰囲気が打って変わり、完全に光のない岩壁となった"洞窟"へと足を踏み入れながら、シオンがアリアへと手を伸ばしてくる。
「大丈夫よ」
なんとなくその手を取ることは躊躇われたが、断る正当な理由も見つからなかった為、仕方なくその過保護を受け入れたアリアはシオンと手を繋いでいた。
互いに空いた手で明かりとなる光源を生み出して、慎重な足取りで奥へ奥へと進んでいく。
なにもない一本道を、どれくらい進んだだろうか。
ふいに曲がった道の奥からキラキラとした輝きが漏れてきて、その光景にさすがのシオンも目を見張っていた。
「なんだここは……」
壁一面に宝石が埋まっている、とでも表現すればいいだろうか。
空間認識そのものが魔力で捻曲げられてでもいるのか、頭上高くからも眩しいほどの光が降り注ぎ、まるで"シャボン玉"のような虹色に輝く球体が数え切れないほど浮かんでいる。
赤、青、黄色、緑……、と、キラキラと輝く壁面と、空高くから降り注ぐ眩い光。
"ゲーム"ではなく現実となって現れた幻想的なその世界にアリアもまた息を呑み、空に浮かぶ虹色の球体を見上げていた。
(私の祈りで届くかしら……?)
手に入れたいのは、"シャボン玉"の中から現れる、角度によって色の変わる、虹色に輝く六角形の"魔石"。
"ゲーム"ではもちろん、ユーリの祈りによって手に入れたもの。
今のアリアに、あの時のユーリほどの強い祈りがあるかどうかはわからない。
縋るような思いで空を見上げ、アリアは形だけでも指を組み、神に祈るように目を閉じる。
(どうか、この先の未来が、光溢れますように……!)
今のアリアの切なる願い。
"ゲーム"通りに「神剣」を手に入れた後にここへ来ることも可能だろう。けれど、苦しむ時間は一秒でも少ない方がいい。 万が一にも手遅れになどならないように。
それだけを願って、アリアはここへ来ることを決めた。
(届いて――!)
ふわふわと、彷徨うように降りてきた一つの"シャボン玉"。
目の前でふわりと輝いたソレへと、掬い留めるように恐る恐る掌を向ければ、シャラン……ッと音にならない音で弾けて、アリアの手の中へとその中身がふんわりと降りてきた。
(……届、いた……)
手の中で確かに輝く七色の光に、思わず泣き出しそうになってしまう。
"主人公"でもない自分は、いくら光魔法に長けているといっても、高確率でダメなのではないかと思っていた。そもそも、コレが必要とされる事態に陥ってすらしない。
それでも。
(よかった……っ)
アリアの願いを受け入れてくれた"神様"に、感謝せずにはいられない。
掌にコロン…と転がった小さな魔石を胸に抱き、アリアはぎゅっと目を閉じる。
(これで、救える……!)
「……ソレが欲しかったのか?」
と、ふいに聞こえた低い声に現実へと引き戻され、アリアはびくりと肩を震わせる。
(……どうしよう……!)
一体なにをしているのかと、そう追求されたら上手く逃れられる自信はない。
けれど。
「お前も宝石に興味があったりするのか?」
この空間にあるものの正体を知るはずもないシオンからそう尋ねられ、アリアはきょとんと瞳を瞬かせていた。
「アクアマリン、か……」
この世界にも宝石というものは存在する。その一つの名前を呟いて、シオンは壁に埋め込まれた、澄んだ海の色を思わせる宝石へと手を伸ばす。
が。
「……!」
その指先が壁へと触れる寸前。石が泉に落ちた時のようなさざ波が壁一面へと広がっていき、見ることも触れることも叶わない透明な水面のような存在に、シオンが小さく息を呑む。
ここで目にしているものは、確かに存在するのだろうか。
目の前の光景は全て幻で、自分達はなにかに惑わされているだけで、本当はなにもないのではないか。
そう思わせるには充分な、現実味のない魔法の空間。
「……シオン……!」
けれど、見えない"なにか"に触れた指先をまじまじと見つめたシオンの元へ、天空からアリアが祈った時と同じようにふわふわと一つの球体が降りてきた。
(こんな展開、知らない……!)
まるでシオンの傍へと誘われるようにふわふわとその存在を誇張するソレ。
シオンとて、強い光の魔力を有している。けれどそれくらいのことで手に入る"魔石"ではないはずなのだ。
予想外の展開にただただ成り行きを見守るしかないアリアは、自分へと寄ってきた輝く球体にシオンが手を伸ばすのを、まるでスローモーションを見るかのような感覚で見つめていた。
伸ばされたシオンの左掌の上でふわりと舞い、パリン……ッと耳に届かない音と共に中から現れたもの。
先ほどシオンが「アクアマリン」と呟いたのを聞いていたかのようにその掌で輝くのは、透き通るような蒼色をした小さな魔石だった。
「……これは、なんだ……?」
低く洩らされたその疑問符に、アリアに返せる答えなど存在しなかった。