小話 ~ベイビィ・らぶ~
「お母様……っ!」
待ちわびた来客到着の知らせに急いで学校から戻ったアリアは、礼儀作法も二の次に客間へと飛び込んだ。
「アリアちゃん」
おかえりなさい、と優しく微笑ったアリアの母親の腕の中には、懸命にミルクを飲む赤ん坊の姿。
それから。
「イーサン。忙しいのにわざわざありがとう」
あの一騒動で今まで全く接触できていなかったイーサンへと、アリアは心からの笑みを浮かべていた。
「元気そうでよかった」
そう笑うイーサンは、あの事件でアリアの身に起こったことをどこまで把握しているかはわからない。けれど、挨拶もできずにそのままになってしまっていたことを、アリアはずっと気にしていた。
だから、イーサンから訪問を伺う手紙を貰った時、一も二もなく承諾の返事を返していたのだ。
「この子が、あの時の……?」
セオドアもあの時のことを気にしていたのだろう。アクア家の馬車に同乗してやってくると、まだ生まれて間もない赤ん坊の顔をしげしげと覗き込む。
アリアの母親は詳しい事情などなにも知らない。その為いろいろと積もる話はあるものの、今は迂闊な発言はできなかった。
「……可愛い……」
ミルクを飲み終えた赤ん坊を母親から受け取って、アリアはその小さな存在に笑みを溢す。
小さくとも、懸命に生きようとしている輝かしい命。本当に、あの時助けられて良かったと思う。
「恐らく、捨て子だろうって」
あの時保護された男女の子供は、2人とも家族が見つかった。けれど、この子に関しては名乗り出る者もおらず、恐らく生まれてすぐに捨てられた赤ん坊をあの男が拾ったのだろうと推測された。
「そっか……」
イーサンの説明に複雑そうな表情を浮かばせて、セオドアはその小さな手へと指を伸ばす。すると赤ん坊は反射的にその指を掴み、純真無垢な笑顔を浮かべていた。
「あっ、笑った」
どうやらお腹も一杯になってご機嫌らしい。ただただ純粋なその笑顔につられるようにアリアも笑えば、セオドアもまた穏やかな笑顔で表情を緩めていた。
「こうしていると、若夫婦みたいね」
ふふふ、と楽しげに笑って、アリアの母親は赤ん坊をあやすアリアとセオドアの姿にそんな感想を洩らす。
「……え……」
「昔、話していたのよ。お互いの子供たちを結婚させたいわね、って」
アリアとセオドアの両親は昔からの親友同士だ。双方自分達の気持ちを押し付けるタイプではないが、その関係を鑑みれば、そんな話をしていたとしても夢物語ではないだろう。
「でも、アリアちゃんにはシオン様がいるし、セオドア様も素敵な方に巡り合ったみたいだし」
セオドアの姉の婚約が決まった時点で、残された希望はセオドアのみとなった。ちょうどアリアとセオドアは同じ歳だった為、ウェントゥス家からの強い申し出がなければ、互いの両親が望むようにそうなっていたかもしれない。
ちょっと残念だけれど、と少女のように笑うアリアの母親は、それでもそれぞれ2人の婚約には祝福の気持ちを送っていた。
時間軸にすれば"ゲーム"開始時の少し前。セオドアは、アリアやリオの従妹に当たる、3歳年下の現王女と婚約していた。どうやらあちらの一目惚れだったらしく、まだ小さな王女様から熱烈な愛を送られていたらしいとの噂があった。
「……ホント、可愛いな」
なにげないアリアの母親の言葉に複雑そうな表情を浮かばせて、セオドアは握られた人差し指を小さく動かしてみる。すると、まだ見えていないはずの瞳でそれを追うような仕草があって、アリアは慈愛に満ちた微笑みを益々深くしていった。
「……家で引き取ったりできないかしら?」
この状況でずっとつきっきりで赤子の面倒をみるなど無理な話だが、侍女を増やせばそれも可能かと考えて、アリアは手離しがたい小さな命を前に本気で方法を模索する。
「……その歳で子持ちになる気か?」
「……それはさすがにシオン様にも相談しないと」
と、微妙な面持ちで反対意思を仄めかすセオドアと母親に、アリアはなにか問題でもあるのかと思ってしまう。
「別にシオンは気にしないと思うけど」
なぜそこでシオンの名前が出てくるのか。
婚約は所詮偽装で、将来的には本当に結婚するわけではないだろう。なんなら一生独身で構わないと思っているアリアにとって、養子の一人くらいは許容範囲内だ。
「……いや、さすがのアイツも子持ちは気にするだろ」
元々子供自体嫌いそうなタイプだ。
そういえば、後から引っ張って行くからと、難色を示していたシオンの説得にかかっていたユーリはそろそろ来る頃だろうか。
「……その前に引き取り手は決まってるから!」
なんとなく、本気で赤ん坊の処遇を考え出していそうに見えるアリアに気づいて、イーサンが慌てた様子でその思考回路の邪魔をする。
今日は、救い出した赤ん坊のことを気にかけているであろうアリアの為に、引き取られる前に一度会わせてあげたいと連れてきただけだった。
「……そうなの?」
「いい人そうだった」
穏やかに笑うイーサンに、「だったらいいの」とアリアもまた静かな微笑みを浮かべる。
せっかく救った小さな命。幸せになって貰いたい。
見えなかった"ゲーム"の裏側で、恐らくは犠牲となっていた幼い子供たち。
本当に良かったと、心から思える。
「いつかまた、会えるといいわね」
生きてさえいれば、いつかまた。
腕の中でうとうとし始めた赤ん坊へと囁いて、アリアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。