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恋の矢の行方 1

 あれから数日。学校には行っているものの、シオンとは顔を合わせることのない日々が続いていた。

 気まずい思いが消えずに、どうしても隣の教室を避けてしまう。

 あれほど通いつめていたというのに、ユーリともまだ話せていない。

 一度ユーリがアリアの教室に顔を覗かせてお互い手を振るようなことはあったが、さすがのユーリも一人でアリアに会いに来る勇気はないらしくそのままだ。

 けれど。

(どうしよう……)

 挙動不審に辺りを見回した場所は、先日も訪れたウェントゥス家の客間の一つ。

 シオンから話があると手紙が送られてきたのは昨日のことで、正式に呼ばれてしまえば断れない。

 重い足取りをなんとか運んで、膝の上へと大きな溜め息を一つ。

 先日この部屋でシオンを怒らせるキッカケを作ったことを思い出すと、益々気が重くなっていく。


 ――ココン……ッ


 嫌に響いて聞こえたノックの音。

「……はい」

 ビクリと肩を震わせながら、アリアは小さく返事を返す。

 けれど、開かれたドアから顔を覗かせたのは。

「久しぶりだね」

「……ラルフ様……?」

 立ち上がり、アリアは現れた人物へときょとん、とした表情(かお)を向ける。

 シオンよりも五つ年上、今年で20歳になるはずの、シオンの実兄。

 兄弟とはいえ余り似ていないが、シオンとはまた別の美形で、黒に近い藍色の髪をした年上の魅力溢れる落ち着いた人物だ。

「シオンは……」

 アリアがここを訪れた時から、すでにシオンは留守にしていた。

 つまりは、前の予定が長引いているなどでわざわざ知らせに来てくれたのだろうかとアリアは瞳を瞬かせていた。

「アイツはしばらく戻らない」

「え?」

 やはりなにかあったのだろうか。

 けれど、アリアのそんな疑問は、すぐにラルフの言葉に打ち消されることになる。

「シオンの名前を使って君を呼び出したのは私だからね」

「……え……?」

 くすっ、と意味深な微笑みが向けられて、アリアは嫌な予感が胸に過っていくのを感じる。

 シオンの名前を騙っての呼び出し。

 "ゲーム"の中でも起きた、"シオンルート"の"イベント"の一つ。

(……でも、あれは、終盤の方のイベントのはずじゃ……)

 ユーリの気持ちがシオンへと傾き始めた頃に起きるイベントで、もちろんその相手はユーリに他ならない。

 ユーリではない自分に「まさか」と思う気持ちも浮かぶが、胸を騒がせる緊張感は消えそうになかった。

「……私になにか?」

「君に大切な話があってね」

 少しずつ間を詰められて、椅子から立ち上がっていたアリアは後方へと後ずさる。だが、テーブルの端まで逃げかけた時、回り込んだラルフに行く手を阻まれ、自然アリアはラルフの両手に囲まれる形になっていた。

「あんな冷たいヤツじゃなくて、私に乗り換えないかい?」

「え……?」

 息がかかるほど近くから顔を覗き込まれ、ラルフの口元が意味深な笑みを刻む。

「元々、父にとってはどちらでも良かったんだよ。君をウェントゥス家に迎え入れられるなら、相手は私だろうがアイツだろうが」

 ただ、シオンとアリアが同じ年だったことと、ちょうどその頃、是非ラルフを婚約者に、とカミアの実家から打診があった為にそうなっただけだとラルフは言う。

 カミアの実家もウェントゥス家の事業拡大にちょうどいい家柄だった為、ラルフの父もすんなりその話に乗ったのだ。

「私は、君が欲しいんだよ」

 公共事業の拡大に、家庭用常備薬。今までなかった新しい食文化を生み出し、その功績は表向き全てウェントゥス家のものになっている。

 さらには、二十日病騒動の中でのアリアの働きに加え、巧妙に隠されてはいるものの、最近あった事件(・・)の解決にアリアやシオンが一役買っているとの情報もラルフの耳には入っている。

「知っているかい?一部じゃ君を次期王妃に、なんて声もあるくらいだ」

「……え……」

 くすりと皮肉気に笑うラルフに、アリアは驚きに目を見張る。

 一般市民は知らないが、上位貴族の間でアリアの功績を知らない者はいない。

 それでも双方の公爵家に遠慮して公に口にする者はいないが、上に立つべき「王妃」としての「器」を考えた時、アリアが適任ではないかという声があることも確かだ。

 すでに婚約者が決まっているとはいえ、王家から正式に望まれれば断ることは難しいだろう。ただ、唯一の救いがあるとすれば、次期皇太子をこの時点で決めることが難しいということだろう。

 だから、その前に。

「私のものにならないか?」

 そのまま後ろのテーブルの上へと押し倒され、不安定に床から足が浮いた。

「大切にすると誓おう」

 アリアの長い金色の髪を一房取り、その言葉通り、ラルフはアリア自身へと誓うように手に取った髪へと口付ける。

 その姿はあまりにも様になっていて、うっかりそのまま見つめてしまう。

 こんな時でさえ、ついつい"ゲーム"の"プレイヤー"としての第三者視点になってしまうアリアには、自身の危機感があまりない。

 ふいに視界が暗くなり、そのまま額へと唇を落とされてから、アリアはやっと我に返る。

「ラルフ様……っ!」

 離してくださいっ、と近すぎる広い胸を押し返すと、案外に逞しい服の下の感触が伝わった。

「人払いは済んでいる」

 だから誰も助けには来ないと示唆して、ラルフはアリアの細い手首を頭上で一纏めに拘束すると、至極真面目な声色でアリアの耳元へと囁いた。

「このまま既成事実を作らせて貰うよ?」

「……え……」

 それは、一体、どういう意味か。

 あまりの驚きの展開に一瞬思考を奪われて、けれどすぐにその意味を理解したアリアは、心の中で絶叫する。

(えぇぇー!?こんなところで!?)

 "ゲーム"内で、それこそユーリが一線を越える一歩手前までの危機に襲われた時も、それはラルフの自室かなにかのベッドの上だったように思う。

 硬質なテーブルの上に押し倒されて、なんて……、これが"ゲーム"の"プレイヤー"としての"イベント"であれば、完全に腐女子萌えしていただろう。

(……じゃなくて!)

 気づけば第三者になってしまう自分を叱咤して、アリアはどうこの場を切り抜けようかと画策する。

 その間にも、顎へと伸びたラルフの指先がアリアの顔を上向かせ、口付けの角度に首がもたげられる。

「……ゃ……っ」

 掠れた拒否の言葉と共に思い切り顔を背けることくらいが、今のアリアの精一杯の抵抗だ。

 だが、アリアのその反応になにを思ったのか、ラルフは愉しげに口元を緩めていた。

「……アイツとしたことはないのか?」

 低く、耳元でからかうように囁かれ、アリアは一瞬にして顔に熱が伝わるのを自覚する。

「アイツも案外、甲斐性なしだな」

 くすっ、と笑みを漏らすラルフは、一体なにを考えているのだろう。

「なんの手垢もついていないというなら男としては嬉しいが」

 耳元で意味深に囁かれるまま耳朶を軽く甘噛みされ、そのまま首筋へと下りていこうとする唇に、必死に手の拘束を緩めようと抵抗するが、力の差を前にしてそれは全く敵わない。

「やめてください……っ」

 もう片方の手に腰の辺りを意味深に撫でられて、ゾクリという悪寒が背筋を凍らせる。

「やめ……っ」

 アイツとしたことは?というラルフのからかいの言葉が突然アリアの頭の中へと下りてきて、なにを考えるでもなく咄嗟にアリアは口走る。

「カミアさまっ、は……っ!」

 カミアはラルフの婚約者だ。

 先程のラルフの言葉をそのまま鵜呑みにするならば、二人はすでに深い仲なのだろうかと考えれば、他の女性に手を出すというのはどうなのか。

 年上の、素直になれない綺麗な女性の可愛らしい(・・・・・)姿を思い出し、アリアはぐっと手を握り締めていた。

「……アイツは私を嫌っているからな」

 完全に家同士の政略結婚で、そこにはなんの心もないと言いながら肩口へと移った唇に、アリアはキツく目を閉じる。

「アイツも、シオンだろうが私だろうが構わないだろう」

 淡々と口にされているはずのそれが、なぜかアリアの耳には自嘲に聞こえてしまうのは気のせいだろうか。

「それは違いますっ!」

 声を張り上げてなされた否定の断言に、ラルフの動きが一瞬止まる。

「カミア様はラルフ様のことが大好きなんです……!」

 だから、悲しませないであげてくださいっ、と必死に懇願するアリアの訴えは、カミアの気持ちの代弁なのだろうと思えた。

「なにを……」

「恥ずかしくて素直になれないだけで、カミア様は貴方のことが好きなんです!」

 人の恋路に他人が口出すことは余計なお世話で、勝手に誰かの恋心を露見させるなどするべきことではなのかもしれない。けれどこの際そんな問題は些細なことで、気にしてなどいられない。

「……思い当たる節とか、ないんですか?」

「……まさか」

 両手を拘束されたままじっとラルフの顔を見上げれば、思いの外アリアの言葉に衝撃を受けたらしいラルフは、考え込むかのように動きを止めた。

 味方であるはずの婚約者でさえ、自分のことを疎遠にしたがっているのかと勘違いしているとしたならば、自分は世界に一人だけなのだと、狭い思考に囚われてしまっても仕方のないことかもしれない。

「……まさか、あのカミアが……?」

 とうとう完全にアリアから手を離し、思い悩むように一人呟きを見せるラルフは、記憶のどこかに心当たりがないこともなかったらしい様子を見せる。

 それにアリアは思わずくすっ、笑みを溢し、コロコロと楽しげな表情で口を開いていた。

「ラルフ様はシオンと違って人の感情の機微に敏そうなのに、そういうところは兄弟なんですね」

 一見ラルフは、人の心の機微を読み取って他人と交渉するようなことが得意に見える。

 けれど、乙女の複雑な恋心に関してはその限りではないと思えば、ついつい兄弟揃って鈍いのだなと可笑しくなってしまう。

 嫌っているはずの弟と同じだと笑われ、なんとも嫌そうな表情を露にするラルフに、余計に笑みを誘われてしまう。

「……ラルフ様は、そんなに当主になりたいんですか?」

 元はといえば、兄弟仲の悪さはそこに起因する。

 ウェントゥス家の次期当主となること。

 シオンは、それほど拘りはないのではないかとアリアは思う。父親を見返してやりたい、程度の反抗心はあったとしても、ユーリのために簡単にその未来を捨てられるくらいには。

 そういえば、ラルフに手篭めにされかけるこの"イベント"で、ユーリはラルフに反論することで却って逆効果となってラルフを逆上させてしまったことを思い出す。

(まぁ、あれはあれで"男の子"としてすごくユーリらしくて良かったと思うんだけど)

 シオンはすごいヤツだ、とか、よくは覚えていないけれど、シオンに気持ちが傾き始めていたユーリから発せられた擁護の言葉だった気がする。

 けれど、アリアは。

「私、ラルフ様は、"影の実力者"みたいなポジションが、似合うしカッコいいと思うんですけど」

 あくまで個人的な趣味嗜好に過ぎないが、"創作物"に登場する"影の実力者"的な脇役は、いつだって読者をときめかせる魅力を持っているように見える。人気投票などがあった際には、主人公を抜くことだって珍しいことではないだろう。

「確かにシオンは天才かもしれないけど」

 公爵家当主としてシオンが相応しいかどうかはわからないが、ラルフには"影の当主"的ポジションがものすごく"萌え"るとアリアは思ってしまう。

「あの天才を完璧に支える兄はもっとすごい、って言われる方がよほど難しくて素敵だと思うんですけど」

 恐らくシオンは、繊細なかけひきなどは苦手だろう。

 一方ラルフは、人の感情や思惑の機微を巧く掌で転がすのが得意なタイプにみえる。まさに"企業"の発展において暗躍する頭脳派タイプ。

 シオンも"天才"と言われるくらいには頭が回るが、そんな風に二人で互いの得意分野を担って一つの大きな"家"を発展へと導いていくのは素敵なことだと思う。

 それに。

(この二人、並んで立ったらすごくいいんだけど……!)

 タイプの違う美形兄弟が並び立ったらどれほど目の保養だろう。

 世の女性陣が卒倒してしまうのではないかと思えて、"腐女子"のアリアが色めき立ってしまう。

 できれば兄弟仲睦まじく、妖しい内緒話でもしていただきたい。

「……君は、おかしなヤツだな」

 完全に警戒心を失くしているアリアにくすりと可笑しそうな笑みを洩らし、ラルフは、アリアの耳元辺りの髪を掬う。

「本気で、欲しくなった」

 真剣に、アリアを見抜いてくる真っ直ぐな瞳。

「え……」

 アリアの顔に影が差し、その唇がアリアのソレに重なりかけた時。


 ――バン……ッ!


 と勢いよく扉が開かれる音がして、ラルフの意識を反らしていた。

「……なにをしている」

 急いでいたのか、珍しく息を切らした様子で、相手を射殺さんと言わんばかりの視線がラルフへと向けられる。

「早かったな」

 わざと長引く用事のある時を見計らったのにと苦笑しながら、ラルフはゆったりと身を起こす。

「シオン」

 兄の呼び掛けにぴくりとこめこみを反応させ、シオンはつかつかとテーブルまで歩み寄るとぐいっとアリアをラルフの元から引き離していた。

「なにをしていると聞いている」

 実の兄に向けるとは思えない冷たい空気を身に纏い、アリアを庇うように背中へと隠しながらシオンは低い声で問いかける。

「たいしたことはしていないよ」

 ふぅ、と小さく息を吐き、ラルフは肩を竦めて首を振る。

「話をしていただけだ」

 ねぇ、アリア?と妙に親しげに同意を求められ、アリアはきょとんとした顔でシオンとラルフの顔を眺めていた。

「……話……」

 話をしていたといえば、有意義な話ができたような気がしなくもない。

 特にラルフの婚約者であるカミアの話は、ラルフの意外な一面も垣間見えて、少し楽しかったような気さえする。

 そしてアリアには、そんなに酷いことをされたような自覚がない。

「……ノックしないの?」

 案外礼儀は重んじているらしいシオンが突然部屋に入ってきたことを思い出し、アリアはことりと首を傾げてみせる。

 そうすれば、こんなところを見られずに穏便に話は終わったかもしれない。

「……お前はこの状況でそれを気にするのか」

 シオンがこの部屋へと押し入った時、アリアはテーブルの上に押し倒された状態で、ラルフに唇を奪われる寸前だった。

 けれど、なにかされそうになったという危機感をすでにすっかり忘れているらしいアリアは、子供のような瞳でシオンを見上げるだけだった。

「……なにがおかしい」

 ふいに、くつくつという喉を震わせる笑いがラルフから聞こえ、シオンはぴくりと眉を反応させると冷たい声色をラルフに向ける。

「いや、お前も大変だなと思ってな」

 お前が溺愛するのもわかる、と可笑しそうに笑うラルフは、存外に晴れやかな顔つきをしていた。

 強制的に床へと下ろされ、アリアは強い力で部屋の外まで引っ張り出されていく。

「アリア」

 部屋を出る直前。

「ソイツに愛想が尽きたらいつでも来なさい」

 歓迎するよ?と楽しそうに笑ったラルフがひらひらと手を振ってよこしたのが目に入った。

「カミア様を悲しませたらダメですよっ?」

 その言葉に、ラルフがまた大きく目を見開くことになるのだが、すでに廊下まで出てしまったアリアには、そんなラルフの姿を見ることはできなかった。





 余談だが、この10年の後、ウェントゥス家が歴史上類を見ない発展を遂げることになるのだが、それはまた別の話。

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