花爛漫2 ~シオン・ガルシア~
「……えっと……」
少し二人にしてもらえないかと伺えば、驚くほどあっさりと下りた許可。
使用人から両親が呼んでいると命じられて来た少年は、面倒気な空気を隠すことなく、鬱陶しそうにベッドの上へと佇む少女へと目を向けていた。
「その……」
12歳という年よりも遥かに大人びて見えるシオンの冷めた眼差しに、アリアは居たたまれない心地で口を広く。
「……ありがとう、ございました……」
ついつい丁寧語になってしまうのも、致仕方のないことだとアリアは思う。
それほどまでに少年ー、シオンの醸し出す雰囲気は、年齢を凌駕し、酷く冷めたものだった。
なにがだ、と、視線だけで促される、訝しげなその瞳。
射抜かれそうな鋭さにますます身を竦めながら、アリアはゆっくりと言葉を紡ぎ出していた。
「その……」
庭園で彼を見かけたあの瞬間。
怒涛の記憶に呑まれそうになりながら、必死にもがいたあの刹那。
完全に意識を失い、倒れる寸前。
誰かに抱き止められたという、確かな腕の感覚があったことを覚えている。
知っている。冷めた態度をとってはいても、完全に冷酷な性格をしているわけではないことを。
例え不本意であったとしても、目の前で傾いた知らない少女の体へと、反射的に手を伸ばしてしまう程度には。
「……ここまで運んでくれたのも……?」
面倒なことになったと思いつつ、不承不承少女の体を抱き上げたであろう姿が容易に想像でき、アリアは確証を持ちながらも恐る恐ると問いかける。
対し、仕方ないだろう、とでも言いたげに向けられた瞳と溜め息に、アリアはふんわりと花のような笑みを向けていた。
「ありがとう」
おかげで頭を打たなくて済んだもの、と加えれば、少しだけ驚いたかのように見開かれたシオンの瞳に、くすり、という笑みが漏れる。
日本人の「私」の知る15歳のシオンは、ポーカーフェイスで滅多に感情を外に曝すことはない。けれど、それでも少しは気持ちを汲み取る術はあった。
だからこそ。
それよりもまだ三つも年下の彼ならば、その分だけもう少し。ほんの少しだけ素直であってもいいのではないかと、そう思う。
そして、そう思うからこそ、その勢いのまま、アリアは意を決して自分の気持ちを言葉に表していた。
「……ねぇ、」
少しだけ、困ったように笑顔が崩れてしまうのも仕方のないことかもしれない。
「……この婚約……、反対だったり……する……?」
否、そう口にしてから、ううん、とアリアは思い直す。
「私が婚約者になるのは困る……?」
この時点で、すでにシオンには想い人がいる。
けれど、そもそも婚約自体に無関心なシオンには、反対する意思も自分の意見もないだろう。
だからこそ。
「もしかして……、貴方には他に想う方がいるのではないかと思って」
選ぶように告げたその問いかけに、明らかに見張られた鋭い瞳。
そんなシオンの視線を真っ直ぐに見つめ返してアリアは言う。
「だとしたらなおのこと」
少しだけ感情が揺れたのがわかるダークブラウンの瞳に、思わず可愛いな、と思ってしまったことは奥底へと隠して。
「私と、"契約"しませんか?」
しゃん、と背筋を伸ばして真剣な瞳をシオンへ向ける。
そしてー。
「……契約……?」
こちらの意図するところがわからない、と潜められる眉根に、やっぱりまだまだ少年の域を出ていないのだな、と苦笑が漏れる。
「正直に言うと、私も婚約とか望んでいないから」
それは相手がシオンだからというわけではなく、誰が相手でも「婚約」そのものが困るのだと説明すると、シオンの顔が理解に苦しむというように歪められる。
この世界の上流社会では、社交界デビューを果たす12の年までには婚約者を探すことが当たり前。
遅くとも15歳までには婚約し、18歳を超えて結婚するのが通例だ。
王族であれば生まれた時にはすでに婚約者が決められていることすら珍しいことではない。
アリアとシオンとて、正式にウェントゥス公爵家からの申し入れがあり、実際の顔合わせこそ今日が初めてのこととはいえ、親同士のなんとなくの空気感からすれば、こうなることは当然の流れのようだった。
だからこそ、シオンとて両親の意思になにかを物申すようなことはせずに今日のこの日を迎えていた。
けれど、アリアにとっては。
今日、突然、別世界の記憶と知識を与えられてしまった今となっては。
12歳で結婚相手を決められることなど言語道断。到底納得などできるはずもない。
昨日までの自分であれば、なんの疑問もなくこの婚約に首を縦に振っていただろう。
少なくとも"ゲーム"の中で、アリアの気持ちは確かにシオンへと向いていた。
アリアの身になにも起こらなければ、この期に淡い恋心を育てていくことになったのだろうけど。
(もちろん、シオンはすごくカッコいいけど……!)
シオンは"ゲーム"の王道ヒーローで、"私"にとっても一推しキャラだった。
けれども、それとこれとは話が別。
("自分"の子供より年下とか考えられない――!!)
突如として降りてきた「日本人女性」の記憶は、アリアを混乱の渦へと陥れる。
「彼女」は高校生と中学生の子を持つ母親だった。
アリア自身はまだ12歳の子供とはいえ、精神的にそんな子供と結婚前提のお付き合いなど、とてもではないが簡単に容認などできるものではない。
(とりあえず無理!少なくとも今は断固拒否!)
"腐女子向けのゲーム"は好き。そこに登場する遥か年下の男の子たちにも萌えられる。"アイドルグループ"も目の保養。だけれど、彼らと本気の恋愛をしたいかと言えば。
(無理でしょ!絶対無理無理無理!)
心の中で思い切り首を振り、それから意を決するように目の前の美少年へと向き直る。
「……だけど、例えこの婚約をなかったことにしても、私も貴方も他の誰かを宛がわれるだけ。それなら、お互いそれを承知の上で、表面上だけ婚約の形を取る方がいいかと思って」
下手に本気の相手と婚約させられるくらいなら、お互いに気がないことがわかっているドライな関係の方が楽でいい。
必要な時、避けられない場面でだけ婚約者を演じられれば、後はお互い自由の身。
「貴方か私。どちらかが本当に続けられないと思うか、想う相手と結ばれるまで」
黙ったままのシオンへと、澄んだ真っ直ぐな瞳を向ける。
「それまで、偽装婚約をするのはいかがでしょうか――?」
元々 "ゲーム"内でも二人は婚約者同士だっだ。
そして、シオンは本気で「婚約」に対して興味がない。
だからこそ、それゆえに。
この提案に乗らないはずはないという確信がアリアにはあった。
――そして今のアリアには、誰にも秘密の野望が一つ。
(主人公とシオンのあれこれが間近で見たい……!)
そんな特等席、ココを置いて他にあるだろうか。
そのためならば、偽装婚約の一つや二つ。
そんな美味しい立ち位置、他の誰にも譲れない。
――そうして二人の偽装婚約は、互いの両親から望まれ祝福され、貴族社会からも認められた――。