光への胎動 2
「つまり、なんだ……? アリアは別世界の人間の記憶を"借りて"いて、それを"返した"ってことか……?」
天の声から話を聞き終えたギルバートが、頭痛を覚えたかのように頭を抑えながら呟いた。
「で、本来この世界に在るはずのない異分子を排除することで……、つまりは、アリアの記憶とリヒトの存在をこの世界から"飛ばす"ことによって、それが世界消滅を回避するためのエネルギーになった、と」
「なんなんだよ、それ……っ」
ギルバートに続き、話を的確に纏めたアラスターの説明に、シャノンはぐっと拳を握り締めて吐き捨てる。
「元々在るべきものではなかったから、正常な世界の形に戻っただけ?」
無感動に語られた本来在るべき世界の姿。
今までが"異常"だったのだと告げられても、それを簡単に受け入れられるはずがない。
「そんなの納得できるかよ……!」
シャノンの身体を震わせるのは、悔しさか怒りか。
「全ては"神の遊び"?」
世界の創造主が存在するなど、想像もしていなかった真実に、ギルバートもまた奥歯を噛み締める。
「ふざけんな……!」
神にとっては"ただの暇つぶし"。
そんなことで自分たちの命は弄ばれているのかと、神の残酷さに怒りが湧く。
そして、それよりもなによりも。
「……アイツはいつも本当に勝手だな……っ」
なにも語ることなく一人で全てを決めて行動した。
それはアリアの優しさからくるものかもしれないが、勘違いも甚だしいとギルバートも身体を震わせる。
「だが、世界消滅回避のために、それしか手段がなかったことはたしかだろう」
どうやら天の声はこの場にいた全員にきちんと届いていたらしい。
悔しさに表情を歪めたギルバートは、淡々と残酷な現実を口にしたレイモンドを振り返る。
「レイモンド」
「お前たちは、どちらにしても滅びる世界なら、自分もろとも、と考えるのか?」
どちらの選択をしたとしても、必ず自分は消える結末。
それならば自分だけが、と考えるのが優しい人間の思考だろう。
一人の人間の命と、その人間の命を含めた全世界。どちらを選ぶか、どんな他人が答えを求められたとしても天秤にかけるまでもない。
「……それは……」
わかりきった答えを前に息を呑んだギルバートへ、レイモンドは遠い目をして小さく零す。
「……いつだって犠牲になるのは心優しい人間だな」
「レイモンド?」
レイモンドの過去を、ギルバートはもちろん、シャノンたちは詳しく知らない。
なんとなく察するものはあっても、わざわざ聞こうとは思わなかった。
ただ、アリアは。もしかしたら、アリアだけはレイモンドの過去を知っていたりするのだろうか。
「マグノリアに会いに来た」
「……なんの話だ」
淡々と告げたレイモンドへ、ギルバートの眉が顰められる。
「あの娘だ」
レイモンドが語る「娘」など、アリア以外にいるはずもない。
ここへ一人で足を運び。わざわざ死者の魂に触れてまで問いたかったこととは。
「おそらくは、大切な者を残していってしまうことに対して、マグノリアと話をしたかったのだろう」
レイモンドが語る話は、半分ほどしか理解できない。
かつてレイモンドの恋人だったという女性が、今レイモンドの傍にいることなくとうの昔に亡くなっているという事実だけが、話の内容へ繋がった。
愛する人との別離を決意し、残して逝くことを選択した女性の話を、アリアはどんな思いで聞いたのだろう。
「すまなかった」
自分の落ち度を認めて丁寧に頭を下げるレイモンドの姿に動揺する。
「その時点で気づいてやるべきだった」
なんとなくだが、このお堅いレイモンドになにかを察しろというのは難しいような気がした。
アリアがなにかを隠していることに気づいていたシャノンたちでさえ、すぐに追及することができずにいたのだ。
それを、マグノリアといったいなにを話したのか強引に聞き出すなど、レイモンドには至難の業に違いない。
「私はいつも、一番大事な時に選択を間違う」
「……それが間違った選択だったかどうかはわからないけどな」
すべての選択の結果を比べることができない以上、正解など永遠にわからないと少しだけレイモンドに寄り添う意見を口にしたのはアラスターだ。
「ほんとにな」
そこで悔し気に肩を落としたギルバートがした同意は、せめてその時アリアが抱いたであろう不安に気づいて自分たちへ報告をしてほしかったという意味だろう。
「アイツが止まるわけねーんだから、気づいたヤツが止めないと」
「そこは激しく同意」
今までもう何度思い知らされたかわからないアリアの行動に、シャノンもやれやれと同意する。
「はー……」
アリアが知った真実を知り、零れるものは深い溜め息ばかりだ。
「とりあえず戻って報告だな」
「だな」
アラスターの冷静な判断に、シャノンは疲れたように空を仰ぐ。
「我々になにかできることがあれば言ってくれ」
「当然だ」
協力は惜しまないと言うレイモンドには、ギルバートの強い瞳が向けられる。
「遠慮するつもりはさらさらないからな」
「それでいい」
レイモンドも、責任感の強さから頭が堅くなっているだけで本来は繊細な心を持っているのだ。
人間界と妖精界とでは流れる時間の早さが違う。強く頷いたレイモンドは、ここに長居するべきではないと踵を返す。
「扉まで送ろう」
一分、一秒でも無駄にしないために。
アリアが消えた真実をどう告げるべきかと、シャノンは握った拳にぐっと力を込めていた。
*****
王宮内にある広い一室は、アリアの状況を知る者たちが集まる中、誰もいないかのように静まり返っていた。
「そういう、こと……」
長い沈黙の後、リオンの言葉が重く響く。
「アイツは……っ、本当に……っ」
「シオン」
ギリリと奥歯を噛み締めるシオンへ、ユーリの宥めるような声がかけられる。
「あんまり自分を責めるな」
誰もが同じ後悔をし、同じ絶望に晒されている。
けれど、誰よりもアリアの傍にいて見てきたシオンが一番自分で自分を許せないのは仕方がない。
「アリアは頑固なところがあるから……。一度決めたら崩すのは難しい」
アリアが黙っていることを決めたなら。口を開かせることは一筋縄ではいかないだろう。
そう思っていたからこそ様子見をしていて、結果、全てが遅すぎた。
わかってる。本当はみんなわかっているのだ。
「アリアはどうしてるの?」
静かなリオの問いかけに、シオンはそっと視線を逸らす。
「なにも」
「なにも?」
じ、と様子を窺ってくるリオにシオンが答える気配はなく、ユーリは先日アリアに会った時のことを思い出して口を開く。
「不安そうに過ごしてます」
今のアリアにしてみれば、目が覚めたら数年の時が過ぎていたようなものだ。
知識はあっても経験がないという感覚は、どれほどアリアを不安にさせるだろう。
「まぁ……、そうだよね」
深い吐息をついたリオは、なんとも言えない面持ちでアリアに寄り添うように同意した。
「今のアリアにはなんの罪もない」
先日、アリアに接してみて改めて気づかされた。
今のアリアはアリアで自分自身の意志があり、一人の人間なのだ。
もしかしたら、アリアこそ一番の被害者かもしれない。
気まぐれな神によって選ばれ、弄ばれた。
「そんなことはわかってる。だが……っ」
「アリアであってアリアじゃないんだ。キツいよな」
苦悩の叫びを洩らすシオンにギルバートもまた唇を噛み締め、悔しさと苦しみを浮かばせる。
そんな各々の反応を一度ぐるりと窺ったリオは、そのままシャノンへ顔を向ける。
「シャノンの見解はどう?」
「俺……、ですか?」
「うん」
なぜ自分に意見を求めるのかと目を見張るシャノンへ、リオは穏やかに微笑む。
「正確なところはよくわからないけど、"他人の記憶を植え付けられた"としたら、その人間は別人になるのかな、って」
その問いかけは、この世でたった一人、精神感応能力という特殊な能力を持つシャノンだからこそ導き出すことができる答えだ。
相手の深層心理に触れ、真の姿を視ることができる唯一の存在。
「……それは……」
わずかに困惑の色を浮かべながら悩む様子を見せるシャノンへ、眼鏡を押し上げたセオドアが眉間に皺を刻む。
「難しいな。人間の性格や思考は経験や知識によって変わる。同じ人間が全く違う環境で育てられたとしたら、それは別人になるのか同一人物になるのか」
「身体が同じという意味では同一人物なんじゃないッスか?」
至極簡単な理論を口にしたのはルークだ。
だが、その理屈を通すのであれば、今のアリアはあくまでアリアのままだという結論になる。
「ならば、多重人格者は同一人物か?」
「……それは……」
ルイスからの厳しい追究の目を受け、ルークは答えを出せずに口ごもる。
結果、視線はシャノンへ集中し、目を閉じて自分の思考に入っていたシャノンは、顔を上げると悩まし気に眉を寄せる。
「……そう言われてしまうと俺にもよくわからないです。あの時は……、本当にその時感じただけの判断でしたし」
アリアが倒れて目覚めた時。一瞬にして「違う」と感じてすぐに"別人"だと判断してしまったが、深層心理に感じた違和感の正体がなんだったのか、冷静になった今となっては不確定要素が多すぎるとシャノンは語り、シオンの方へ顔を向ける。
「もし許されるなら、しばらくアリアと過ごしてみてもいいか?」
答えを出すことがアリアを取り戻す方法を見つけることに繋がるかはわからないけれど。
それでも、一縷の可能性を求めて動かずにはいられないから。
「……その方がアイツも気が紛れるだろう」
「サンキュ」
一応は今のアリアを思ってか、無感動に許可を下ろしたシオンへ、シャノンもまたあまり感情が読めない表情で今後の行動を受け入れる。
「それならオレもっ」
そこでシャノンの提案に便乗して名乗りを上げたのはユーリだ。
「あぁ、助かる」
シオンがどこかほっとした様子を見せるのは、やはりユーリのことを別格な存在だと思っているからに違いない。
「ただ……」
ふと表情を曇らせたシャノンに、その言葉の先をアラスターが継ぐ。
「一般的な記憶喪失とは違うって言うなら」
さらには、さすがにその先を言葉にできず、一度口を閉ざしたアラスターに、ルイスの冷静すぎる目が向けられる。
「"記憶が戻る"ということはまずないな」
「ルイスッ」
言葉には魂がこもる。いくらなんでも言い過ぎだろうと咎める声を上げるリオに、ルイスは淡々とした態度を崩す気配はない。
「残酷な現実かもしれませんが、まずそのあたりはきちんと受け止めませんと先には進めません」
「それは……、そうかもしれないけど」
ルイスの言い分も一理あり、リオはきゅ、と唇を引き結ぶ。
「それでも、アリアはアリア、ってこと?」
結局はどちらなのだと不満気に疑問の声を上げたのはノアだ。
「それも今の段階ではなんとも」
対し、今までの話の流れから総合判断したアラスターが答えを返す。
「結局なんの打開策も見つからず、か」
ギリリと奥歯を噛み締めるギルバートは、横に壁でもあれば拳を打ち付けそうな悔しさを滲み出していた。
「あの子は本当に……」
最後に話を纏めるかのように深い吐息を吐き出して、リオが複雑な微笑を零す。
「アリアが黙って消える道を選んだのは、ボクたちを苦しめないためだろうから」
「は?」
それに理解できないと眉を寄せたノアの反応は当然と言えば当然かもしれない。
現実としてこれだけの人々を苦しめておきながら、苦しめないための選択だったとは意味がわからない。
けれど、リオは。
「知っていてアリアを犠牲にするのと、知らずにアリアが勝手に犠牲になるのとでは違うだろう?」
リオには、国を守るという立場がある。
もし、アリアが犠牲になることで国を守れるのなら、いつかのあの時のように――魔王復活の兆しが見えたあの時のように――残酷な選択をしなければならないのだ。
自らの手でアリアを生贄として捧げるのと、アリアが自ら生贄となることでは、残された者たちが負うことになる傷の大きさに天と地ほどの差が生まれるに違いない。
「本当にね」
アリアらしいと、悔しさと悲しみと切なさを醸し出すリオに、ユーリの横でシオンが小さく肩を震わせた。
「それでもオレは……」
「わかってる」
この場にいる誰もがみな、同じ思いを抱いている。
たとえ同じ結末を迎えたとしても、一緒に足掻き、苦しみたかったと。
「アリアはね。残酷だよね」
時に優しさは残酷だ。
妙に響いたユーリの言葉に、誰もが口を閉ざしていた。
登場人物が多くて申し訳ありません……(汗)。