光への胎動 1
庭に面した窓には幾何学模様の厚手のカーテンが下ろされ、暖炉上や天井に近い場所にある飾り棚には花や食器が飾られている。
部屋の中央。親友であるアラスターと丸テーブルを挟んで話をしていると、すぐ傍に闇色の空間の歪みが現れ、シャノンは特に驚くでもなく薄っすらと見える人影が実体となるのを待っていた。
「よぉ」
「ギルバート」
相変わらず軟派な笑顔を浮かべているギルバートだが、疲れの覗く顔色に、シャノンは心の中でこっそりと深い溜め息を吐き出した。
今、シャノンは自宅の応接室で、どこかに一度みんなを集めて状況を説明し、知恵を出し合おうかとアラスターと相談していたところだった。
「アリアになにかあったのか?」
わずかに焦燥の色も見えるギルバートからは、状況がなにも変わっていないことが伝わってくる。
良くなっていることもなければ、悪くもなっていない。現状維持。
それがいいことなのか悪いことなのか、もはやシャノンにはわからない。
ただ一つだけ間違いなくわかっていることは、ギルバートもシャノンと同じ思いでここへやってきたということだ。
「違くて」
案の定の答えを返してきたギルバートは、すぐに真面目な顔になるとシャノンへ手を差し出してくる。
「一緒に来てくれ」
空間転移の魔法を持つギルバートの手を取れば、一瞬でどこへ行くことも可能だ。
今のギルバートが動く目的など一つしかない。つまりは。
「って、どこにだ?」
一人で行動することなく、わざわざシャノンを迎えに来た理由。
なにか現状を打破する糸口でも見つかったのかと緊張の面持ちで顔を上げたシャノンへ、ギルバー卜は瞳の奥にある意志の力を強くする。
「精霊王に会ってくる」
「!」
ぐ、と拳を握り締めたギルバートは、なにか思うところがあるのだろう。
「あー……」
向かいの席で声を上げたアラスターは、納得したかのように複雑な苦笑を零す。
「そうだな。動くならまずそこからだよな」
アリアにこの世界の真理を教えたのは、天上界から下界を見下ろしている"生命の神"だという。
そしておそらく、アリアが今回の行動に出た秘密を作ったのも、生命の神からの知識だろうと推測された。
「なにか糸口が掴めるかもしれない」
ぐ、と拳を握り締め、ギルバートは苦し気な表情を浮かばせる。
真実を知り、アリアの行動の意味を知ったからと、直接アリアを取り戻す方法がわかるとも思えない。
だが、動かずにいるよりよっぽどいい。
それが藁にも縋る希望だとしても、無ではない可能性を追い求めないわけにはいかなかった。
「アイツらが全くなにも知らない、なんてことはないだろう」
生命の神にアリアを引き合わせたのが精霊王であるのなら。
そうは思うが、なにも知らない可能性も捨てきれず、むしろその可能性のほうが高いかもしれないと負の思考に囚われかけるギルバートへ、シャノンは強く頷いてみせる。
「わかった」
憶測ばかりでは前に進めない。
まずは、動かなくては。
「行こう」
シャノンがカタリと腰を上げれば、少し遅れて立ち上がったアラスターは、ふと気づいたようにギルバートへ視線を向ける。
「このこと、皇太子には?」
「知っている。と、いうよりも、直々に頼まれた」
本当は自らが動きたいだろうに、ままならない立場にいるリオのことを考えると身が引き締まる思いがした。
「なるほど」
まずは、アリアがなにを知り、なにを考え、そしてなぜこうなったのか。アリアが最後の最後まで隠し通していた秘密から紐解いていこうするリオの方針は堅実だ。
そして、その役目にギルバートを抜擢したのは、適材適所、とでも言えばいいのだろうか。
精霊王たちはギルバートへ過分なる負い目がある。そこに付け込もうなど腹黒いとも思えるが、勝率が一番高い道を選ぶことになんの遠慮があるだろう。
「アラスター。お前も来るだろ?」
一緒に席を立った時点でそれは確定だと思えたが、一応は確認のために問いかければ、アラスターはやれやれと嘆息する。
「まぁ、俺が行っても役に立つかは微妙だけどな」
たしかに魔力だけを考えた時には公爵家の面々やギルバートには及ばないだろうが、憶測や理論を組み立てる時には、一人でも、一つでも多くの見解があった方が真実に近づきやすいと思うのだ。そういった意味では、冷静に頭の回るアラスターは適任に違いない。
アラスターの同行は充分に意味のあるものだと目だけで自分の意志を伝えたシャノンへ、ギルバートは早く手を取れと促してくる。
「つべこべ言っている暇があったら行くぞ」
一秒だって時間が惜しい。それはシャノンも同じ気持ちだ。
「あぁ。連れて行ってくれ」
アラスターと共にギルバートへ手を差し出して、シャノンは迷いのない強い瞳を光らせたのだった。
真っ白な光の空洞を抜けると、そこには一つの人影が立っていた。
「わざわざお出迎え、ってことは、こっちの状況は把握済だと思っても?」
ギルバートの声色が皮肉混じりに聞こえるのは、シャノンの気のせいではないだろう。
ギルバートと精霊王たちの間にある因縁は、完全に消え去ったわけではない。
アリアの消失に精霊王たちが無関係であったとしても、なにか思うところがありながらそのままにしていたことは間違いなく、そこにギルバートが苛立ちを感じていたとしても、それを咎める気にはなれなかった。
「大変なことになったな」
相変わらず淡々としているレイモンドからは、なんの感情もなにを考えているのかも読み取れず、ギルバートの責めるような視線が突き刺さる。
「……知ってたんじゃないのかよ」
世界消滅の可能性を。そして、その回避の方法を。
今度はアリアを犠牲にしたのかと奥歯を噛み締めるギルバートへ、感情的にだけはなるなというアラスターの声がかかる。
「ギルバート」
「私はなにも把握していない。ただ」
その声に重なるように自分の認知を否定したレイモンドは、そこで少しだけ表情を曇らせた。
「ただ、導いただけだ」
アリアと生命の神の間でどんな会話がなされたのか、知っていることはギルバートたちと変わらないと告げ、レイモンドは自分の"立場"と"役割"を主張する。
「なんだよそれ。それでなんの責任もないって?」
「そうは言っていない。今となっては悔やんでいる」
ギルバートの追及に眉間へ皺を寄せたレイモンドからは、たしかにその言葉通り苦渋の感情が伝わってくる。
もっと話を聞いておくべきだったと自分の落ち度を認めるレイモンドも、まさかこんな結末が待ち受けているとは想像もしていなかったに違いない。
「ついてくるがいい」
せめてもの罪滅ぼしか、三つの指環を差し出したレイモンドは、すぐに踵を返すと空間転移の体勢に入る。
「天の声が応えてくれるかはわからぬが……」
「天の声?」
「って、アリアが接触したっていう生命の神のことか?」
訝し気にレンモンドの言葉を反芻したシャノンへ、冷静な問いかけで確認したのはアラスターだ。
天の声。生命の神。その時々によって呼び名はごちゃごちゃしているが、状況を考えれば存在は一つだろう。
「私も正しくは知らない。天上に住まう生命の管理者のような存在とでも言えばいいのか」
「天上界……」
自分たちが住む人間界と、姉妹世界である妖精界。そして天上界に、さらにはこの世界とは表裏一体の関係にあるという異次元の世界の存在。
世界の真の姿の強大さに言葉を失いかけるシャノンの横で、ギルバートは顔を顰めてレイモンドへ問いかける。
「アリアに妙な入れ知恵をしたのもソイツなのか?」
「……おそらくは」
入れ知恵、という言い方に引っ掛かりを覚えたのか、レイモンドは妙な間を置いてからそれを肯定する。
「なんなんだよ、世界の真理って本当に」
「私にもわからない。今までそんなことを知る必要も術もなかったからな」
苛立ちの覗く動きで髪を搔くギルバートへ、レイモンドからは小さな溜め息が零れ落ちた。
「まさかこんなことになるとは……」
生命の神に乞われてアリアを引き合わせたレイモンドとて、世界の真理など知らなかった。
シャノンはもちろんのこと、ギルバートも、そして他の誰もが本当はわかっているのだ。アリアが口を閉ざした以上、誰も気づくことはできなかった。
「すまなかった」
「……アンタだけのせいじゃない」
本気の謝罪を口にするレイモンドへ、きゅ、と唇を噛み締めたシャノンは、慰めとも言えない声をかける。
シャノンとて、後悔ばかりだ。
アリアがなにか隠していることに気づいていて、すぐに追及しなかった。アリアが話してもいいと思うようになるのを待って、ゆっくり聞けばいいと思っていた。そんな時間的余裕などなかったのに。
無理矢理はよくないと保身に走ったことを、後悔してもしきれない。
自分には、精神感応能力という、アリアの考えを強引にでも知ることのできる能力が備わっているというのに。
忌々しいものでしかなかった能力を、使うべき時に使えなければなんのために自分は存在しているのだろう。
「……違うんだ。私は……」
独り言のような呟きを洩らしたレイモンドの声色は、珍しくも苦渋を感じさせるもので、シャノンの眉間には訝し気な皺が寄る。
「私は、また同じ過ちを……」
「レイモンド?」
レイモンドとアリアの間で、なにかあったのだろうか。
「……いや、この話はあとだ」
すぐに思考を切り替えたらしいレイモンドは、そこで足を止めると天上遥か彼方から光の差し込む上空を仰ぎ見た。
「ここだ」
「!」
生命の神。天の声。空から降り注ぐ清廉な光の帯は、たしかにそう称するに相応しい神々しい光景を生み出していた。
「光の精霊王であるアンタでさえ話ができないヤツと、オレたちが話せるのか?」
「それは試してみないとわからない」
ごくりと息を呑んだギルバートからの問いかけに、レイモンドは無情な現実を突き付けてくる。
「そうなるのか」
アリアと違い、自分たちは呼ばれてココに来たわけではない。
一か八かの賭けでしかない残酷さにギリリと奥歯を噛み締めたシャノンへ、レイモンドは光の降り注ぐ中心部を指し示す。
「そこで祈りを捧げて心の中で呼びかけてみればいい」
届くかどうかはわからない。
けれど今は奇跡を願って祈るしか選択肢がない。
「もしかしたら応えてくれるかもしれない」
「すげぇ博打だな」
なにも起こらなかった時の失望を想像してか、緊張の色を見せるギルバートへ、シャノンを挟んで反対側にいるアラスターからは自嘲気味の笑みが洩れる。
「別になにも賭けてないから失うものもないけどな」
「アラスター」
それは、少しでも重い空気を払拭させようという意図から来ているものだとわかっても、思わず恨めし気な目を向けてしまう。
「この状況下でそういう冷静な突っ込みするなよ」
失うものはなにもない。
だが、失ったものを取り戻せないという恐怖を味わうことになるかもしれないのだ。
それでも。
「とにかく、試してみなきゃ始まらない」
「それはそうだ」
真剣な瞳で遥か上空を見上げたアラスターに続き、ギルバートも挑むような目を向ける。
「どうするって?」
――光の中央で穢れなき祈りを捧げる。
先に前へ進み出たギルバートは清廉な光を浴びながらその場へ膝をつき、手を祈りの形に組むと目を閉じた。
「……」
「……」
無言でそれに続いたシャノンとアラスターも同じように祈りを捧げ、心の中で"天の声"なるものへ呼びかける。
――この声が、どうか届くように。
――この声に、どうか応えてくれるように。
そうして祈り続けることどれくらいの時間がたっただろうか。
もしかしたら数秒の出来事だったかもしれないし、何分もたっていたかもしれない。
ただ、永遠にも感じられた時間が過ぎ去り、ダメかもしれない、と心が折れかけた時。
(……シャノン、か)
「え?」
直接頭の中に響いた声に、シャノンの瞳は驚愕で見開いた。
(そなたもまた世界の異分子ではあるからな)
言われていることはよくわからないが、それがシャノンの呼びかけに応えてくれた理由であることだけは理解する。
(自然発生したものであれば排除の対象にはならないが)
独り言のような答えは、声の主がシャノンの困惑を解消するつもりがないことを伝えてくる。
(神が承知しているのであれば問題ない)
――異分子。排除。神。
それらの言葉から導き出されるものは、実際に神の意志によって排除された異分子――アリアの存在で、シャノンは毛が逆立つような感覚を覚えて身を震わせた。
(なにをしに来た?)
シャノンたちの存在をあまり歓迎していないらしい声は、それでも不承不承といった様子で声をかけてくる。
(わたしがそなたの声に応えるのはこの一度きりだ)
「え……」
(本来交わることのない世界だ。また歪みが生まれてはかなわない)
「"また"……」
歪み、というのは、アリアの存在となにか関係があるのだろうか。
頭を整理し、答えを出すより前に、声は無感動に先を促してくる。
(限られた時間だ)
どうやら声は、あまり時間を割いてくれるつもりがないらしい。
(人間よ。なんのためにここへ来た)
「……」
展開の早さについていけず、一瞬動揺したシャノンだが、それでもすぐに精神を強くすると心の瞳で天の声を貫いた。
その問いかけの答えなら、迷うことなくすぐに返すことができる。
「真実を、知るために」
すべては、アリアを取り戻すために。
それ以外の理由など存在しない。
だから、真摯に乞い願う。
「教えてください。この世界に起こった真実を」