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絶望のはじまり 5

 魔法学園卒業後、今はユーリーもシオンも王宮勤めで忙しい毎日を送っている。

 同じ王宮内にいるとはいえ、普通に仕事をしていれば顔を合わせることも少ない中で、それでも意識すれば休憩時間に会いに行ける距離というのは、とても恵まれた環境だと言えるだろう。

「アリア、どうしてる?」

 あんなことがあったからと、仕事を休むわけにはいかない。

 それはもちろんシオンも同じで、中庭に臨むベンチに座ってお昼のサンドウィッチを手にアリアの様子を窺ったユーリへ、仄かに疲れの見える吐息を零す。

「毎日家でぼんやりしているな」

「……そっか……」

 アリアが"記憶を失って"から一週間。"回復"の兆しが見えることのない日々に、ユーリは力なく肩を落とすと惰性でサンドウィッチに齧り付く。

 朝、人気店で買ってきたものだが、味はよくわからなかった。

 きっと、アリアお手製ランチのほうが美味しいのだろうな、と、胸に浮かぶ感想はそんなものだった。

「近いうちに……、明日明後日にでも遊びに行くよ」

 毎日当たり前のように会っていた学園時代を思えば、気軽にアリアの傍にいてやれない今の状況は歯がゆくて仕方がない。

 王宮勤め一年目。よほどのことがない限り、仕事を放棄するわけないはいかない。

 現状、アリアはどこも悪いところがなく、無事(・・)ではあるのだから。

「そうしてやってくれ」

 明日明後日は休日だ。「お前が来るとアイツも喜ぶ」と続けたシオンの横顔からは、これといった感情が読み取れない。

 夫であるシオンが、誰よりもアリアの変化に絶望しているだろうに。

 なんとかしてみせると言った言葉に嘘がないことはわかっている。

 それでも、なんとかする方法がわからないのだ。

 きっと、誰もが寝る間も惜しんでアリア(・・・)を取り戻す方法を探している。

 方法さえわかれば、全員一丸となってその方法を実現しようとするだろうに。

「……大丈夫、か……?」

「なにがだ」

 言葉を選びつつ窺えば、淡々とした瞳を返されて、ユーリはグッと息を呑む。

 心配事は一つや二つで済むものではない。

 あれもこれも心配で、あっちもこっちも頭が痛くなる問題ばかりだ。

 それでも。

「……二人とも」

 ユーリとてよく眠れていないが、当事者ともなれば余計だろう。

 精神的な問題は身体にも不調をきたす。

 アリアもシオンも心身ともに疲弊していないはずはなく、そのうち倒れでもしないかと、ここ数日ずっと冷や冷やし通しだ。

「寝不足ではあるが問題ない」

 問題がないわけがないとは思うものの、そう返されてしまうとそれ以上突っ込むこともできず、ユーリはただ大人しく見守るという選択を取るしかなくなってしまう。

「アイツは……」

 わずかに顔を顰めたシオンは、アリアであってアリアではないアリア(・・・)のことを思い出しているのだろう。

「なにか思い悩んでいる様子はあるが、お前も知っての通りだ」

「……そっ、か」

 もはやただの同居人に近いアリアについて語るシオンに、ユーリは小さく肩を落とす。

 アリアであってアリアではない存在は、シオンの妻であって妻ではない。

 たとえ一緒に暮らしていたとしても、最低限の気遣いをするだけで積極的に関わろうとはしていない様子が垣間見え、それはそうだろうと頭が痛くなってくる。

 ついつい忘れてしまいそうになるが、シオンは元々そういう性格だ。

 今のアリアはユーリやシオンが知るアリアとは別人で。シオンが……、みんなが愛したアリアではない。

 それでも、アリアではあって。

 ユーリでさえ、どう接していいのか混乱が続いている。

 そしてそれは、アリアも同じ。

 腫れ物に触るかのような扱いをされ、困惑し、苦しんでいる様子が伝わってくる。

 記憶がないのだ。それがどんなに不安なことか、想像することはできてもアリアの気持ちの半分もわかってやれないだろう。

 寄り添ってやりたいとは思う。だが、みんないっぱいいっぱいだ。

「とにかく身体が資本だ。突然なにがあっても動けるように、体調だけは気をつけておけよ?」

 三日前、様子見でウェントゥス家に顔を出した時のアリアを思い出す。

 おずおずとユーリを出迎えてくれたアリアは、気づけばぼんやりとなにかを考えているような存在感の薄さと危うさを醸し出していた。

「お互いにな」

 じ、とシオンを見上げれば自嘲気味の苦笑が返ってきて、ユーリはきゅ、と口を引き結ぶ。

「まだ、一週間だ」

 あれから、もう一週間の時間(とき)が流れた。

 一時間が一日のように長く感じるというのに、まだ一週間しかたっていない現実をどう受け止めたらいいのだろう。

「絶望するには早すぎる」

 この一週間でできたことなどほとんどない。

 まだなにもしていないような状態なのだから、最悪の結果を覚悟する必要なんてない。

「諦めたりなんてしないだろう?」

「当然だ」

 当たり前すぎる質問に返ってきたのは強い意志(こたえ)で、ユーリも強気に口の端を引き上げる。

「だな」

 今までだって、不可能だと思われたことに奇跡を起こし続けてきたのだ。

 今回だって、願いが叶わないはずがない。

 アリアと出逢ってから乗り越えてきた数々の試練を思い出し、ユーリは改めて心を強くするのだった。



 極々普通に。自然に接する。

 そうは思っても、いざアリア(・・・)を目の前にすると、さすがのユーリも少しばかり緊張してしまう。

「元気?」

 とにかく自分らしく。できる限り気を遣わせないようにと明るく声をかけたユーリに、アリアは曖昧な笑みを浮かべた。

「そう……、ですね」

 硬さの抜けないアリアにあまりプレッシャーをかけないほうがいいと、シオンは隣の自室で事務仕事をこなしているため、広い室内にはユーリとアリアの二人きり。

 今までとは違い、本邸から使用人が運んできたティーセットを前に、アリアはぎこちない微笑みで口を開く。

「ユーリ様は……」

「なに?」

 ティーカップを傾けつつにっこりとした笑顔を向ければ、アリアはどこか悲しげな空気で首を小さく横に振る。

「いえ……」

「そこで止められると気になるんだけど!」

 今のアリアはなにをするでも自信なさげで儚げだ。

 この状況でそれは仕方のないことだと理解しつつ、ユーリはわざとらしく突っ込みの声を上げる。

 悩み事があるのなら、遠慮なく吐き出してほしい。

 ユーリが今すべきことは、アリアとシオン、大好きな二人の話を聞いて傍にいることだと思っている。

「あ、いえ……」

 そんなユーリの思いが伝わったのだろうか。

 驚いたように目を丸くしたアリアは、少しだけ緊張を解いた様子でくすりと微笑んだ。

「ユーリ様は、いつも太陽のように明るくて素敵だな、と思っただけです」

「!」

 素直な誉め言葉には、驚くとともに気恥ずかしくもなってしまう。

「ありがとう」

 照れ笑いを零し、ユーリは改めてアリア(・・・)を観察する。

 人の長所をこうして真っ直ぐ言葉にするところは、アリアがアリアではなくなってしまっても変わらない。

 やはりこれは少し質が悪いだけの、ただの記憶喪失だと考えてしまっていいものだろうかと新たな考えが頭に浮かぶ。

 一歩引いた態度に、ぎこちない微笑み、喋り方。

 なにもかもアリアとは違いすぎて、"そっくりさん"だと言われれば信じてしまいそうになるけれど、それでも根本的なものは変わらないのではないか、と。

「"ユーリ"」

「え?」

「ユーリ、って呼んでよ」

 強要はよくないと思いつつ、ずっと気になっていた要望をアリアへ向ける。

 今のアリアはどこからどう見ても、"大切に育てられた箱入り娘"でしかない。

 丁寧な言葉遣いと敬称は、今のアリアには"らしい"という感想しか浮かばないが、やはりどうしてもこそばゆくなってしまうのだ。

「……いえ、それは……」

「シオンのことも"シオン様"?」

 案の定困ったように視線をあちこちに彷徨わせるアリアへ、ユーリは少しだけ意地悪そうな瞳でくすりと笑う。

「それは……」

 ユーリから視線を外し、俯きがちに言葉を詰まらせたアリアからは、今のアリアにとってシオンが"対等な存在"ではないことが伝わってくる。

 そしてそれが記憶を失ったことによる不安定さからくるものではなく、今のアリアの性質から来るものだと思えば、やはりユーリの知るアリアと目の前にいるアリアは別人なのだと思わされてしまう。

 なにが、どうしてこうなったのか。

 理解はしているものの、誰もがみな未だ混乱の中にいる。

「……そう、お呼びしたほうがいいですか?」

 膝の上に置いた手にきゅ、と力を込めて顔を上げたアリアの瞳は弱々しく揺らいでいた。

「うん……、まぁ……」

 今のアリアはアリアであってアリアではない。

 呼び方を変えてほしいと願うことは、もしかしたら今のアリアを否定することになってしまうかもしれないと思い直し、ユーリは曖昧な答えを返す。

 誰もが、以前のアリアを求めている。

 けれど、それが今のアリアの存在を拒否することになってしまうとすれば、それはそれで葛藤が生まれるのだ。

 なぜなら。

「以前の私はそうお呼びしていたんですよね?」

 弱々しいながらも真っ直ぐユーリを見つめてくるアリアは。

「アリア?」

「シオン様が……、シオン様に愛されていた私は」

 妙にハッキリと響いた声に動揺する。

「……えっと……」

 この、胸が締め付けられる感情を、どう昇華したらいいのだろうか。

「ごめん」

「え?」

「無理に呼び方を変えなくていいよ」

 コトリと首を傾げたアリアに、ユーリは苦笑いを浮かべた。

「オレが考えなしだった」

 本当に、どうしたらいいのだろう。

 なぜなら、アリア(・・・)は。

「アリアは……、シオンのことが好き……、なんだよね?」

 今まで見えていなかった現実が見えてきて、アリアへゆっくりと問いかける。

 真っ直ぐ前を向いているアリアと目が合って、しばしの間が流れた後、アリアは静かに頷いた。

「……はい」

「…………そっ、かぁ……」

 なぜだろうか。

 今のアリアもアリアであって、やはりアリアは変わらずシオンのことが好きなのだ、と素直に思えないのは。

 そして、今のアリアをシオンが愛することはないと思えてしまうのは。

「……切ないね」

 また一つ増えたままならない問題に、ユーリの静かな溜め息が遠い彼方へ消えていった。

更新が亀の歩みで申し訳ありません……!(平謝り)

完結させたいという気持ちは変わらずにありますので、お待ちいただけますと幸いです。


また、『推しカプのお気に増すまま 2』の書籍が2025/2/1に発売になります♪

イラストがとても素晴らしいので、手に取ってくださいますと光栄ですm(_ _)m

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