終わりの終わり 2
真っ直ぐリヒトを見つめるアリアに、リヒトはくす、と楽しげな笑みを漏らす。
「そんなんで守れるとも?」
「っ」
アリアが両手を広げてそこに立つ意味を、リヒトはきちんと理解しているのだろう。
胸ポケットに手を伸ばしかけたまま挑発され、アリアはぐ、と息を呑む。
「こっちに来いよ」
空気感だけは優しげに。けれどその目には狂気の色が潜んでいて、アリアは無言の答えを返す。
「それとも、辺り一面を火の海にでもしないとわからないか?」
こうしている間にも、ルーカスとユーリが賢明に消火作業をしているが、魔法が使えない状況ではそう簡単に燃え広がった炎は収まらない。
この状態でさらにあちこちから発火すれば、それこそ大惨事になるであろうことは火を見るよりも明らかだ。
「……リヒト」
決して脅しではない、リヒトであれば本気で実行するだろう惨劇に、アリアはきゅ、と唇を引き結ぶ。
周辺一帯の家屋を犠牲にする覚悟を持って全員で挑めば、リヒトを捕えることは可能だろう。
けれど、アリアの真の目的はリヒトを捕えることではない。
アリアの、すべきことは。
アリアに課せられた運命は。
「貴方はここにいるべき存在じゃない」
それは、リヒトだけではなく。
「還りましょう?」
優しく微笑んで語りかけたアリアに、リヒトの眉が訝しげに顰められた。
「はっ、なに言ってんだよ」
冗談を受け流すかのように嘲笑するリヒトは、アリアと違い、この世界の真実を知らない。
「貴方は……。私たちはこの世界にとって異分子な存在」
その歪みが、例え“神”の手によるものだとしても、世界はいつだって元の形に戻ろとしていた。
アリアの存在しない、本来在るべき姿に。
その筆頭が。
――『我が名を呼ぶがいい』
「……ヴォロス」
そっと。囁くようにその名を呼んだ。
シオンが僅かに反応する気配が伝わってきたものの、それはアリアがなにか呟いたことを察しただけで、恐らく内容までは誰にも届いていないに違いない。
けれど。
『呼んだか?』
極自然と応えが頭の中に響き、アリアはリヒトと見つめ合ったまま、ぐ、と唇を噛み締める。
『娘。久しぶりだな』
「っ」
なんの感情も感じさせない声色で声をかけられ、緊張に息を呑む。
「……貴方は、初めから私を還そうとしていたのよね」
世界を正しい形に戻すために。
頭の中で聞こえる声に、独り言のように語りかける。
「……あの時から、貴方はこの未来を知っていたの?」
アリアが“還る”未来を知っていたから。だから故意にアリアを贄に選んだのかと問いかければ、魔王――ヴォロスからは「まさか」と嘲笑するような気配が伝わってきた。
『しょせんは私も神にとっては駒の一つでしかない』
神の意志は絶対。
だが、神は基本的にはただの傍観者だ。
神がしたことと言えば、気まぐれにこの世界をモデルにしたゲームをもう一つの世界で作らせ、そしてそのゲームをプレイしていた一人の女性の記憶をアリアへ与え、リヒトをこちらの世界に生まれ変わらせたことだけ。
ただ鑑賞していることに“飽きた”から。“つまらなかった”から。
ほんの少しだけ趣向を変えて、ちょっとしたスパイスを与えてみただけ。
神にとってはそんなもの。
『魔王ともあろう者が世界を救うために動くなどどんな皮肉だとは思うがな』
その言葉通り、皮肉気に苦笑する声が聞こえてきて、アリアもまた困ったような苦笑いを浮かべてしまう。
魔王はこの世に絶望を与える者。
であるならば、魔王のこの行動はある意味正しいのではないだろうかとも思えてしまう。
それは決してアリアの自惚れなどではなく。
――アリアが消えたら……、シオンは……、みんなはどうなるだろう。
「……アリア? なにを言っている?」
アリアが魔王と交わす会話は独り言のようなもので、シオンにまでは届いていないのだろう。
それでもどこか不審を察してか、焦燥を滲ませる声色で問いかけてくるシオンへ、アリアは振り向くことも答えを返すこともなく前を向く。
「行きましょう」
『いいのか?』
淡々と確認を取ってくる頭の中の声に苦笑が漏れる。
「……優しいのね」
垣間見える気遣いは、とても世界を滅ぼさんとする魔王の言葉とは思えない。
恐ろしく残虐な闇の王も、神の意思の前ではただの道具ということだろうか。
「……いいの。決意が鈍ってしまうから」
ここで、振り向いたら。
シオンを……、みんなの顔を見てしまったら。
シオンに「行くな」と言われたら。
きっと、振り切れなくなってしまうから。
だから、このまま。
「リヒト!」
数歩前にいるリヒトに向かって声をかける。
「私達はここにいたらいけないの」
「……はぁ?」
なにを言っているのだと訝しげに眉を寄せるリヒトを真っ直ぐ見つめ、アリアは魔王へ願う。
「世界を、元の姿に」
そして……。世界の消滅回避を。
「ヴォロス……! お願い」
「!? アリア!? 一体なにを……!?」
その直後。
「――!? お前は……っ!?」
アリアとリヒトの間に現れた人影に、その場にいる者たちが息を呑む。
光でも闇でもなく、白い世界から突如として現れた人影が、どこか見覚えのあるモノだと気づいた者たちは多いだろう。
「な、んだ……、お前、は……」
以前リヒトは、魔王の魔法ですら無効化できると言っていた。
リヒトという存在自体が異端児だからと。
突然現れた人影にさすがにたじろいで目を見開いたリヒトへ、ヴォロスが可笑しそうに嘲笑する。
『これは魔法ではないからな』
シャノンの精神感応能力と同じ。魔法でないものはリヒトの力では防げない。
『これは、世界が元の姿に戻ろうとする意思の力だ』
魔法ではなく、異物を外へ吐き出そうとする世界の本能のようなもの。
『私はそれを少しだけ手助けしているに過ぎない』
「な……っ!?」
驚愕するリヒトの一方で、
「アリア……!」
なにかよくないことが起ころうとしていることを察しているらしいシオンから「どういうことだ」という焦燥の声が上がる。
「…………」
けれど、アリアがそれに答えを返すことはもはやない。
「さぁ、行こう」
ヴォロスに誘われ、アリアが一歩前へ進み出る中、その場の誰もが動けずにいるのは、こちらも世界の意思が働いているからだろうか。
「……くそ……っ、どういうことだよ……!」
「アリア……!」
まるで時が止まったように動けない世界の中で、舌打ちをするギルバートと、シャノンの制止の声が響く。
「リヒト。還りましょう……?」
微笑んで、手を伸ばす。
アリアと違い、リヒトのそれは存在の消滅を意味しているけれど。
あちらの世界で、元のリヒトはもう死んでしまった人間。
そして、リヒトはゲームの住人だ。
「アリア!? アリア……!?」
それは、誰の声だろうか。
ヴォロスを中心に白い光が広がっていき、アリアとリヒトを包み込んでいく。
「アリア……! なにしてる……! こっちに戻ってこい……!」
白い光は、アリアとリヒトの姿を隠したところで広がりを止め。
「アリア……ッ! 行くな……っっっ!」
(……シ、オン……)
真白な光が弾け飛び、その眩しさに誰もが目を閉ざす。
そうしてその光が収まったあとには。
「アリア!? アリア!? アリア……ッ!」
魔王の影もリヒトの姿もなく。
「アリア……ッ!?」
その場に倒れ込んでいるアリアへと、シオンが瞬時に駆け寄った。
そのすぐ傍には、アリアが嬉しそうに持っていたケーキが箱から溢れ、ぐちゃぐちゃに潰れていて――。
*****
「ん……っ」
ぴくん、と反応を示したアリアに、アリアの身体を抱き寄せたシオンの顔へほっと安堵の色が浮かんだ。
けれど。
「アリア……ッ!」
うっすらと開いた瞳がシオンの姿を映し込み。
その、数秒後。
「……シオン……、様……?」
ぼんやりと、不思議そうに呟かれたアリアの疑問符に、その場の誰もが固まった。
「シオン……“様”?」
アリアは、シオンのことを“様”付けで呼んだことはない。
それは、それこそシオンがアリアと初めて顔を合わせた最初の一度だけかもしれない。
その、意味。
「……シャノン……?」
もう一人、様子がおかしい人物へ、アラスターがどうしたのだと呼びかける声が聞こえた。
じ……、とアリアを見つめたまま動きを止めているシャノンは。
「……アンタ、誰だ?」
アリアへ向かって問いかけたシャノンの言葉に、その場は瞬時にして凍りついていた。