終わりの終わり 1
急いでやってきた様子が窺える、肩で呼吸をし、リヒトを睨みつけている人物は。
「! ユーリ」
どうしてここに。と驚きを浮かべるアリアの瞳に、また一人二人と他の人影が映り込む。
「僕たちもいるよ」
「! ルーカス……! リオ様たちも」
ユーリの後方から、くす、と不敵な笑みを浮かべて現れたのはルーカスだ。そしてさらにその後ろにはルイスを従えたリオがいて、一瞬で状況を判断すると指示を出す。
「セオドア、ルーク。君たちは周りの住民たちへ避難指示を」
「わかりました」
共に現れたセオドアとルークは神妙な表情で頷いて、すぐにその場を去っていく。
と……。
「アリア……ッ」
また別の方向から聞こえた声に、アリアは目を丸くして振り返る。
「ギル? シャノンとアラスターも……」
どうやら先ほどシオンが空に打ち上げたのろしのようなものは、本当にみなへリヒトの出現を知らせる合図だったらしい。
「うっわ。勢ぞろいでなんだよ、これ。ひっでぇな。弱いもの虐めじゃねぇ?」
続々と集まる「1」「2」のメンバーに、リヒトは言葉に反して口元には可笑しそうな笑みを浮かべたまま。
「大人しく捕まるんだ」
「無理に決まってんだろ、そんなこと」
リオの前に進み出たルイスの鋭い眼光に、リヒトは嘲笑を刻みつける。
「まぁ、そうだろうな」
対してルイスは、顔色一つ変えることなくそれに同意する。
これで素直に捕まるような人間なら、はじめからこんなに用意周到で大それた真似はしないだろう。
「で? どうしてくれるって?」
多勢に無勢。だが、周囲を囲まれ、完全に退路を断たれた状況でも、リヒトの顔に浮かぶ余裕の笑みが崩れることはない。
それは、魔法のない世界であれば自分が負けることはないという自信からきているものだろうか。
なぜなら、リヒトは。
「知ってるか? オレには魔法の無効化と“無敵”設定がついてるけど、残念ながらお前らヒーローにはついてないんだぜ?」
確かにリヒトの言う通り、シオンはもちろん、ギルバートとアラスターのヒーロー三人は、“ゲーム”の中で決して無敵ではない。対し、現代設定のゲームの中でのリヒトは“負けなし”設定だと口にする。
とはいえ、この世界が本当は“ゲーム”の中ではなく、ただモデルとなっているだけだとアリアは教えられている。けれど、リヒトに関してだけはどうなのだろう。“リヒト”に限っては、本当にあちらの世界のゲームの中の登場人物だ。それが、神の気まぐれによって形になったもの。
リヒトの言う“無敵”設定は、果たしてどこまで影響してくるのだろう。
「……なにを言ってる」
シオンの眉が理解不能といった様子で顰められ、リヒトの視界から隠すようにアリアを背に庇う。
「……さっきからチートチートうるさいけど、なんなんだよ、それ」
こちらもまた意味がわからないとばかりに不快そうな文句を洩らしたのはシャノンだ。
「……精神感応能力か」
心の中を視んだらしいシャノンにちらりと視線を送ったリヒトは、嫌気に顔を歪ませる。
「お前の無効化能力は俺には関係ない」
考えを視むことによって先手を取ってやるとばかりの強気を見せるシャノンへ、リヒトは苛立たしげな舌打ちを地面へ落とす。
「……お前のその能力だけはまじで厄介だよな」
シャノンの精神感応能力は魔法ではないため、リヒトの無効化能力は通じない。
魔法を無効化した状況下において、自分の策略を読んでくるシャノンの存在は、リヒトにとって一番の脅威かもしれなかった。
「さっさとねんねしろよ……っ!」
「……っ……」
怒号のような叫びと同時に放たれた感情はどす黒く染まっていたに違いない。
不意打ちの攻撃に一瞬頭をくらりと傾けたシャノンへ、隣にいたアラスターが咄嗟に手を差し伸べた。
「! シャノン……ッ」
「……だいじょう、ぶ、だ……っ」
歪んだ感情をぶつけられることは、シャノンにとって鈍器で頭を殴られるようなもの。
苦痛に奥歯を噛み締めながら、それでも強い意思のこもった双眸で自分を睨みつけてくるシャノンに、リヒトは好戦的な笑みを刻む。
「ヒーロー対決、ってか?」
シャノンの隣で同じように鋭い瞳を向けてくるアラスターを見、それからギルバートとシオンへぐるりと視線を廻らせて、リヒトはくす、と呟きを漏らす。
「!」
そうして身体ごとこちらへ向き直ったリヒトに、アリアはシオンの影で息を詰める。
「どうだよ、アリア。ヒーロー全員が自分のために戦う状況、ってのは」
三つ巴、ではないけれど、確かにこの状況は、ある意味「1」と「2」VS「3」のヒーロー対決だ。
「最高に“萌え”る?」
「……っ」
歪んだ笑みに寒気が走る。
大好きなゲームのヒーローたちが、たった一人を巡って火花を散らす様は、妄想の中ではとても楽しいと思えるけれど、こんな現実は望んでいない。
「オレが勝って一番になったら……、オレのものになるよな?」
“ヒーロー”の頂点に立った者がアリアを手に入れられる。
導き出される勝手な結論は、リヒトの歪みと異常性を感じられた。
「お前がなにを言ってるのかはよくわからねぇけど、それならオレが勝てばアリアはオレのもの、ってこと?」
「……ギルバート……」
わざとだろう。チャラけた口調で笑うギルバートへ、こんな時になにをというシャノンの呆れた目が向けられる。
だが。
「なにを好き勝手言っている。すでにアリアはオレの妻だ」
目の前のやり取りに嫌そうな表情で突っ込みを入れたのはシオンだ。
「シオン……」
もちろんそれを否定する気はないけれど、思わず泣きたくなってしまうのはなぜなのだろう。
――『お前とこうしている為なら、オレは神にも逆らってみせる』
何度も告げられた愛の言葉。
シオンは本気で言っている。
けれど、現実は。
「! 発火する……!」
リヒトが懐から出した武器にハッと目を見張ったシャノンが、リオたちの方向へ声を上げる。
「!?」
その直後、リヒトが放ったガラス瓶のようなものが店先の売り物にぶつかって、一瞬にして炎が舞い上がる。
恐らくそれは、リヒトお手製の火炎瓶のようなもの。
「師団長……! 消火作業を……!」
運悪く――否、これもリヒトの計算のうちに違いない――服飾関係だったお店には火の回りが早いものが多く、あっという間に広がっていく炎に、リオの焦燥の声が飛ぶ。
「……っ。わかってはいても、魔法が使えない状況では僕も役立たずだね」
いつもであれば水魔法でなんなくできる消火活動も、魔法が使えない状況下では手作業で行うより他はない。それでもルーカスが指名された理由は、数多くの修羅場を掻い潜ってきた経験値と判断能力を認められてのことだろう。
「ユーリ。君も手伝ってやってくれ」
すぐに店中に回った火の手に、とてもルーカス一人では間に合わないと、リオがユーリにも声をかける。
「……はい」
それに頷きつつもその場から離れることを躊躇する様子を見せるユーリは、アリアのことが気になって堪らないからだろう。
だが、すぐにでも隣の建物まで延焼しそうな火の勢いに、ぐ、と拳を握り締めるとルーカスの助けに入る。
そして、そんな緊迫した空気が流れる中。
「ほら、アリア。こっち来いよ。被害がどの程度で済むかはお前しだいだぜ?」
「っ」
楽しそうに口元を歪めたリヒトに手招かれ、アリアはぐ、と息を呑む。
「アリア」
シオンが呼んだ名前の中に込められている想いはわかっている。
例えリヒトを止める手段がそれしかなかったとしても、従うわけにはいかない。
「っふざけるな……っ!」
そこで、キ……ッ! とリヒトを睨みつけたのは、なにかに耐えるように顔を歪めたシャノンだった。
「“ふざける”? それは心外だな」
対し、リヒトはぴくりと眉を反応させるとシャノンへ不快そうな視線を投げる。
「オレは本気だ」
本気でなければこんなことができるはずがない。
そう言いたげに告げたリヒトは、次に妙に甘い微笑みを浮かべてアリアへ向き直る。
「アリア」
「……っ」
優しげな空気。甘い表情。けれどぞわりとした寒気に襲われるのはなぜなのだろう。
「愛してる」
「!」
その言葉には嘘はない。
けれど、リヒトの愛は狂気で歪んでいる。
「一生離さない」
「っお前のそれは愛なんかじゃない……!」
リヒトの告白に内在する感情に触れたためか、シャノンは身体をふるりと震わせ、きっぱりと断言する。
自分の世界に閉じ込め、好き勝手に飾り立て、縛り付け。
一方的に自分の欲望を押し付けるだけの行為は、決して“愛”などではない。
そう叫ぶシャノンに、リヒトはなにか汚いものでも見るかのような眼差しを向け、沈黙が落ちる。
「………」
緊迫した空気が漂う中、シャノンがリヒトを睨みつけて数秒後。
「……左右の胸ポケットに二個ずつ、ズボンの右ポケットに一つ、あとは鞄の中」
「!」
シャノンが静かに告げた言葉に、ほんの一瞬目を見張ったリヒトは忌々し気な舌打ちを響かせる。
「BLゲームの総受主人公なら、変にしゃしゃり出たりせずに大人しく掘られてろよ」
リヒトの呟きの意味がわからないシャノンは、ただ不快そうに眉を顰めただけで、鋭い視線をリヒトへ向ける。
「これ以上お前の好きにはさせない」
武器を取り出す隙など与えないと、宣戦布告のような言葉を口にするシャノンへ、リヒトの口元はおかしそうな笑みを刻む。
「……さすが主人公、ってか?」
だが。
「“ヒーロー”の見せ場を奪ってんじゃねーよ……っ!」
「――――っ!」
リヒトの手が胸元の内ポケットに伸び、それを止めようとシオンが動きかけた時。
「「!? アリア!?」」
背後からシオンを押し留め、前に出て両手を広げたアリアに、複数の驚愕の声が上がった。
「……さすがに私に攻撃はできないでしょう?」