再会
ジロリ、と、お世辞にもとても好意的だとは思えない視線を受けて、アリアは少しだけたじろいだ。
目の前には、マリンブルーの大人びたドレスに身を包んだスレンダーな美女の姿。
紫色の綺麗なストレートの髪を靡かせた20歳前後の女性は、2、3度顔を合わせたことがある、シオンの兄の婚約者だった。
「ごきげんよう」
「カミア様。お久しぶりです」
ここは、ウェントゥス家の玄関付近。長男次男のそれぞれの婚約者なのだから、お互い婚約者に会いに来たならば顔を合わせることがあっても不思議ではない。
それでもこんなところで会ったのは初めてのことで、アリアは明らかに不機嫌そうなカミアへと優しい微笑みを返していた。
「ラルフ様はまだですのっ?」
挨拶だけしてアリアの存在などすぐに忘れたかのように振る舞うカミアに、アリアはどうしたものかと所在なさげにその場に留まる。
アリアは、このシオンの兄の婚約者に、明らかに快くは思われていないという自覚がある。
過去に顔を合わせたことは片手に足りるほどの数だが、その度にシオンに対してもアリアに対しても素っ気ない態度を取るばかりだった。
「ご自分の方から呼び出しておいて約束も守れないなんて」
本当にどうしようもない方ですわねっ、と苛立たし気に側仕えへと当たるカミアの姿は気位の高い令嬢そのものだ。
(……でも、なにか違和感があるような……?)
シオンの兄であるラルフとこのカミアが一緒にいるところをアリアがしっかりと見たことはない。
けれど、腹立たしげな台詞をまだ戻らない婚約者へと向けるカミアの姿は、ただ怒っているだけのものとは違うような違和感をアリアへと覚えさせていた。
ウェントゥス家に仕える人間の一人だろうか。20代半ばほどの男がカミアの前で礼を取ってなにかを告げる。
「まぁっ、やっとですの?」
アリアにその内容は聞こえてこないが、カミアのその反応からすると待ち人がやっと到着したのだろうか。
ぷりぷりと怒りながら、よくよく見れば仄かに赤く染まった耳元。
(これって……)
僅かに上気して見える怒ったその顔に、アリアは確信する。
(俗に言う、"ツンデレ"ってヤツ――!)
カミアはもちろん"ゲーム"には登場していない。けれど、あまりにもデフォルト通りの"ツンデレキャラ"がいることに驚いて、見えないところまで行き届いている"ゲーム"世界へと感動してしまう。
(こうしてみると、見れば見るほどツンデレさん……!)
一見するとプライドと気位の高そうな綺麗な顔。待ち人の遅刻に怒り心頭のその様に、周りの者たちはなんとかその怒りを静めようとしているが、恐らくそれはもうすぐ会えるという期待の裏返し。
(これって、絶対大好きよね……?)
それが分かってから改めてカミアを見ると、思わず口元がニヤニヤと緩みそうになってしまう。
「……こんなところでなに油を売っている」
「!シオン」
到着の報告があってからなかなか現れないアリアを不審に思ったのか、わざわざ様子を見に来たらしいシオンに、アリアはぱっと顔を上げる。
「行くぞ」
一言で促し、先を歩いていくシオンへと慌てて付いていきながら、アリアはふとシオンとラルフが不仲だったことを思い出す。
ウェントゥス家の後継者を巡って、ラルフがシオンの弱味であるユーリを痛め付けようとするのは、シオンルートの後半の方のイベントだ。
(……大丈夫、よね……?)
少なくとも、この現実ではそんなことは起こらないだろうと願いたい。
そうして"ゲーム"の展開へと思いを馳せていたアリアは、ほぼ入れ違いでやってきたラルフの存在に気がつくことはなかったが、そのラルフがアリアとシオンの後ろ姿へと意味深な視線を送っていたことも、それに対してシオンが牽制するかのような眼差しを返していたことも気づいてはいなかった。
*****
ウェントゥス家の応接室。物の少ない、けれど上品な高級感の漂う大部屋で、少しだけ懐かしい顔をみつけて、アリアは近くまで駆け寄った。
「イーサン!久しぶりね」
「アリア」
元気だった?と笑顔を向ければ、久しぶりの再会にイーサンが嬉しそうにアリアの名を呼んだ。
「お医者様になる勉強、頑張ってる?」
大変なんでしょう?と、時折連絡を取っているらしいユーリから耳にしたことを思い出し、アリアはにこやかに笑う。
「でも、目標があるんで!今は結構楽しんでるかも」
ただ学ぶだけでも、目指すべきものがあるとこうも感じ方が違うのかと、イーサンは晴れやかな表情をする。
そんな風に再会を喜ぶアリアとイーサンだったが、
「それでイーサン。突然どうしたんだ?」
と、せっかちのユーリがうずうずとした様子でイーサンへと今回の訪問理由を訊ねていた。
すでにユーリはだいぶ前にウェントゥス家に来ていたことを考えれば、再会の喜びなどとうに終えていたに違いない。それを思えば、アリアが来るまで聞きたいのを我慢して二人の挨拶が一区切りつくのを待っていたのだろう。
ユーリにすれば、この辺りが待つ我慢の限界だったのかしれない。
「そうだったわね。どうしたの?」
イーサンから、話したいことがあるとユーリのところへ連絡が来たのはつい先日のことだった。アリアの家へと招いても良かったのだが、結果的にあの時のメンバー四人でシオンの元へ集まることになっていた。
「実は……」
以前、アリアに"どんな些細なことでも"と言われた言葉に甘えて来たのだと、イーサンは神妙な面持ちを貼り付ける。
「子どもが神隠しに遭った、っていう相談があって」
「……神隠し?」
あの一件以来、イーサンはちょくちょくあの場所へと顔を出すようになったという。
国内最下層の地域だったあの場所も、最近では少しずつではあるが発展の兆しも見えてきたと嬉しそうに語ってから、イーサンは話を元に戻す。
「隣町も、そんなには豊かなところじゃなくて」
イーサンの住む町とあの場所に隣接した町での出来事だ。
時折あの場所へと顔を出すうちに知り合った女性から、子供がいなくなったと相談を受けたらしい。
「ちょっと遊びに行って消えたって」
豊かさと治安は必ずしも比例しないが、それでもしばしば物取り程度の被害は出る町での出来事。
「……単純に家出とか」
「……誘拐?」
話を聞き、眉を潜めたユーリとアリアは一般的な見解を口にする。
「確かに、普通に考えれば誘拐の線が強いと思うんだけどな」
ただ、金目当てにしては貧民層で、身代金の要求などもない。
母親によれば、もうすぐ来る誕生日を家族で祝うのを楽しみにしていた為、家出も考え難いという。
(……もしかして……)
消えていく子供たち。
思い当たる節のあるアリアは、"ゲーム"の展開から思い付く限りの推測へと思考を走らせる。
「それから、もう一つ。こっちはただの噂レベルなんだけど」
全然別件かもしれないと前置きしながら、イーサンは続ける。
「なんか、そこの花街で妙なクスリが出回ってるらしいとか」
(薬物イベント――!)
いや、ホントにこれは根も葉もない噂なんで!とぶんぶんと手を振るイーサンに、アリアは自分の推測を確信へと変えていく。
元々、例の誘淫作用を伴うクスリに関して、アリアが気にしていたのはこちらのイベントの方だった。
ただ、やはり内容はアリアの知る"ゲーム"とは少し異なるもので、それはやはりアリアが先手先手を打ってきた結果だろうか。そう考えればいい方に動いて欲しいと願うばかりで、今回のこのケースも、取り返しのつかなくなる前の事件だと考えられた。
「とりあえず、その場所に案内して貰うことは可能かしら?」
どう足掻いても、"ゲーム"の記憶はアリアの中から段々と薄らいでしまっている。大まかな話の流れは覚えているし、思い出してすぐにできる限りの情報を紙に書き出してはいるけれど、それで全てが補完されるわけではない。
それでも、その場所に行けば"どこかで見たことのある光景"として事件の早期解決ができるのではないかと思い、アリアは事件現場へと向かうことを即決した。
「!もちろん!」
そんなアリアに、すぐにでも、と動き出そうとするイーサンに、シオンの鋭い目が向けられる。
「待て」
「……シオン?」
どうしたんだよ?と、行くのが当たり前という様子でユーリが眉根を寄せれば、シオンは厳しい視線をアリアとユーリへと向けていた。
「どうして行く必要がある?」
「え……?」
「誘拐か家出かは知らないが、それを調べるのはお前たちの仕事じゃない」
この世界にも、"警察"のような組織はある。行方不明事件となれば、本来相談をするのはそちらの機関で、それを調べるのも専門機関であるプロの仕事だ。
だからなぜそちらに報告しないのかと問うシオンの指摘は最もで、アリアは返す言葉が見つからない。
「前回のことで懲りていないのか」
「……それは……」
確かにシオンの言う通り、行方不明者の捜索は専門機関の仕事で、アリアたちが個人的に動くものではない。
(でも、それじゃ手遅れになる……!)
"ゲーム"の中で専門機関が動いた結果、真相を突き止める為にどれだけの時間を要したか。その間にも犠牲者は増え続け、時間の経過と共に事態はどんどん悪い方向へと向かっていく。
アリアには、"記憶"がある。アリアにしかわからない、できないことがある。
「前回のことにしたってそうだ。動くべきはオレたちじゃない」
前回は、仮にもリオが"王族"として依頼してきた命だから従った。王家に仕える公爵家として、それくらいの自覚くらいはシオンにもある。
けれど、気に入らないことは気に入らないのだろう。
「あれはただ、あの王子様が自分の手柄にしたいだけだろう」
ただ、ルイスが。リオのために。リオを将来の皇太子にー、そしてゆくゆくは国王とするために、リオに手柄を立てさせたいだけだろうとシオンは皮肉る。
"ゲーム"では、リオは皇太子として、国の安泰のために事件の陣頭指揮を取っていた。
だが、今は違う。今はまだただの王族の一人でしかないリオは、将来皇太子になるためにはそれなりの実績も必要だ。
だとしても。
「……でも、例えそうだとしても、私もリオ様には将来国王になって欲しいと思ってるわ」
それでリオの株が上がるというなら喜んで動きたいとアリアは思う。
本来ならば、すでに皇太子になっていたであろうはずのリオ。ある意味それを邪魔してしまったのは他でもないアリアだと思えば、責任すら感じてしまう。
「それに、ちゃんと報告はするつもりよ?」
とりあえず急ぎ確認に行くだけで、それが終わればきちんと報告するつもりだと言って、アリアはシオンの反応を伺う。
「……だったら勝手にしろ」
「シオン!」
けれど、譲る様子を見せないシオンに、ユーリの咎めるような声が上がる。
「オレはもう付き合わない」
「……シオン……」
アリアから目を逸らし、これ以上は聞くつもりはないという意思表示のつもりか、目を閉じて深く椅子へと身を沈めたシオンへと、アリアは哀しげな瞳を向ける。
(……そうよね。いつの間にか、シオンが付き合ってくれるのは当たり前だと思っていたけれど……)
ゲームの展開ではそうだったのだからと思い込み、いつの間にかシオンへ甘えることが当然のようになってしまっていた。
シオンに同行して欲しいと思うことはアリアの身勝手だ。
「ちょっ、シオ……」
「ユーリ」
いいから、と、なにか言いかけたユーリを手で制し、アリアはシオンへしっかりと向き直る。
「ごめんなさい。貴方を巻き込むのは私の身勝手ね」
"ゲーム"でも、シオンはリオの命ということで仕方なく従っていただけで、それがなければどうなっていたかはわからない。ユーリだって、"ゲーム"の中ではリオに聞くまで事件のことなど知らなかったのだから。
"ゲーム"では、ここでユーリが花街へと女装して潜入することになる流れだったが、今回はまだその手前の出来事だ。
「行きましょう」
イーサンへと声をかけ、アリアは静かに立ち上がる。
「……お、おい、アリア……っ!?」
いいのか!?と慌てた様子で後を追ってくるイーサンの気配を感じながら、アリアは後方へと振り向くことはしなかった。
*****
「……シオン!お前、本気で今回来ない気か!?」
自分も後を追おうと立ち上がりながら、ユーリは深々と座ったままのシオンへと声をかける。
「そのつもりだが?」
閉じていた目を開けて、真っ直ぐにユーリへと向けられた双眸。それに挑むような瞳を返しながら、ユーリは口を開く。
「……オレは行くよ」
「お前が行ってなにになる」
魔法も使えず、ただの役立たずだと指摘するシオンに、ユーリは怯む様子もない。
「そうだな。オレは足を引っ張るだけかもしれない」
まるで睨み合うかのように交わされる二人の視線。
「それでも、来ないんだな?」
「……それは脅しか」
確認するかのように問いかけるユーリに、シオンはそれはどんな脅しだと眉根を寄せる。
「……オレは、お前を信じてる」
一緒に来て欲しいとは言わない。シオンの意思は尊重したいと思うから。
けれど。
人頼みかと嘲るように笑うシオンに、
「そうだよ」
ユーリははっきりと自分の思いを告げる。
「オレが自分の力でアリアを助けられないこと、悔しくないとでも思うか?」
自分にも魔法が使えたら。
そう強く願わずにはいられない。
けれど、無理なことを願ってただ悔やむだけではいられないから。
「でも、背に腹は代えられない」
だから、利用できるものは全て利用してやると強い決意を見せてユーリは言う。
「来ないなら来ないでいい」
淀みのない、澄んだ瞳。
「だからせめて、セオドアとルークに連絡取らせてくれ」
自分にできる限りの最善を。
「それから、万一の時の連絡手段くらいは」
その強い信頼は一体どこから来るというのだろうか。
「オレは、信じてるからな?」
ユーリの強い言霊に、一人残されたシオンの苛立たしげな舌打ちが響いていた。